「ものつくる病」に寄せて

にゃにゃんです。

以前、「ものつくる病」という短編SF的な文章を投稿しました。

SFなので「現代の社会とは一切関係がありません」と書いたのですが、少なからず現代の社会に影響を受けて書いたような気はするので、今回は背景の解説です。

この記事は私の知識の範囲で私の理解によって書いたものです。色々な考え方があるでしょうから、あまり鵜呑みにしないでください。


ロストテクノロジー

この作品の主題は多分、ロストテクノロジーだと思います。私自身が技術を志す人間であるからか、私は技術が失われることについてとても関心があります。


体の貧弱さを補ったもの

人類は他の動物とくらべて、その生身の体は妙に貧弱に私には感じられます。そんな体で現状まで繁栄できているのは、技術がどんどん発展していったからであろうと私は思っています。

「繁栄」の定義は色々あるでしょうが、とりあえず人口の増大を考えてみましょう。

わかりやすい例を出せば、科学に寄った例ではありますが、ハーバー・ボッシュ法でしょう。端的に言えば、これはアンモニアを生成する手法なのですが、この方法が発明されたことの人類に与えた影響はおそらく絶大でしょう。
人口が増えればもちろんその分だけ必要な食糧が増えます。ただ、地球の大きさ、さらに言えば農地として使える土地は有限です。この制約をどうにか解決したのが、ハーバー・ボッシュ法であると言われています。
農地が有限であるならば、同じ広さの農地でより多くの作物を作れるようにすれば良くて、それに必須なのが肥料、窒素化合物です。ハーバー・ボッシュ法は、空気中にある安定した窒素を使って、窒素化合物であるアンモニアを生成できます。これができたことによって食糧問題が大幅に改善されたと言われています。

もっと昔の話をすれば、石器も技術の塊です。若干風が吹けば桶屋が儲かるような話ですが、人類が石器を発明してそれを徐々に改良しながら様々な用途に使ったことは、結局人口の増大に貢献したでしょう。

「繁栄」の定義として、生活の豊かさを挙げれば、掃除機、洗濯機などからスマホまで、辺りを見回せば技術の恩恵に溢れているでしょう。


継続的な人口減少が近い?

日本では少子化問題、人口減少問題が叫ばれて久しいですが、地球全体で見ても、人口の増加は徐々に鈍化していき、2100年頃には頭打ちになるようです。詳しくは少し古いですが以下を参照してください。

一部の報道ではすでに言われていることですが、そのうちに世界人口は継続的な減少に転じると思われます。

「ものつくる病」で「あの一件」として登場したのが人口の減少です。ただ、この作品では特にわかりやすくするために何らかの突発的な減少による著しい人口減少を念頭に置きました。


技術は不安定で儚い

私は技術に対して不安定さとか儚さとか、そういった感情を持ちます。

不安定さについて

大前提として、自然ではまず起こり得ない現象をどうにかこうにか引き起こすのが技術だと私は思っています。

例としてモーターを出しましょう。自然界に都合よく絶縁された導体が、しかもぐるぐると巻かれた状態で存在するでしょうか?もしかしたら稀に存在するかもしれませんが、まず見かけることはないでしょう。さらにそれに都合よく電流が流れるでしょうか?そしてさらにさらに都合よく近くに永久磁石があるでしょうか?モーターは人間が意図的に作らない限り、まず存在しない代物だと思います。

ロボットを作ったことがある人なら、もっと身近な例として、メンテナンスなしでスムーズに動くロボットなんてないことがわかるでしょう。ロボットがうまく動くなんて、むしろ珍しいことなのだと私は思います。

自然ではまず起こり得ない現象を人間の手によって意図的に引き起こすのが技術なら、技術を使って作り上げられたものは例外なく不安定で、すぐに壊れるだの、動かなくなるだのするでしょう。

私のイメージでは、技術というものはまさに鉛筆を尖っている方を下にして机の上に立てるようなものだと思います。工学系・情報系の方はピンと来たでしょう。倒立振子/カートポールのようなものを実現するのが技術なのだと思うのです。

儚さについて

そして技術は儚いものです。

本質的に不安定なものをどうにか実現させるのですから、技術を使って何かを実現するにはまさにそれなりの技術力が必要です。そしてその技術力を支えるのは簡単にアクセスできる情報です。

簡単にアクセスできる情報として真っ先に考えられるのは自身の記憶でしょうが、私の経験上、自分の記憶なんてあてになるものではありません。下手したら数時間で複雑な技術の手順など忘れてしまいます。そもそも自分の記憶の量なんてたかが知れています。そこで頼りにするのが、外部の簡単にアクセスできる情報、代表的なものはインターネットや本です。

私は電子工作を嗜むのですが、電子工作においては結構「謎な個人ブログ」が有用なことが多いです。もちろんデータシート(電子部品の仕様が書かれた紙)はありますが、データシートからは読み取れない躓きポイントなどがこの謎な個人ブログに書いてあることが多いです。

しかし、この個人ブログこそがまさに儚さの象徴のようなものなのです。わかりやすい話で言えば、2019年末にYahoo!ブログのサービスが終了しました。これによって多くの個人ブログに簡単にアクセスする手段が失われました。

大手のサービスとは言え、その存続は保証されたものであるわけがありません。Yahoo!ブログは実際に終了してしまった例ですが、私自身が今この記事を書いているnoteだって、もし仮にサービスが終了することがあれば記事は簡単には読めなくなってしまいます。

本についても、物理的に存在しているから大丈夫と安心してはいけません。目的の本を持っていればまだ何とかなるかもしれませんが、いざ本を買うとなると、絶版という壁があると感じています。技術に関する細かな情報なんて、そもそも需要がそれほどにあるわけではないでしょう。そうであれば、出版社が儲けに繋がりにくいと判断して絶版にしてしまうことは容易に想像できます。

「ものつくる病」では、こういった話に加えて、石板と対比して情報の保存媒体の儚さにも言及しました。私が今使っているパソコンにはSSDとHDDがついていますが、例えば金槌で思い切り叩いて壊せば情報は取り出せなくなってしまいます。前述の通り、この作品では突発的な人口減少を念頭に置いたので、情報を記録する世界中の様々な媒体にも何らかのダメージが加わったという想定をしました。


緩やかな人口減少でも技術は失われる?

「ものつくる病」に描いた突発的な人口減少でなくて、緩やかで継続的な人口減少でも、徐々に技術は失われていくと私は考えています。

まず、人類全体で人口が減少すれば、技術を志す人の数ももちろん減るという点です。技術は言語化すれば良いというものではなく、実際に手を動かして使ってみることが大事だと私は考えています。そのため、技術者一人の得意な技術領域はある程度狭いものになりがちだと思います。ですから、技術者が減ればそれだけ個人が担当すべき領域が広がり、徐々にその領域を維持できなくなって技術全体が衰退していくと思うのです。

さらに、特に本などの媒体では、技術者自体が減ればそれだけ出版社にとって技術書は採算に合わないものとなっていきます。
私はよく「日本語で技術書が読めることに感謝」とツイートしていますが、短期的には日本の人口が減って日本語で技術書を読みにくくなり、長期的にはそもそも技術書が入手困難になるのではないかと考えています。


技術を絶やさないための取り組みがある

「ものつくる病」にて、「北を掘れ、そこに宝がある」という言葉が唐突に出てきました。実はこれには元ネタがあります。

技術分野でも特にプログラミングの領域においてよく使われる、書いたコードを管理するサービスとしてGitHubがあります。そのGitHubがGitHub Archive Programというプロジェクトを行っています。初回は2020年に行われました。

これは何かと言うと、まさに何か有事の際、今の技術が失われたときに、安全なところに保存してあるコードを参照できるようにする取り組みです。
具体的には、北極圏の非武装地帯にコードを埋めてしまうというプロジェクトです。詳細は以下を参照してください。余談ですが、私が書いたコードも埋まっています。

「ものつくる病」に出てきた「北」とは、これを念頭に置いた表現です。

さらに、GitHub Archive Programでは膨大なデータを圧縮してQRコードに変換して埋めたそうですが、それを復元する仕組みに相当するのが「ものつくる病」に「なにやらよくわからない、昔の技術を使って探し当てた」として登場した技術のつもりです。


技術を維持/復活させる道?

突発的だろうが緩やかだろうが、人口減少で技術が衰退する可能性があることは前述の通りです。では人口が減った状態で技術を維持/復活させる道はあるでしょうか。

ここでハーバー・ボッシュ法の話を思い出していただきたいです。「農地が有限であるならば、同じ広さの農地でより多くの作物を作れるようにすれば良い」と書きましたが、まさにこれと同じことを私は思いついたのです。

定義にもよりますが、例えば日本のIT技術者について言えば、2010年には約70万人しかいないようです。日本の人口は約1.3億人なので、IT技術者の人口に対する割合は0.54%程度です。
データは以下です。

https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/shomu_ryutsu/joho_keizai/it_jinzai/pdf/001_04_02.pdf

ITに限らない技術者はもっと多いですが、どちらにせよ割合はかなり低いでしょう。

人口に対する技術者の割合を上げたらどうなるか?さらに言えば、極端に、人口の全てが何らかの技術業務に従事するなどということになればどうなるか?というのが「ものつくる病」における設定です。


技術を維持/復活させることが最適か?

「ものつくる病」では、掘り当てた技術を使って人類をみな「ものつくる病」に仕立て上げました。その結果、この物語の語り手はこの作品のようなことをボヤボヤと考えているのです。この作品ではこの語り手のように技術に疲れきった人が多く存在することを示唆しました。

私は、技術は好きな人が好きなときに好きなだけやるのが一番楽しいと思っています。

技術を復活させることに躍起になるあまり、結局人類全体の幸福感が失われてしまっては、なんだか意味がない気が私はします。

でも、だからと言って技術が失われてしまっては幸福感だの呑気なことを言っていられなくなるかもしれません。

結局どうしたら良いのか。私にはわかりません。だからそれをたくさんの人で考えてみたいのです。そんな提案をする作品が「ものつくる病」でした。

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