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怪我とわたし

きっと誰だってそうだろうけど、怪我はしたくないものである。

モトクロスというスポーツに危険は付き物で、僕も大なり小なり怪我をしてきた。
ただ、バイクに乗っている年数からしたら、比較的、怪我は少ない方だという自覚はある。

少し痛い描写はあるけど、なるべくカジュアルに自分の怪我履歴を書き連ねていきます。

脱臼編

脱臼とは、関節が外れて骨が正常な位置からずれてしまった状態を指す。

いきなりモトクロスの怪我ではないけれど、時は僕が2歳か3歳くらいの頃。

祖父におんぶされる形でじゃれ合っていたところ、祖父が僕の腕を引っ張った瞬間、これまでの人生で感じた事のない痛みが走る。
泣き止まない僕を親が病院へ連れて行ったところ、肩の脱臼と判明。

何が起きたのかわからない幼い僕に対し、大人が子供にもわかりやすくする為に言った言葉が

「腕が外れたんだよ」

腕が外れただって!?

完全に逆効果。さらに大泣きである。

接骨院の先生がなかなか粋な人で

「今から魔法をかけるよ~」

そんなことを言いながら僕の腕と肩を持った次の瞬間、グッ!!と肩をはめてもらって治療終了。

祖父からはお詫びとして、トーマスのおもちゃを買ってもらった。

骨折編

骨折とは、読んで字の如く骨が折れる、又は損傷する事である。
命に別状はないけど、深い傷や重いケガをした場合で、全治30日以上要するものが一般的に重傷と呼ばれているらしい。
骨折の大体が重傷に相当すると思われる。

骨折その1

人生初の骨折は小学校6年生の時。
当時、ジュニアクラスで中部選手権に出場していた僕は、レース前日の練習走行日、小さいジャンプが連続するリズムセクションで振られて転倒。
肩から地面に落下して、しばらく痛みで悶絶。

当時の父は怖かったので、「痛くて走れない」と、なかなか言い出せず、ついに「痛いなら痛いってはっきり言え!」と怒鳴られて終了。
痛いし怒られるしで最悪だったのを覚えている。

翌日がレースだったので、その日は車中泊。ただ、打撲とも違って、なかなか痛みが引かない。

それでもリタイアしたいとは言い出せずに、雨の中、なんとか2ヒート走り終えて、翌月曜日に病院へ。
レントゲンの結果、肩の剥離骨折という事が判明。折れてはいないけど、骨が欠けていたらしい。腕までギブスを巻いてもらって三角巾で固定。
骨折の痛みを知ったのはこの時が初めて。

骨折その2

次の骨折は高校1年生の夏休み直前。
地元の足助(現・MX FIELD TOYOTA)で走行中、長い下りでハイサイド。バイクから放り出されて、右手首から地面へ落下。
体重+速度分の荷重が全手首へ集中して悶絶。

コースに居る誰かは必ず持っていると伝わるモトクロス界の仙豆。
"ロキソニン"を初めて服用。

レントゲンの結果、右手首の骨折。手術は無く、腕までギブスをして三角巾で固定。

この骨折は夏休み前の高校1年生が利き腕をギブスで固定されるという、非常に残酷な結果となった。
しかし当時の僕はこの困難を乗り越える為に苦心し、涙ぐましい努力の結果、この夏を境に両利き、スイッチヒッターへと変貌を遂げた。
(何がとはあえて言わない)

骨折その3

高校2年生の体育の授業。
その日はマット運動。前転とか、開脚後転とかのマット運動。

少し遡って、中学校時のマット運動。
体育教師の説明を聞いている時に、何の脈略も無く「広志、ちょっと前来て」と指名され、やった事もないバク転をみんなの前でいきなりやらされるという経験があった。しかも出来た。

今でもメチャクチャな体育教師だと思うけど「なんで僕だったんですか?」と後日聞いたら「モトクロスやってるし、イケると思った」と、教育者らしからぬハチャメチャな供述をしていた。

ちなみにこの体育教師は当時、教育実習で来ていた2名の女子大生の内、男子中学生から可愛いと言われていた方。じゃなくて、男子中学生から「ドラえもん」と呼ばれていた方の女子大生に手を出したとかどうとか。
教育者らしからぬハチャメチャっぷりを遺憾なく発揮していた先生でもある。

話は戻って、高校2年生時のマット運動。
いきなりバク転できるもんだから、他にやる事がない。

2クラス合同での体育の授業で、隣のクラスにもブレイクダンスだかをやっているからバク転できる奴がいて、何故かそいつと
"クラス対抗 連続でバク転何回できるかな対決" が始まった。

お互いに一歩も引かない白熱した対決となり、自クラスのお調子者が、このままでは勝てないと思ったのか、業を煮やしてして

「広志!バク宙バク宙!」と叫んだ。

テンションの上がっている男子高校生の僕は、その声を聞いて、またしてもやった事のないバク宙を試みる。しかも出来た。

"バク転何回出来るかな対決" は、次第に "バク宙何回出来るかな対決" に変わって、お互いに疲労困憊気味になりながらもクラスメイトの声援に応えようと必死で回り続ける。

そのうち回転数も落ちてきて、回りきらずに地面に落下→手を着く→痛い

これ以上続けると怪我をしそうだったので、最後はお互いの健闘を讃え合い、握手で終了。

ふと左手小指が変な形をしていたので病院に行ったら骨折していました。
今でも左手小指は変な形のまま。

骨折その4

2011年2月某日。
当時22歳の僕はスケボーにハマっていて、その日は友達と小牧のスケートパークで遊んでいた。
夕方になって人もまばらな頃、ランプで遊んでいて転倒。
この転倒自体はなんてことはなく「やれやれ」といった面持ちで立ち上がった次の瞬間。ランプから下ってきたスケボーが自分の足首に直撃。
悶絶→骨折。
手術なし。ギブスで固定して松葉杖。

前年は国際B級クラスで予選通過とポイント獲得が当たり前になってきており、この年から「さあ行くぞ!」という時にまさかのスケボーで骨折。

3月の開幕戦に間に合わなくなり、気分も相当落ち込んだ骨折。

しかし、3月11日に東日本大震災が発生。
開幕戦の日程は延期。怪我は完治して、開幕戦に間に合い、この年に中部選手権のチャンピオンを獲得。人生のターニングポイントは皮肉な形で訪れた。

骨折その5

24歳のお盆休み終盤。
来る9月の全日本モトクロス選手権に向けて、父の提案で合宿をやる事になり、奈良県は名阪スポーツランドへ。

朝のならし走行もそこそこに、2本目を走り出した矢先、フープスセクションで振られて転倒。左の上半身から地面に落下して悶絶。

すぐ近くで知り合いのお父さんが見てくれていた為、すぐにコース外へ救出してもらう。
少し落ち着いて、打ち付けた左腕を動かそうとするも、上がらない。

手や指先は動く。神経系は無事そう良かった。

しかし、どうにも左腕が上がらない。痛みはさほどない。これは脱臼かな?

パドックに戻ると、知り合いのお母さんで看護師の方が心配して診てくれた。

「多分、脱臼だと思います。」という僕の腕を見て

「あんたこれ脱臼じゃないよ!見てみな!」

ふとハイエースの窓に写る自分の左腕を見てみると、もう一個関節が出来ましたと言わんばかりに腫れあがっている。

よくよく感触を確かめてみると、左腕上腕骨あたりで "モニュモニュ" うごめいている感覚。

合宿初日の2本目で敢え無く即帰宅→緊急外来へ→お盆なので専門のお医者さんがいないとかでとりあえずの処置をしてもらう→盆明け、入院、手術

人生初手術。
左腕で心臓に近いから。とかいう理由で、全身麻酔での手術となった。

手術室は映画やドラマで見たような雰囲気そのままで、緊張していたら担当のお医者さんがやってきて真顔で一言

「手術中の音楽選べるけど、何がいい?EXILEとか、AKBとか?まあ、どうせ聞こえないんだけどね。ははっ」

医者になる人間は頭おかしいくらい頭良いって聞くけど、本当にそうなんだなぁーと思った。

左腕上腕骨にチタンを入れて固定→約1年後に摘出。

ちなみにこの時24歳。厄年。

名阪での走行は僕にとって鬼門なのだ。

靭帯損傷編

JNCC 爺が岳
レース序盤、RRR(ロックンロールリバー)と言うセクションに差し掛かる段差を下った時に滑って転倒。左脚がバイクの下敷きになる。立ち上がった瞬間、膝カックンをされた感覚になり、「おや?」と思いつつもそのままレースを続けるも、膝の違和感は拭えずにリタイア。

病院での診断結果は、左膝側副靭帯が伸びた事による靭帯損傷。

「靭帯は骨折より厄介だよ」と言われてきた意味が分かりました。伸びただけなのに、いまだにしゃがんで作業する時に膝が痛むことがある。

その時の映像がYouTubeに残っています。
※まあまあ脚が変な方向向いているので、一応閲覧注意

8:20~


歯編


歯その1

小学4年生の体育の授業。
何をしていたかは忘れたけど、集合を告げる先生の笛が聞こえたので、走って集合地点に向かい、カッコつけてスライディングで停止しようと思ったら自分の膝が自分の顎を直撃→悶絶。

痛みはさほどなかったものの、あったはずの下の前歯がない。
恐らく顎を打った時の衝撃により、上の前歯が下の前歯をぶち折ってしまったみたいだった。

「せんせー 歯が無くなりました」

こともあろうに生えてきたばかりの永久歯である。

授業は中断となり、当時教師2年目、20代前半だった先生は気が動転したのか、親へ連絡する間もなく、クラスの全員に「広志くんの歯が無くなったのでみんなで探しましょう」と告げる。

楽しい体育の時間一変して  "広志くんの歯探し" という地獄のような時間になった。

小学4年生の子供たちが広い校庭に膝をつけ、自分の歯を探している光景は異様で、幼心に大変申し訳ない気持ちになったのを今でも鮮明に覚えている。

その後、児童およそ35名による懸命の捜索も虚しく歯は見つからず、僕の下前歯は差し歯となった。

歯その2

小学6年生くらいの頃、なぜが学校を休んで名阪に練習へ。
コースにも慣れてきた午後の走行枠。フィニッシュ手前の下りでハンドルに顎を打ち付けて転倒。

口の中に固形物を確認した為、「小石でも入ったかな?」と思い、ペっと出してみると紛れもなく歯である。

「あちゃー差し歯取れちったー」と思いきや、その歯は差し歯のお隣さんであることが判明。

小学生にして差し歯が2本になり、母から「学校や休んで行くもんでだわ!」と、父と一緒に叱られた。

記憶ぶっ飛び編


モトクロスで転倒して頭を打つと、脳震盪を起こし、まれに記憶が飛ぶことがある。

記憶が飛んだ人は一様にして同じことを繰り返し人に聞く。

中でも、記憶が飛んだ人が言うセリフNo.1が

「俺ってどこで(どうやって)転んだ?」である。

記憶が飛んだ人間の辿る道は

最初は心配される→大丈夫だとわかると「昨日貸した1万返して」等、からかわれて面白がられる→同じことを何回も聞いてくるからいい加減飽きられる、ウザがられる→いつ、どこで、どんな風に転んだか書いた紙を渡されて放置される

2019年9月
コースレイアウトが変更になったという事で、来る全日本モトクロス選手権 名阪に向けて新レイアウトを覚えるために練習に行った。

2本目の走行枠、ようやくコースも覚えてきたかなーと言うところで転倒。脳震盪を起こしたみたいで、立ち上がった瞬間、自分がコースのどっちから走ってきたのかわからなくなった。

幸い、バイクと身体はほぼコース外に出ていたみたいで、後続車両が通過するのを見て進行方向を確認できた。

その後の記憶は今でも曖昧で、動画編集の切り取りと同じ感覚で次の記憶につながる。

パドックに腰かけて、持ってきた水を飲もうとしたら3分の1くらいの量になっていることに気付いて「あれ!もう水がない!」と言ったら、「それもう
何回も言ってるよ」と聞かされたところから記憶が正常に戻っている。

記憶の空白期間中に水を飲む→当然減る→記憶曖昧→「水が減ってる!」

これを繰り返していたようだ。

当時新婚の僕も御多分に漏れず、妻は「本当に何度も同じことを言ってて最後の方はちょっとウザかった」と言っていた。

この "本当に" というのは、同じく名阪に来ていた友也さんから「同じこと何回も聞いてくるよ」と事前に聞いていた為である。

僕が転倒した瞬間を目撃した妻のアップルウォッチの心拍数計は「この時に転んだんだね」ってハッキリわかるくらい爆上がりしていた。


ざっと挙げた僕の怪我履歴。

そんなにやってないと思っていたけど、意外と多かった。でもモトクロス、特に国際A級走っている、走っていた人達はもっと怪我しているイメージ。

内臓系はやった事ない(キングオブペインと言われている尿路結石は経験有り)から、まだましな方なのかな。

怪我というのは付き物と冒頭で書いたものの、防ぐことが出来るものなら絶対に防ぎたい。

そう思って、仲間に協力してもらって作った動画がこれ⇩ とか


コレ⇩


こんなに怪我してるくせに辞めないなんて、やっぱりバイクが好きだし、出来れば一緒にやってる人たちも怪我で痛い思いはしてほしくない。

僕らは趣味として、人間が生きていく上で必ずしも必要じゃない、あえて危ないことやっている。

でもこれがどーにも楽しくてやめらんないわけで。

じゃあ転倒や怪我と向き合おうよという時に、防具を揃えたり、自分を制御しないといけない。

こうして振り返ると、転倒するとき、怪我をするときは、踏まなきゃいけないステップを飛び越えて次のステップに行こうとしている時に発生しやすい。詰まるところ、自分の技量に合わない事をしちゃった時。

無理をしないのが一番だけど、自分の想像を超えてしまう瞬間は訪れちゃう。

これからも楽しいくバイクに乗っていたい。だから自分が出来るだけの対策はしときたいよねって話でした。