幸せの価値基準 娘との日々

思春期早発症の娘の治療で、クリニックに行った。
性ホルモン抑制剤を注射。痛い筋肉注射。
(この治療をしている意味にも、今度深掘りして書いてみよう。自分の気づきのために。)
背が、伸びない。
低身長のままで、止まってしまう。
10歳の娘にはどう聞こえるのだろうか。
治療始めて半年。
迷いや欲も出てくる。

幸せの価値基準は、どこにあるのだろう。
背が将来的に140センチ半ばで止まるだろう、とわかっていて、
でも身長や容姿が整っていたからと言って、幸せになるとは限らないし、
逆に背が小さくてぽっちゃりしていても、人生に満足して生きていける人もいるし。

誰かの何かで読んだ
「どっちでもいい、どちらを選んでも一緒、どうしたってうまく行くしうまくいかせる。」の言葉。
幸せか否かというのは、自分が決めるのであって、一般が決めるのではない。
大事なのは、一つに執着しすぎないこと。
執着は、ナンセンス。

現在の娘は、笑顔にあふれていて、友達もたくさんいて、悩むことや壁にもぶち当たるけど、だれかがいつも助けてくれる。また、逆の状況では、迷わずだれかを助ける。正義があって、いい塩梅で適当。

これ以上ないくらいの、安定した人間性。
愛を知っているし、痛みも知っている。
このこと自体が大事なんだよね。

その状態に身を置くための方法が常に違うから、その波目を読み間違えないようにすることが、大事なのかなぁ。

親として何ができるのかわからないけど、
私は常に娘に憧れている。
その気持ちでいられれば、自ずと方法は見えてくるんじゃないかなって
ポワンと思っているのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?