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自分の歩幅で歩く

こんばんは、フジミです

5.5(日) 箱庭Day1
いつもお世話になっている大好きな喉さんの企画。お疲れ様でした。
Astの一番手で出演させていただきました!
サーキットイベントに出るのは初めてで色々緊張しましたが、とても新鮮な気持ちで楽しめました!
他の演者さんの演奏が聞こえる中、俺もやらねばと奮い立ち、とにかくがなろう、でかい声を出そうが信条なので自分の持てるもの全てをぶつけました!

いろんな人とも会えた。いろんな話をした。
まだまだ至らない僕ですが、他の演者さんに刺激を大いに受けたし、なにより大人になってたくさんの人と集まってなんか楽しいことをやる、みんなで空間を作る。これがあるから音楽はやめられない。

もはやライフワークなわけですね。

それでもやっぱり、見てくれる人がいたり自分の伝えたいことを伝えるためにはもっと頑張らなきゃいかん。と思えた日でもありました。

そしてだいぶ酒に飲まれてしまったようで申し訳ない、、、。

さて、先日10年来の友人とこんな話をした。
「苦しくなったら初期衝動を思い出すんだよな」
音楽なり絵を描くことなり、文章を書くことなり創作の形はいろいろあれど、やっていれば確実に思い悩んだり、嫌になることもある。
避けては通れない道である。
そんな時やめてしまうのは簡単だが、ほっぽり投げるのはなんだか悔しい。

だが、初めてギターを握った時の。
ベースでもドラムでもいい。歌でも。

あの時の"革命を起こしてやるんだ"という初期衝動は誰でも不変なものだと思う。

苦しくなるといつも原点に帰るようにしている。苦しいことばかりだが。

初めて銀杏BOYZを聴いた時
初めてナンバーガールを聴いた時。
ハヌマーンを。andymoriを。Syrup16gだったり、The Novembersだったり。ゆれる。赤い公園。或る感覚。そしてフィッシュライフ。

それがソニックユースかもしれないしNirvanaかも、レッチリであったり、ジザメリやマイブラ、ライドかそれかクラッシュかも。オアシスかもしれない。

各々色々なアーティストに対して、曲に対して思い入れがあったり。

CDプレイヤーの再生ボタンを押した時の脳天を稲妻が突き抜けるようなあの衝撃。

あれを初期衝動と俺たちは呼んでいた。

この10年で友人にも俺にも様々な生活の変化があった。いいことも悪いことも。現在進行形の悩みや喜びも。

突き動かすのは昔どこかで抱いたあの初期衝動だけ。

俺たちにとってはそれでも十分すぎる刃なのかもしれない。

苦しい時、辛い時は初期衝動を思い出してみるのもいいのかもしれない。

正直、未来のことを考えると不安になることばっかだ。でもせっかく生まれてきたのだから最後には笑いたいじゃないっすか。

だから今自分の歩幅でよい。他人と比較することも無理に寄せることもしないで着実に進んでいくのだ。

今日はそんな感じ。

改めて先日のライブは皆様ありがとうございました。

もっともっと僕にとってのいい音楽を届けられるように頑張ります。

またねー。

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