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つまり精密機械を操作しているときの我々の重要な感覚は、インプットした動作がアウトプットとして反応してくることが重要なのである12/6NEW!


かつてのように、カメラとともに世界の果てまで行きたいと言うのではないのだ。「写真家とは世界の果てに冒険に行く種族ではなく、自分の中に深く降りて行く人々である」(田中長徳(2001)「日本名作写真59+1」アルファベータ、p256)ことを確認できる、そういうデジタルカメラを夢見てみる。このことこそ、「ライフスタイルに埋め込まれたカメラを追究する」ということができる。

自然にやってください。

自然に浮かぶ手を指すだけでなんとかなる。

王道の極み‼️ by藤井聡太竜王

写真機も同じであればどれほどいいことか❗️

そのカメラを使って撮影する写真家への憧れから、まねることで自分にとってのカメラスタイルを確立していけたフィルムカメラ時代がかつて存在した。

数あるデジタルカメラから、絞り込む前提となる経験を積み重ねる必要を感じていたので、、有り合わせで充分かどうかの検証作業を並行しつつ絞り込もうと考えた時期は、毎日違うカメラを持ち出した。その結果、自分の経験の範囲内ではあるけれども、カメラの違いによって、自分の写真自体にはさほど大きな変化を感じることはなかった。(田中長徳(2020)「カメラはどこのメーカーのを使おうが写真が上手くなると言う事は無い。 あるいはカメラはどこのメーカーを使おうが写真はよく映る。」チョートクカメラノート2020年10月10日)
しかし、自分にとっての使い勝手とかフィット感には受け止めに大きな違いを感じることができた。

ということからすれば、絞り込んで自分にとっての唯一無二の写真機の追求には、このような価値づけができるのではないだろうか?

そして、いま、ライフスタイルを背景に持たないデジタルカメラは触りたくないな。ニコンゼットシリーズが出る前にフェイクニュースでニコンエス型をデジタルカメラ化した画像が出ていて期待したんだけどね、というチョートクさんの言葉がそれを象徴する。


エプソンR-D1のことをエプソンらいかと呼び、唯一無二の写真機とするわけ

エプソンらいか+ロッコール21ミリでノーファインダースナップを基本としてきた。


生き方=写真=カメラといえる数少ないデジタルカメラとして位置づけたい。

田中長徳(2013)「CAMERA magazine 2013.8 リニューアル第1号!永遠のカメラ少年たちへ!」


ライフスタイル=写真スタイル=カメラスタイルとなるように、使う側が要望したり、カメラの作り手が提案したり、相互交流したりして構築・創造すべきことであるはずのことなのだ・・・。しかし、なかなか実現するに至らなかった。


つくってほしいなという、使い手の身になって、収益を度外視してでもこの世に送り出そうとしてがんばってくれたという受け止めができる。


趣味性の高いレンジファインダー式デジタルカメラは、つくったところで、金持ちが話題作りのために買おうとするか、レンジファインダーをフィルムカメラ感覚でデジタルカメラでも使いたいというニッチなニーズにとどまる、そのため、利益が見込めないと二の足を踏んだり、そもそも製造するつもりのあるメーカーは、ライカ以外であれば、コシナ、安原製作所、そして、エプソンくらいのものであった。やはり、コシナのベッサを原型としたところは、目のつけ方がすばらしくニッチなニーズをつかんでいると感じる。

もしかすると、ライカ(Leica)が世界初のデジタルレンジファインダーカメラを出すのでは。 そんな予想を裏切って、世界ではじめてのデジタルレンジファインダーカメラを生み出したのは、日本のEPSON(エプソン)だった。予想を裏切って、というよりは、本当につくりたいカメラはつくらせてもらえないという現実を受け入れざるを得ない企業に身をおくカメラ好きの技術者では、とうていかなわぬ夢で終わっていたことをやってのけたのは、エプソン。まさに夢のカメラを出してくれた偉業は歴史に残るだろう。


世界初の唯一無二のレンジファインダー式デジタルカメラとしてこの世に送り出された。


デジタルカメラでライフスタイルを感じるようなカメラスタイルが欲しいね、という願いをかなえてくれているのがエプソンR-D1であるな、と受け止めることができる稀少なカメラである。

手に持って眺めるだけでもいいなあと感じることも重要なポイント!?

(形而上学的思索に資する装備・機能・デザイン)=(カメラスタイル)の写真機ということができるからである。

この写真をR-D1で撮影して、セレクトできたときの感覚を忘れることができない。。。

自分の写真の基本はストレートフォトグラフィ。いわゆる、コンポラ写真である。・・・この世界がなんであるかを哲学する(形而上学的思索)というライフスタイルにぴったりと適合する写真スタイル。

ならば、その写真スタイルに適合するカメラスタイルとはいかに・・・

ここに、生き方=写真=カメラといえる数少ないデジタルカメラとして、エプソンR-D1が浮上したわけだ。

エプソンR-D1に田中光学タナー35ミリをつけて撮るのも好き

哲学的思索に資するという観点には、手に持った質感・見た目のデザイン、アフォーダンスという指標をあげたい。

素振りで視神経のトレーニングができていた。。。キエフ5+田中光学35ミリ

シャッターを切って、手で巻き上げて、次の撮影に移行する。 そのリズムを体感できるデジタルカメラは、EPSON R-D1シリーズをおいてほかにない。


ロッコール21ミリをつけてノーファインダースナップ


また、アナログメーターのフィルムカウンターが残量を正確に示してくれる。あと何枚で撮影終了なのかがわかることはある種の緊張感をもたらす。デジタルではなかなか味わえなくなってしまった、かつて習慣化していた感覚を呼び覚ましてくれるのだ。


かつてミラーアップしたミノルタSR-1にロッコール21ミリでノーファインダースナップした感覚


源流は、父の魂ミノルタSR-1なのだろう。60年余りにわたる時間軸の流れの中で、このカメラスタイルこそ、マイライフスタイルに埋め込まれ一体化しているということができる。


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