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一口エッセイ:夏と少女と水月と

 夏が終わった。
 夏といえば、少女の季節です。
 海に、山に、田舎道に、木漏れ日に、白いワンピースの少女の後ろ姿を幻視する。そう、『水月』のジャケットのような。


 『水月』のジャケットは素晴らしい。美少女ゲーム全体でも珠玉の一枚でしょう。
 本来、美少女ゲームのジャケットでは、とうぜん攻略したくなるようなヒロインたちの姿をお出しする。だいたいの作品は、どことなく世界観の設定が分かる背景と複数のヒロインで構成されたジャケットで発売される。
 それが、水月はどうだ。ヒロインが一人であるどころか、後ろ姿しか見せていない。しかし、であるからこそ、このゲームが夏と少女の儚さの相乗効果に全力を懸け、オタクの求める「夏」の美しさを端的に表現していることが分かる。一枚の絵から伝わるストーリーの文脈と美しさ、これこそ「名画」の持つ芸術性と力そのものなのです。
 もちろん、この一枚から伝わるノスタルジーや物悲しさ、そして少女性はすべて本編にも詰まっている。柳田國男の『遠野物語』をモチーフに展開される神秘的な世界観は、美少女ゲームにおける伝奇モノブームの一端を担いました。現世に疲れたオタクたちは、山奥にある楽園のような「マヨイガ」の永遠を求め、何度も何度も水月の物語を反芻させたものです。
 僕たちは、きっと死ぬまで夏と少女の幻影を追い続ける。バス停の陰でラムネサイダーを回し飲みするような、オンボロな路面電車が夕陽で赤く染まるのを二人で眺めるような、月に照らされた白いワンピースが冴える彼女が海へと吸い込まれる様子を見ているだけしか無いような、そんな非日常な体験を、永久に手に入らない架空の青春に囚われ続ける。
 また今年も何も起きないまま夏が終わる。一瞬でも白いワンピースの少女と浜辺で笑い合えたら、浴衣姿の少女と二人で神社の階段に座り込んで花火を眺められたら、僕ら薄汚れた大人にそんな雪細工のように繊細な光景が訪れることはない。こんな現実を生きている意味はあるだろうか。せめて夢の中だけでも少女と過ごす「夏」が見たいと祈りながら、今夜も冷たい水で睡眠薬を流していく。


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