ディープイン・アビス 1(ナイアル×プリマデウス)
ナイアル×プリマデウス
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■ハインリヒ・ヒムラー
襲い来る毎夜の悪夢。
身体が爆発したかのような痛み。
暗黒に封じられた棺桶の中で。
俺は、抗いがたい深淵への重力に押しつぶされた。
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一九四四年。
この数字に意味はない。
第二次大戦の真っただ中。俺は“2010年の日本から”、ドイツ北海沿岸にある東フリージア諸島の人工島、そこに秘密裏に作られた、ナチスの軍事施設に訪れた。
「…寒い。」
今回は一人だ。いや、いつも一人の方が多い。
陰鬱な曇天。海から来る風は冷たく、ここに戦火の音は届かないけれども、空気は疲れた時代の匂いを漂わせている。
「ハインリヒ… ハインリヒ・ヒムラーか。」
今回の依頼人に対して、偏見や先入観ではあるが、あまり良い印象を持っていない。
大量殺戮者にして、善良な小市民。狂人にして、子煩悩。
そんな人間性が、どことなく日本人らしさと共通するところがあり、皮肉の中に共感を覚える。
なんでも今回、そのヒムラーは、知的好奇心から“持ち帰ってはいけないものを、持ち帰ってはいけない場所から持ち帰り”、それゆえに、名状しがたい脅威に襲われている… だから助けて欲しいとのことだ。
「禁忌って概念は、日本独自なのかねえ…。」
そんなことはないかもしれないが、少なくとも禁忌を犯す行動、及びその倫理観には、共感できないかもしれない。
あるいは、それを理解してなお、蠱惑的な欲求に抗えないという気持ちなら、分からなくも無いが…。
「よくきてくれた、君がシャラク?まあ、掛けてくれ。」
人工島に作られた、ナチスの軍事施設は大して大きくない。
その中にある医療施設も、せいぜい町の診療所程度といったもので、ベッドに横たわるヒムラーは衰弱していた。
「写楽家久。なんでも屋だ。得意分野は、怪異のクオリア。」
「怪異ということは… フィールドワークは好きかな?」
「好きとか嫌いは無いが、少なくともインドアとは言い難いな。」
「…結構だ。」
「ヒムラー、アンタは随分なオカルティストと聞いている。念のため確認するが、プリマデウスや虚構の世界についての説明は?」
「…それも、結構だよ。人を使える立場上、知識だけなら、君よりも詳しい。」
「了解だ。じゃあ、早速話を聞こうか。」
話が早くて助かる。虚構の世界について、智慧や知識があまり無いプリマデウスの場合、諸々 説明に時間を要することになる。
やれ、個人個人が持つ世界感覚(クオリア)によって、見える世界は人によって違うだとか。
時間と空間は意味を成さないだとか。
知識はスフィアによって受け渡しができるだとか。
正気から見た狂気とは、また別の正気に過ぎないだとか。
キリスト、イスラム、仏教、心理学、ヒンディー、医学、密教、ヒッピー、量子力学、スピリチュアル、儒教、インディアンの訓え、悪魔崇拝、カオダイ… 人や文化によって、あらゆる既存の思想や世界観をベースにして、手を変え品を変え、もう何回 理解してもらうために、あらゆる説明をしたことか。
「僕はアトランティスを探し求め、ついにはそのアーティファクトを手に入れた。しかしそれが原因で、毎夜悪夢にうなされる。海中の悪夢に。そして最近では、寝ている最中に溺死しかけてしまうこともあった。」
「寝ている最中に… 溺死!?」
「そうさ、ナチスの科学力をもってしても、その原因は究明できない。おかげで、もう何日も寝ることが出来ない。寝たら溺れ死ぬかもしれないのに、どうして寝ることができようか。恐怖から逃れるために、神にすがったら、その神は邪神だった。そんな気分だ。」
「そりゃ災難だな。」
「…まるで他人事なんだね。」
「いや、価値観の土台が違うから、アンタほど災難に対しての温度感が高くないんだ。」
「そうか… 君達は思った以上にクレイジーだ。」
「お互い様だよ。」
日本の神は、元は祟り神なんてのは、腐るほどいる。神を鎮めるって概念はあっても、神にすがるってのは… まあ、すがるはいいとして、その神が実は邪神だった!みたいな意見は、そんなこと言われても、“何を今さら”だ。
神は全知全能の善なる存在で、人間を救済してくれるなんて実感は、表面上感じることはあっても、おそらく奥底には根付いてないだろうし。
神も人も、世界も自然も一体であり、その混沌の循環の中で、生き活かされているといった概念の方が、近いかもしれない。
「大量殺戮に加担しながら、その救済としてアトランティスに希望を見出す方が、俺にとっちゃよっぽどクレイジーだよ。神より人間の方が、よっぽど怖い。」
「…ボクを否定するのか。ボクの依頼は受けないのか?」
「ただの歴史だ。否定も肯定もしない。それに、依頼を受けないなら、わざわざこんなところまで来ない。それで?俺に何をしてほしい?」
ヒムラーは釈然としない様子を見せながらも、ベッド脇の棚から、なんとも名状しがたいスタチュー(像)を取り出す。
「それか。また気色の悪いモンを持ち帰ったなあ…?」
「気色の悪い…?ボク達と君達とでは、美的感覚がそんなにもズレてるのか?」
「いや、気持ち悪いだろ。そんなナメクジみたいな…。」
「ナメクジ…!?何を…!あぁ、そうか、そういうことか。」
ヒムラーのその様子を見て、俺もハッとする。
「見え方が違うようだな。アンタには、それは何に見えている?」
「美しいアーリア人だ。」
名状しがたい異形の神が、美しい人間としての姿を持つ。いかにも恐ろしい隠された真実のようなこの概念は、昔話や童話、神話や御伽噺の中でも、比較的によくある普遍的なパターンまでに落とし込まれた、日常の中に一般化されたものだ。
「この像の見え方については、俺とアンタの世界感覚(クオリア)が違うから、違って見えるということでいいだろう。それで?」
「ボクの症状の原因が、この像であることは明白だ。しかし、解決方法として、最適な知見がボクには無い。そのレベルから、君に相談し、そして解決をお願いしたい。」
「ふーむ…。」
破壊する、清め祓う、封印する… やり方は、色々あるだろうが。
「ま、返すだな。勝手に持ち出してすいませんでした。もう二度としませんごめんなさい。これに限る。」
「そんなので大丈夫なのか?」
「アンタのいう神は世界だ。世界に抗おうなんて馬鹿な真似は出来ねえなあ。俺達は世界の中に居る、世界の中で生きていくためには、世界に融け込むしかねえさ。そのためには、世界に抗わず、その流れをよく理解し、要領よく扱うってこった。」
触らぬ神に祟りなし。そもそも、君子危うきに近寄らないでほしいもんだが。
「解った、じゃあそれで頼もう。ボクはこんな状態じゃ流石に行けないが、サポートを出す。」
「サポート?」
「海底に行くための設備を積んだ潜水艦を一艇。それと… 像を返すべき場所に辿り着くための、スペシャリストを一名。」
「スペシャリスト?場所の座標登録みたいなのはしてないのか?」
潜水艦については、あまりくわしくないが、そういうものが、ありそうな気がするが…。
「現実の世界であれば、座標は有効。しかし、虚構の領域では、潜水艦で物理的な固定座標を導き出すのは不可能だ。よって、虚構のコンパスと成り得る人物が必要になる。ボクが行ければ、その役割はボクが担うのだけれどもね。大丈夫、君も名前くらいは聞いたことあるはずだ。信頼のおける人物だよ。」
そう言いながら、ヒムラーは俺に像を手渡し。
次いで、ベッド脇の棚から、一冊の本を取り出して、それも俺に手渡した。
「ホー・セー・アナスン。」
本のタイトルは… 人魚姫。
「アンデルセンだ。」
楽しい創作、豊かな想像力を広げられる記事が書けるよう頑張ります!