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【東京日記】神田を歩く、3月下旬。

歩道橋の階段を下り、電線工事をしている路地を4分ほど歩いた頃、
ようやく方向が間違っていることに気が付いた。

スマホアプリの地図を開き、歩いてきた道のりを確認すると、
現在地は、目的地がある東口から駅を挟んで見事に反対側を指していた。
やってしまった、と途方に暮れそうになったが、
来た道を引き返すのはどうしても気が向かず、
一本先の大通り沿いに駅の方へと戻ることにした。

今宵、私は神田駅から10分ほど歩いたところにあるカフェに行くつもりだ。
そのカフェに行き、美味しいと評判のコーヒーを飲むためである。

私は今年、25歳になった。
コーヒーと音楽を愛する、どこにでも居る平凡な女だ。
気がつけばアラサーに突入し、周囲からは結婚の報告が聞かれ始めた。
私もそろそろ焦ってもいいのかも知れないが、
半年ほど前に、長く付き合っていた人と別れて以来、
そういうこととは無縁な日々を過ごしていた。
また、つい数日前に3年間勤めた会社を後にした。
今は有休消化中ということである。
そんな折、せっかくの平日休みだからと昨晩急に思い立ち、このカフェに行くことを決めたのであった。

一心不乱にカフェを目指し、これは散歩だ、ウォーキングだと思えばいい。と苛立つ心に言い聞かせながら
両腕を大げさに振り、ビルが立ち並ぶ大きな道をずんずん進んでいく。

どこからかお茶の良い香りがしてくる。
私は発生源を知りたくなって、あたりを見回すと、
すぐ左手のビルの1階に、オフィス街には馴染まないお茶屋があった。
店頭では白髪交じりの店主が、湯気が立ち上る銀色のマシンを回し、
その横には、まだ温かそうな沢山の茶葉が大きなざるの上で気持ちよさそうに寝かされているところだ。
この店はきっと、何十年もここで神田の街の変遷を見守ってきたのだろう。
そして横切る時更に香りは濃くなり私の鼻腔と、棘ついた心は急速に幸せに包まれていった。

神田の町並みは不思議だ。
大半が首都高速と同じくらいの背丈のビル群であるが、
街角には昔ながらの商店や町工場が残っている。
しかも、そのどれもが活き活きと稼働している。
それらは私が生まれるずっと前の高度経済成長期の日本を想起させるが、
何故だか懐かしい気持ちになり、私はこの街がわりと好きだと思った。

度々スマホで位置を見ながら15分ほど歩き、ついにカフェへ辿り着いた。
店が入居する建物は、壁面がコンクリート調のモダンな感じがする商業ビルだ。
看板の表示を確認してから外階段で2階に上がり、ガラス張りのドアを引き、店へと入った。
「いらっしゃいませ」と若い男性店員が、私に気付き遠くから会釈をした。

店内は先客がいないように見えた。
昼時のオフィス街だから座れない可能性も考えたが、
2階の外からは目に付き辛いところにあるせいか、平日の12時とは思えないほど落ち着いていた。

まずレジに向かうと、「いらっしゃいませ」と、優しそうな女性店員はカウンター越しに微笑んだ。
本日は、店内で飲んでいかれますか?と聞かれたので、「はい」と答えると、
今の時間は店内の丸いベンチか、テラス席になるが良いかと言われたが、問題ないと私は答えた。
今日は寒さも多少は和らいだ3月下旬の日で、屋外でも問題なく過ごせそうだと思ったからだ。
さて、コーヒーは何を注文しようかと、メニュー表に目を落とす。

つづく

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