エドガーケイシーの凄いところ

 エドガーケイシーの凄いところ


 エドガーケイシーのもの凄いところはその術どころを「物理的な方法」によって確立したところにある。つまり仙道とかでは、「呼吸を使い自立神経と筋肉の緊張と解くことでホルモンを自在に操るのじゃあ」とか「丹田で気を練り、それを身体の中でまわすのじゃあ」とか「気で3つある結節をぶちやぶるのじゃあ」とか話だけきくと間違いなく「あぶない人」だと思われる。私もそう思う。
 ところがですよ、エドガーケイシーでは食事をこういう風にして、この割合でどの生野菜を何対何で食べるとか、この症状に関してはこの素材をこういう風に調合しこうやって使うとこうなる!。とその後物理的に行うことで効果の出方を語っているところに面白さがある。さらにそれに対してもしっかりと理由を説明している。つまりだれでも行うことができる。これが今までの私が人に教えることに苦心してきたものとの違いだ。さらに、精神的分野でもしっかり成長する方法が確立されている。さすがホリスティック医学のオパイオニアなんである。
 しかもこれが全てリーディングで降ろされたものだという。ここで唯物論者の私がこのリーディングの裏を推測してみようと思う。

エドガーケイシーのリーディングの正体の推測



①人のみていないところでめちゃくちゃ勉強をした。
これはもう、人がみていないところでめちゃくちゃ勉強をし独自の医学、文学、精神学を確立しそれをリーディングというパフォーマンスで人々へ伝えた。
②二コラテスラに教えてもらった
バイオレットレイという器具を作る際にエドガーケイシーは二コラテスラと交流があるという記事を目にした。とするとあの天才二コラテスラと仲が良く交流の中で知識を蓄えていった。もしくは二コラテスラが何らかの理由で知識の公開をエドガーケイシーを通して行った。
③先進裏医学会の手先として活躍した
医学会にはもう一つ裏医学会というものが存在しそれは現存する医学会と争っており、経験と実験により裏付けされた確かな方法としてあったが表医学会に出すことができなかった。それゆえエドガーケイシーという人間を使い新しい医療として世に知らしめた。

それに対しての反論


①に対して
まず人のいない場所でめちゃくちゃ勉強をしているなら、それだけ大量の本や他の人間の証言がでてくるはずである。それにこれは言わないでねといってお金を握らすほどエドガーケイシーは裕福ではなかった。
②に対して
二コラテスラが自分の中の知識を全て与えたとしても、来た人間の状態を瞬時に読み解きどこが悪くどうすれば良いかという判断ができることは相当の経験と能力を要する。それならば普通に医者をやったほうが面倒くさくないし、お金持ちになれる。
③に対して
現在においては利権等でそっちの世界とかあっちの世界とかはまああれだが、当時あれだけの知識をこの方法で世に出す必要があったか。もしやるなら大体的に広める方が効率が良いだろう。その方法が一人一人の個別診療(しかも時間限定)からって西川きよし師匠もコツコツすぎるやろと突っ込み入れるレベルである。

自分を論破しての結論とまとめ


リーディングは行われた。と私は思う。あとその方が面白い。
実際に危機的状況から救われている人がいて、私も不調が良くなり毎日の気分と体調がすこぶる良いのでどうであろうと関係ないのだ。ケイシーさんありがとうございますってことなのだ。あと光田秀先生の話、あれも聞いていてとても気持ちが良い。あの方の優しさは地獄の業火で一度焼かれて焼きが入った器の優しさである。もう唯物論者、人生苦慮、からの精神性開花ってそのまま小林正観さん、光田秀さん、にゃんさんじゃないかい!(自分を入れるな)ってところであれ?だいたいそういう人ってこういう人生歩いてきているのかな?って思った。他の人にもそんな共通項があるのかもしれない。それを探ってみるのもいとおもしということで今日はこれまで。
側溝掃除のことを町内の班長さんへ聞かなきゃならんのでまた。



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