ディープイン・アビス 5(ナイアル×プリマデウス)
ナイアル×プリマデウス
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■クトルン・ジャガ・アイジャルック
イエイツに誘われた先の扉、もとい門に手をかけ、俺とアナスンは、開けてその先へ進む。
境界を潜り抜けた先で、俺達を出迎えたのは、竜宮城の従者でもなく、深海のディープワンズでもなく、冷たく乾燥し、哀愁を帯びて吹きつける風だった。
「虚構の世界は、人間の想像を遥かに超えた領域であることにゃ、もう慣れたつもりだったが、流石にこうもイメージと一致しないと、進んでいる場所が、合っているのか間違っているのか分からなくなって、不安になってくるな。」
そこは草原だった。
周囲はやや明るく薄暗く… 朝焼けか夕焼けか… それとも白夜なのか、時間が判然としない。
周囲360度、ただただ草原が広がり、多少の坂や丘といった起伏は有れど、水平線の向こうまで、ずっとずっと草原が続いている。
そして、俺達の目の前には、モノリスのような石柱が、円を描くように配置され、環状列石(ストーンサークル)となっている。
風は冷たく乾いている。
強く吹きつけているわけではないが、優しくも無い。
目の前の場所が、まるで厳かな神前であることを訴えるかのような、静かで、それでいて抗いがたい世界の、とてつもない強大さを感じさせる、厳しい風が、肌を刺す。
「ステップ(平らな乾燥した土地)ですね。」
周囲を見渡しながら、アナスンが言う。
そう、草原とは言ったが、緑の草が生い茂り、風になびいてるわけじゃない。
草は冬枯れしている。そして短い。
「ステップ… だな。なあ、世界が次々と移り変わっていくことに対しては、百歩譲るとはいえ、俺達は海底の神殿を目指してるんだよな?」
「そうですね、グルーンの像を返すべく、海底の神殿を目指していました。しかし…。」
「しかし?」
周囲には何とも言えない雰囲気が漂っている。
いや、漂っていない。
雰囲気は、強いて言うなら虚無だ。
虚無の雰囲気が漂っている。
「しかし、"海底"という言葉は、あくまで私達が、現実の世界の観点で、そう捉えているだけの意味合いかもしれません。」
「俺達は、海底にあるグルーンの神殿を目指して、その場所を掴むために、虚構の世界に入ったと、俺は思っているが…。」
「どこまでが現実で、どこからが虚構か、線引きは出来ますか?」
「いや、分からんな。線を引く意味があるのかも含めて、分からん。」
「"海底"という言葉は、"深く潜った場所"ということなのかもしれません。それこそより深い夢や、何層構造にもなる虚構の世界を潜っていくという意味合いの。現実に近い場所に居た時の私達は、潜ることについて、それはあくまで場所を掴むための手段であり、それを現実に持ち帰ることを目的と捉えていた。しかし、実際はそうではなく、"海底"に行くということは、現実の世界の観点でしか過ぎないのであり、その本質は、潜る事であったのかもしれません。」
「? えーと… つまりだ?海底の神殿に辿り着くってことは、あくまで表面上のことで、本当は、虚構の世界を深く深く潜って行く事を、"海底"と例えたというわけか?」
「"海底"はメタファーだった。端的に言えば、そういうことになりそうです。」
「んー… ということはだ。俺達が辿り着く場所である、海底の神殿というのは、文字通りの海底の神殿ではないということか。」
「実際、私達は海底の神殿ではなく、ステップの環状列石に辿り着いています。」
「竜宮城はおろか、ルルイエでも、海底神殿でも無かったってことか。」
となると、ここはどこだ?
「私達は、悪夢という虚構の世界を経て、ここに来ました。海を越え、旅路を歩き、ここに来ました。ここがステップで… 元々、辿り着こうとしていた場所が、竜宮城、ルルイエ、あるいはアトランティスなど、そういった象徴的な場所を形取る目的地だとしたら。」
「ちょっ… と待て、アナスン。お前が言わんとしていることは…!」
「ここは夢の世界で。このステップは、アジアやモンゴルのような世界感覚(クオリア)を感じさせます。風が冷たく厳しいことから… 低所ではないのかもしれません。」
「ここは、レン高原で、俺達が目指している神殿とは、"カダス"だったとでも言うのか…!」
「そうであるかもしれないし、そうでないかもしれない。ツァン高原やスン高原というものもあるようですし。だがしかし、少なくとも、私達が思い描いていた"海底の神殿"とは、その言葉通り"海の底にある神殿という建物"では無いことは明らかでしょう。」
「ゾッとしねえなそりゃ…。グルーンを覚悟して来てみたら、実はナイアーラトテップでしたなんて、笑い話にもなりゃしねえ。さっさと像を置いて帰ろうぜ。この環状列石が、神殿を意味する場所ってことで良いんだろうな、おそらくは。」
もう現実だか虚構だか判別はつかないため、確証なんてものは無いが。そうなると、今ここで自分が感じている、クオリアだとか、肌感覚のセンサーに頼らざるを得なくなってくる。
もとより、虚構の世界にとって、見た目はあまり重要ではなく、重要なのは、事の本質や意味するところであったか。
「グルーンにとって、海という世界は、夢という世界と同じなのかもしれませんね。」
アナスンは、俺の手からグルーンの像を取り、環状列石の中へと歩きだす。
しかし、その中央に辿り着き、像を置こうとするも、その動きは、まるで見えない壁に阻まれてでもいるかのように、遮られてしまう。
「神域に男性は入れません。そう伺いませんでしたか?さ、像をお渡しください。」
もはや、誰が急に現れても驚くまい。
赤が印象的な、民族衣装。
その布をふわりとなびかせて、辛辣ではあるが、どこが神々しい雰囲気を携えた女性が、いつの間にか、そこに姿を現わした。
いや、姿は元からそこにあったのかもしれない。
俺達が、ただ気づいていなかったというだけで。
「貴女は?」
アナスンが問う。
「クトルン・ジャガ・アイジャルック。テンの皇子(みこ)でございます。」
天の… 巫女?雰囲気は全然違うが、リリゥとも近い立ち位置なのかもしれない。
「私は、ホー・セー・アナスン。貴女はグルーンに仕えているのですか?ここは海底の神殿なのですか?」
アナスンが重ねて問う。
「生命は海から生まれるという考えをお持ちの方が、多くいらっしゃいますが、私達にとって、生命の生まれる場所は、このステップです。ステップは、現実に馬が掛ける草原であり、また夢や冥府と交差する混沌でもあります。そしてここは、ステップで最も深き場所。アナタ方の言う、物理的な場所としての海底の神殿ではありませんが、生命が生まれる場所であり、そこに住まう神を象徴する場所という意味合いであれば、ここは海底の神殿です。」
「グルーンの海底とは夢であり、また草原であり、神殿とは環状列石を指していたわけか。」
「ちなみにワタクシは、先ほども申し上げた通り、テンの皇子(みこ)であり、グルーンに仕える者ではありません。むしろ、テンの命によって、アナタ方の言うグルーンを、エルリク… 地下世界へ封じる者。ステップで最も深いこの場所は、エルリクへの入り口、いわば地獄門なのです。ワタクシは常に、この場所を視ているのです。」
「ヒムラーという軍人の男性が来たと思うのですが。」
アナスンが尋ねると、クトルンはしみじみと頷く。
「ええ、参られました。グルーンとは、もとより悪しき存在では無いのです。旧き神々により、封じられてはいますが、元来 神に、人間の善悪でいうところの概念は無いのです。善神や邪神という見方は、テングリの子達、ワタクシ達、人間の見方でしかありません。」
そして、クトルンはアナスンから、グルーンの像を受け取る。
「この像は、グルーンからヒムラーへの贈り物だったのです。しかしヒムラーは、ステップをアトランティスと誤って解釈しました。それゆえに、グルーンからヒムラーへの愛、恩寵はありのままに伝わることなく、歪んだ形で受け取られ、愛が変化した姿である、憎しみや恨みといった反転、苦しみとして災いをなしているのでしょう。」
「…ということは、ヒムラーの自業自得ってことなのか?」
「一概にそうとも言えません。彼もアーリア学説や、オカルト等の影響を受けているのでしょう。たんに相性が悪かっただけなのかもしれません。しかし、この像を返すことで、グルーンは怒るでしょう。アナタ方は、その脅威に晒されるでしょう。なだめようなどとは思ってはなりません。どちらにも非はありませんが、片方が自分の理想を相手に強く植え付け、そしてその相手は愛で応えましたが、応えた愛は理想とは違っていた。だから返したとなれば、グルーンに落ち度は無いのです。多少、怒りを発散させなければいけないのです。」
「ネットの推しに、勝手に自分の理想を投影させ求婚し、推しもその求婚を吟味したのか、覚悟したのかは知らんが、とにかく受け止めた。しかし、実際会ってみたら、理想と違ったから、求婚を取りやめた。こんな感じか?そりゃ怒るわ。」
「具体的に、私達はどうすれば良いのですか?」
「像はワタクシが返します。その間に、アナタ方は逃げてください。すぐにグルーンは怒り、アナタ方を追うでしょう。追わせて、追わせて、発散させてください。アナタ方が出来ることは、ここまで潜ってきた世界を、ただただ逃げ帰る事だけです。」
「アンタは大丈夫なのか?」
「罪はワタクシの元にはありません。それに、グルーンはテンに守護されたワタクシに、指一本触れることは出来ないでしょう。ワタクシの心配は良いのです。さあ、早くおかえりなさい。幾重の枝の道を抜け、隠れた極彩色の入り江を抜け、木の包まれた帆船を経て、鉄の潜水艦でアナタ方の地上に戻るのです。」
楽しい創作、豊かな想像力を広げられる記事が書けるよう頑張ります!