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一口エッセイ:令和の『うる星やつら』を観てから、ビューティフル・ドリーマーへ臨もう


 ノイタミナ版『うる星やつら』がすごく良い。
 もはや令和の時代にはオーパーツでしかない原作のノリを弄らずそのまま出してくれた点、まるで旧作アニメ版のようなネオン色の煌びやかさと寂しさが両立しているエンディング。毎週とても楽しみに待機しております。


 今夜放送したエピソード『君待てども』は、あたるとラムの距離がじんわり縮まる原作初期の名エピソード。ノイタミナ版でも、夕焼けに映えるラムの横顔を美麗に表現してくれて大満足です。
 さて、SNSでは今回のアニメ化を受けて初めて『うる星やつら』を知る方も散見されます。彼ら彼女らはとても幸福である。何故なら、ノイタミナ版での今作にてレギュラーキャラが揃ったあたりで、旧作アニメの劇場版『ビューティフル・ドリーマー』を観ることで、あの作品がどれだけ衝撃的であったかを堪能できるのですから(かく言う僕も当時は全然生まれていませんが)。
 子供の頃、例に漏れず高橋留美子作品に夢中になっていた僕は、原作漫画を読み終えてしまったので、そのままTSUTAYAでうる星やつら旧アニメ版を借り進めていたのですね。学校へ行ってない小学生には無限の時間があるのだ。その後、せっかく旧アニメを観終わったのだから当然劇場版も借り始め、入手難易度が高かった『ビューティフル・ドリーマー』を友人のお兄ちゃん経由でゲットして視聴したわけです。今では配信で簡単にレンタルできるよ! 思えば、押井守が版権に引っかかるパロディを入れたせいでソフト化が難航し、一昔前はプレミア価格であったレアリティも評価に影響していたのかもしれませんね。


 本編の感想はバカほど書いているので割愛しますが、もう言葉にできない衝撃でしたね。龍騎と並ぶ小学生時代の最も大きなショック。前情報が全くなく、映画と言えども、「ちょっといつもより大きなトラブルをゲストキャラと解決する」ありがちな感じを想像していたところに、アレをぶつけられて頭がおかしくなって、20年近く経った今も押井守が〜ラムが〜と言い続けるオタクになってしまった。もはや交通事故である。押井守特有の水の表現とラムの横顔の美しさは、永久に忘れられないでしょう。
 「オタクなら観ておくべき作品」としても『ビューフル・ドリーマー』は語り継がれているわけですが、はっきり言って映画版の評価は少し誤解があると思う。理由としては単純で、『うる星やつら』自体の知識が薄いままとりあえず名作と呼ばれているので観てみたオタクも、現代では少なくないから。この作品の魅力は、たしかにストーリー全体のギミックにあるでしょう。しかし、そのギミック自体は今では珍しくないもので、うる星に思い入れのない人が見ても「当時は凄かったんだね」としかならない。しかし、この作品のために旧アニメや原作全部通ってね! と勧めるのも無茶だ。ドラえもんやクレしんのように、誰もがメインキャラを全員把握している作品ではない。殆どの人は、ラムとあたるをなんとなく知っているくらいだ。


 例えば、映画の途中で、給湯室でラムとしのぶが恋愛観について語るシーンがある。僕は、このしっとりした恋愛語り、恋敵であり友人であるラムとしのぶの関係を清算するような会話が大好きなのですが、そこは原作未読者には伝わらない。他にも、やはり原作を知っているからこそ、そもそも「あのドタバタギャグコメディ」を大胆にひっくり返すようなギミックの驚きは、元の空気感を理解していなければ何の意味もない。なので、映画版だけ観たオタクからの「古典だね」的な評価が、僕は歯痒くて仕方なかったのです。
 しかし、今回のノイタミナ版を視聴していけば、初めてうる星やつらに触れた人たちも原作の雰囲気・キャラクターの関係を理解できる。まあ旧アニメ版はノリがまた少し違うし、レギュラーキャラにも違いがあるのですが、及第点でしょう。もし、貴方がノイタミナ版を楽しみ、まだビューティフル・ドリーマーを未視聴であるならば、ぜひ「その時」が来た際の楽しみにしてほしい。あの映画は、本当に凄いんだ。そして、何よりラムが美しいんだ。押井守の真骨頂は、話のギミック以上に画面や音楽の美しさ、映像美にあると思う。ぜひ、そこに辿り着く人が一人でも増えていくことを願います。


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