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「ゲド戦記」ジブリアニメ感想

公開 2006年
監督 宮崎吾郎

公開当時観たときはパッとしない印象でしたが
今回、細かいこと気にしないで素直に観たら意外とよかったですよ~。
前回は、意味不明なことが多く、雰囲気映画だな。
と一蹴して終わってた気がしますけど、
今回は意味いろいろわかったかもです。
ていうかテーマ、モロ、セリフで喋っちゃってるし。
そこ、最大のディスリポイントにもなるけど・・・
それも素直に受け入れれば、言ってることは悪くないし
ストレートでいいですよ。変にクールぶってるより。

‼‼以下は超主観的(ネタバレあり)解釈です‼‼。

まず冒頭、アレンが父親である国王を殺して逃走するところから始まるのですが。この父親殺しはなぜか?
そもそも子供も観るアニメとして主人公がいきなり親殺しとは、そこから入り込めない・・と、ネット上でも相当物議をかもしているようですが。
深く考えないでスルーしましょう。
のちのち、ああそういう事かとわかります。
逃走したアレンが狼に囲まれて、急に顔つきが変わり撃退するシーン。
テルーを助けようとしたとき、急に強くなって人狩りを撃退したシーン。
この辺りで、おやおや、そうかとわかります。前回観たときは分かりませんでした。多分最初の親殺しの段階で引っかかって眼鏡曇ってたんでしょう。
アレンは二重人格です。殺したときはダークサイドの人格に取りつかれていたということです。
王子としてのプレッシャー、閉塞感、自分の心の弱さが闇の人格に付け込まれてしまったという事でしょう。
吾郎さん自身の、駿さんに対しての呪縛を断ち切るという意味も、どうしても感じてしまいます。勝手な勘ぐりですけど。

この作品、心の陰と陽、生と死。このあたりがテーマかな~となんとなく思いながら見進めていくと
ハイタカがセリフで言っちゃいます
「アレン。死を拒絶することは、生を拒絶することでもあるんだぞ」
おいおい、とも思いますが、菅原文太に(ハイタカの声)言われたら素直に聞くしかないですよ。

ゲド2

そしてラスト。
テルーは竜だった。
あのポスターのシーンです。
竜になったらもう人間の姿に戻れず、テルーは竜の世界に戻っていく。
あれは、アレンと竜になったテルーのせつない別れのシーン?
かと、思いきや
急に人間の姿のテルーに戻って、ハイタカ、テナーと合流して元通りの生活に。
で、めでたしめでたし、おしまい。
とはなんだ????思わず目がてん・・・。
だったのが前回観てパッとしない印象が残った最大の要因でしょう。
今回はそこも気になりませんでした。
人に戻ったからと言っておかしいとはいえないですから。
そんなこと言えばもともと人が竜になったりすること自体がおかしいし。

これもハイタカのセリフで言っちゃってるんですが
「森羅万象は均衡によって成り立っている」
ジブリ作品全体的に流れる、人のエゴへの戒めと自然への畏敬の念はこの作品にも脈々と受け継がれていると感じました。
ジブリ作品を見ると
自然を敬い、驕らず、質素に生きようと思えてくるんです。
そこが好きです。
元通りの普通の生活に戻ってめでたしめでたし、というラスト。
普通が一番
それを描きたかったのではないでしょうか。

ただ、国王を殺してなんのお咎めも無し?は腑に落ちませんが。
まあそれはのちの話ということで・・腑に落としましょう。

冒頭、父殺しのシーンで駿さんに反発した吾郎さん。
ラストでは結局、駿さんの意志を受け継いで敬意を示したようにも感じられます。

吾郎さんは、作品を私物化してるとか
駿さん曰く、子供っぽいとか(作品内容ではなく制作姿勢がという意味)
言われているようですが。
そんな吾郎さんの泥臭さが、逆になんか心にしみるんですよ。
最近、僕の中で吾郎さん作品、赤丸急上昇です。