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エリザベス二世の葬送から見る英国と日本(王室と英国国教会)


エリザベス女王の葬儀が英国国教会の形式で行われたのが興味深い。前稿同様に「英国を手本」が妥当なのか、考えてみる契機にするのも良いかもしれない。

今回の葬儀での英国国教会の印象深いシーンを振り返る。式次第(ウェストミンスターの公式)

https://www.westminster-abbhttps://www.westminster-abbey.org/media/15467/order-of-service-the-state-funeral-of-her-majesty-queen-elizabeth-ii.pdf

英国国教会の主席聖職者であるカンタベリー大主教ジャスティン・ウェルビーの説教

説教部分の解説はクリスチャントゥデイで確認できる。

リズ首相の聖書朗読(ヨハネによる福音書第14章1~9節)

朗読部分は以下。

聖歌についての詳細は以下からも確認できる。記して感謝する。

エリザベス女王の葬儀で英国国教会の宗教文化の持つ荘厳さには素直に感動した。一方で、エリザベス女王の国葬をTVが生中継したがウェストミンスターを「王室の結婚式や葬儀を行う所」と解説していたが、勝手に結婚式場兼葬祭場として解説するのは問題視すべきレベルだろう。そもそも「英国国教会という宗教施設」だし、女王(国王)は英国教会の最高統治者だそもそも英国国教会は、16世紀のヘンリー8世離婚問題から端を発し、「英国王室が作った御用キリスト教宗派」の側面がある。(拙稿参照)

このため、儀式などでは英国国教会の形式だ。また、英国史のポイントでは英国国教会とローマカトリック、清教徒(ピューリタン)の相克から、国王と議会の関係に英国政治史の争点の中心軸が移る。

さて、日本について考えてみよう。最近有名な(?)弁護士もこんなことを言っていて、非常に違和感を感じる。

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紀藤正樹さんのツイッター

これを始めとして日本の憲法学者や法曹関係者が、フランス憲法-ライシテをモデル(教科書)として、日本のありかたを上から目線で「叱る」形が多い。(ライシテについて簡単な説明が以下リンク)

筆者からすると、首相の神社参拝や、皇室の行事にまでケチをつけられることが異様としか思えない。むしろこの点でフランスではなく英国モデルを参考にするほうが日本に即しているとも言える。フランスを持ち出して参考にするのは唐突だし理解に苦しむ。実際フランスのライシテを参考にするなら、宗教系大学への私学助成は全面カットを主張するのが筋だ。

なお、英国のチャールズ新国王は法制上は英国国教会の首長(Head)であり、信仰の擁護者(Defender)とされる。しかしエリザベス前女王時代に、擁護すべきものは他の諸宗教の信仰も含めるとされ、その方針を新国王は受け継ぐとスコットランド等で宣言したとの報道もある(上記参照)。英国国教会での葬送儀礼と、他宗の信仰は対立も矛盾も葛藤も無い。日本のフランス出羽守憲法学者はこういう面は意図的に無視している。

さて、葬儀形式に戻るが日本の場合は、明治までは皇室で真言宗の葬儀も行われており、「御寺」と呼ばれる泉涌寺で供養が行わてもいる。(現在もあまり知られていないが行われている)

しかし、明治に入り西洋からの圧力もあり、キリスト教を含めた形で各宗派の等距離を保つ必要性に迫られた。実際、幕末には薩摩藩は浄土真宗が禁止されていたし、長州藩は西本願寺の支援を受けてもいた(新選組からの避難場所提供)。そうした中で各宗派間で等距離を保つ知恵という側面もある。そこで明治政府がひねり出したのが「神道は宗教ではない」という論理だ。現在でも「神道は宗教なのか?」が論点になるが、その発端の一つでもある。筆者の表現では「明治新政府が介入して神道を御用宗教に仕立てた」と言ったところだろうか。

誤解される方も多いが「国家神道」なる呼称は戦後のGHQの神道指令に発する。これまで「神道は宗教でない」と言う建前が、キリスト教の布教を考えるGHQとしては不都合だったという事情もある(ちなみに国際基督教大学設立にはGHQの意向を踏まえている。)

昭和の終焉に伴い行われた「大喪の礼」で非常に印象的なのが、国家行事としての「大喪の礼」と皇室の私的行事の「葬場殿の儀」の二本立てと言う構成だった。

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大喪の礼 

まず、幔門(門に見立てられた黒一色の幔幕)が閉じられて鳥居などが設置され、皇室儀式である「大喪儀」を行い、再び幔門が閉じられ鳥居等が外され、内閣官房長官の小渕恵三が「大喪の礼御式を挙行いたします。」と開式を告げ、国家儀式である「大喪の礼」が開始された。

大喪の礼にあっては「政教分離」の問題の指摘が沸き上がり、宗教色の強いとされる儀式を「皇室の私事」として、行うこととなった。ここで内閣法制局の指摘などを含めて考え着いたのが「ローラー付き鳥居」だったようだ。

役所のことなかれ主義、「足して二で割る」自民党的な発想、これらの集大成が「ローラー付き鳥居」に結実したある意味滑稽な、さみしい風景だった。

エリザベス女王の葬送で、日本の葬送儀礼における宗教文化のあり方を改めて思いだした。


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