沈黙の天使とリリスの夜街 1(ナイアル×プリマデウス)
ナイアル×プリマデウス
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■精液と膣分泌液
「ねぇ… 貴女、本当に大丈夫?」
エロース(性愛)、フィリア(隣人愛)、アガペー(自己犠牲愛)ストルゲー(家族愛)…。
愛の形は様々だけれど、私の愛は、無償の愛、無限の愛。神の人間に対する愛であり、その愛に応えようとする愛。魂や霊性の愛。
寛容な愛。慈悲深い愛。妬まず、高ぶらず、誇らない。
見苦しい真似をせず、怒らず、人の悪事を数えず、恨みを抱かない。
預言ならば廃れもしよう、流行ならば止みもしよう、知識ならば無用となりもしよう。しかし、愛は決して滅びない。
人々が永遠に持ち続けられるものは、信仰、希望、愛。
その中で、愛は感情の全てであり、全ては愛。
「男の精液と… 女の膣分泌液…。貴女に集められるかしら…。結構な量、必要よ?」
大丈夫。
私は嫌な顔をせず、かといって恥ずかしさを隠すために苦笑するでもなく、ただ普段のままの表情で、頷いた。
「ええと…、じゃあ、おさらいするわね。」
ここは、中東某国の街、エラ・メロ。
正確な時代は分からない。
エラ・メロの、エラは女神を意味し、メロは満ちるという言葉を意味する。
エラ・メロは、現実の世界に存在せず、現実と虚構のどこかの挟間にある、常夜の歓楽街。
朝の来ない夜に抱かれる街。
しっとりさらりとした砂と、乾いた岩肌の壁。
煌びやかな宮殿で宝石が輝く一方で、薄汚れた路地で死体が燻ぶる。
イラン、イラク、アフガニスタンの戦地に居そうなムジャヒディン(戦士)や、PMC(民間軍事会社)の兵士達がいる一方で、アラビアンナイトに出てくるような娼婦や商人も居たりする。運が良ければ、クリス・カイルやシェヘラザードに会えるかもしれない。
「この街は、“リリス”という… そうね、悪魔の力… 混沌の力を行使するカルト的な組織によって成り立っている街なの。」
私は、ゲーニャ・スチグマティ。神を愛し、神を賛美する歌を歌い、神に愛され、そして声を失って、天使という虚構の存在になった、プリマデウス… 虚構の世界に超越する人だ。
「…で、悪だとか善だとかは、価値観の問題だから、そこにこだわる必要は無いんだけど、少なくとも、エラ・メロという虚構の街は、リリスという悪魔と、そのカルト組織によって成り立ってるわけ。」
純白の羽と、黒のレザーベルトの衣装に身を包んだ彼女は、レオノール・フィニ。混沌の力を活用するシュルレアリスト、芸術家であり、この混沌の街を愛するプリマデウスだ。
「でも、その混沌の力というのは、バランスが大事なんだけど、扱いが難しくてねえ…。最近、リリスの力が強まって、街に活気が無いの。」
私は小首をかしげる。
「ええとね、リリスの力が強まってるってことは、彼女は街の人々の精気を吸ってるってこと。これが厄介で、人々の精気が無くなると、街の活気も無くなる。街の活気がなくなると、この虚構の街という空間にも良くない影響を与えるの。具体的には、街がリリスに吸われてしまって、維持できなくなってしまうってことね。リリスの力を行使しすぎて、街が元気になりすぎても駄目だし、リリスが街の精気を吸って元気になりすぎても駄目。これが、混沌のバランスの大事さね。え?ああ、気圧が下がって頭痛が酷い人とか、うつ病、自律神経失調とかで、動けなくなってる状態の人も多いかな…。私もちょっと、キツイ。」
少し長く喋って、しんどくなったのか、彼女は座り込んでしまう。
「大丈夫、大丈夫、ありがと。でね?リリスの精力吸収に対抗するワクチンを作れるんだけど… その材料として、男の精液と、女の膣分泌液が必要なのよ。」
こくこくと、私は頷く。
「貴女… 本当にわかってる?」
解っている。
私の愛は、アガペー(自己犠牲愛)やフィリア(隣人愛)だけれども、彼女が必要だと言っているのは、エロース(性愛)に近しいものだ。
「精液と膣分泌液は、リリスの影響を受けている者である必要があるの。そこから薬を作るわけだから… まあ、ウイルスに対するワクチンを作る考えに似てるわね。私はあまり詳しくないけど。だからまあ、相手も無気力だろうし、無理やり力づくで襲う必要も無いし、理由を話せば人によっては容易に協力を得られるかもしれないけど…。」
思案気に不安げな彼女の言葉の先を促す。
「ほら… 精気を吸われてるってことはさ、そういう気分の状態じゃないのよ。多分。」
私はシュッシュと、手を動かすジェスチャーを彼女に見せる。
「貴女… なに?淑女ってわけじゃないのね。」
私は神を愛している。
けれども、平和な国に生まれて、裕福な家庭に育って、お淑やかに成長出来るなんて、幸運の星の元にありはしなかった。
虚構の常夜の歓楽街、エラ・メロに生まれたわけではないけれども、私の生まれも、こことは違う中東だ。
母親が男を作ってどこかに行ってしまったり、人のものを盗んで生き延びたり、路上で歌を歌って施しで日銭を稼いだり、物心ついた時には売られてたり、そんな街だった。
そんな街では、多くの人がその日を生き延びるのに精一杯で即物的だけれども、その一方で、そんな状態だからこそ、信仰に救いを求める人もいる。
私はそんな街で育ったからこそ、エロース(性愛)もアガペー(自己犠牲愛)も必要だった。
そして、今 私が虚構の街に至ったのはフィリア(隣人愛)でもある。
「貴女の過去は知らないけれど、それでも手強いわ。何か分からないことがあったら遠慮なく聞いて。そうそう、精液と膣分泌液が手に入ったら、ヒルデガルトのところに持って行って。そう、ヒルデガルト・フォン・ビンゲン。彼女なら薬を作れるから。どこにいるかは… 探して頂戴。」
頷いた後、私は少し思案し、彼女の股を指さす。
「私?どうだろ、症状としては、まだそんなに重くないから、ウイルスが取れるかは分かんない。私から取るより、症状の重そうな人にお願いした方がいいわね。でも、どうしても無理そうなら仕方ないか…。」
そう言いながら、彼女はゴロリと横になる。
「私もだけど、貴方も気をつけなさいね。時間に。あまり時間がかかりすぎると、貴方もリリスの影響を受けちゃって、迷い込んだこの街から、二度と帰れなくなるわ。それと… 今は街全体が無気力だけど、元気な奴は元気だし、治安も悪いから気をつけなさいね。」
いってらっしゃい。
最後にそう言いヒラヒラと手を振りながら、私を見送る。
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レオノール・フィニの館を後にして、通りに出る。
館と言っても、そう大きいわけではない。彼女の個展であり、小さなアートギャラリーのような建物だ。
私はまた、どこかから迷い込んで、気が付いたらこの街に来てしまっていた。
霧の深いロンドンだったか、黄昏時の中国の竹林だったか、デトロイトのガスが漂う路地裏だったか覚えていない。
霧やらモヤやらを抜けた先に、気が付いたら、この夜の砂の街に辿り着いていた。
周囲には、岩肌がゴツゴツした建築物や、バラックの掘立小屋、煌びやかな宮廷然とした建物があり、ピンクやオレンジや黄色といった、暖色系のあわいあかりが光っている。
それは、夜の街の独特な高揚感を感じさせるとともに、ハロウィンのような温かさもある。
けれども、それとは裏腹に、街はひっそりとしている。
不思議な感じだ。
お祭りにやって来て、色とりどりの明かりが灯っているのに、そこには人がまったく居ないという、なんだか空恐ろしさもあるような、チグハグで奇妙な感覚。
…。
まずは、どうしようか。
私の居た街には、大抵夜になると、街角に何人か立ってそうなものだけれども、そもそも精力の衰えている人が、居るはずも無し。
そういうお店もありそうだけれど、そこで相手をしてもらえる状態にある人も、衰えてなさそうだ。
となると、単純に相手をしてくれそうな人を探すスタンダードな方法は、ちょっと難しいことになる。
(そもそも、そういうお店に入れてもらえないかもしれない。)
う~~~~~~~~ん。
「アンタ… プリマデウス?」
考えあぐねていたら、後ろから声がかかる。振り返ると、ボブカットで、ちょっと目つきが悪い女の子がそこに居た。
「背中に天使の羽なんてつけて、そういう感じなの?いや、違うか… アンタ、本当に天使なのね。」
私の背中に生えた羽を、遠慮も無くワシワシと掴んで弄り回す。
「アンタ、プリマデウスよね?どこの誰よ。あ… 羽の代償が声なんだ。ごめんね、私はリデ・イエステ。そうね、精神世界のクオリア(世界感覚)を持つプリマデウス。アンタにとって、この世界がどう見えてるかは知らないけれど、私はこの世界が老人ホームに見える。精力を失った人間達が、死ぬための病床…。もっとも、私の見る世界は、どんな世界であれ、大半が病院なんだけど。で、アンタは何してんの?地面に書ける?私は夢見てる。」
冗談で言っている… わけではなさそうだ。彼女にとっては、この世界に迷い込んだのではなく、まさに単に眠る時に見る夢を見ている状態なのかもしれない。
私は、地面の砂に指を這わせ、筆談で彼女と… リデとコミュニケーションを取ることにした。現実の世界と違って、虚構の世界は、それぞれが持つ言語に関係なく、最低限のコミュニケーションがとれるから便利だ。
彼女はチェコの言葉を話すらしいが、私には難しくてさっぱり分からない。もし、彼女と現実の世界で会って、会話ができるとするならば、おそらくはドイツ語か、西スラヴの言語になりそうだ。
「ははーん、アンタは迷い込んで、リリスの影響下にあるこの街をなんとかしないと、帰ることも出来なさそうだってことか、不便ね。虚構の世界を夢として捉えていれば、出るのも入るのも自由自在なのに。」
精神世界のクオリア(世界感覚)を持つプリマデウスに多くは会ったこと無いが、彼女の言う通り自由なのかもしれない。だがしかしそれは、現実と虚構との境界が非常に曖昧で、なおかつ現実に足が着いてない、非常に悲しい、あるいは危険な状態と言えなくもないのかもしれないのだけれど。
「で、精液と愛液ね。リリスのカルトに行けば確実じゃない?」
…完全に盲点だった。病院に居るくらい重体な人にお願いしようとか思ってた。
「病院?やめときなー、変な病気とかもらいたくないでしょ。アンタにとっても、向こうにとっても不幸にしかならないから。それよりも、カルトのメンバーなら、間違いなくリリスとの距離が近いんだから、絶対影響受けてるでしょ。重症患者が出たとして、それをリリスへの生贄に捧げるために確保してたら、なおのこと都合が良いねー。」
「場所?そんなのクオリアの濃度を探れば、すぐに分かるんじゃないの?あぁ、アンタはまだそれができないのか。いいよ、いいよ、協力してあげる。行こう行こう。」
ありがたい…!私は彼女に感謝の意を示し、彼女に続く。
「お礼?別にいいって、ただの暇つぶしだし。あ、でもねー、理由はあるかな。」
遠慮する彼女を見て、なんて良い人だと思ったけれど、そんな期待を裏切るように、彼女はニヤーーーっと口を曲げて。
「アンタが汁まみれになる姿が見れるのが楽しみかなー。」
目を細めて私を見た。
「私は手伝わないよ?案内するだけ―。」
そう言って、スタスタと彼女は脚を進める。
…。
別にそれでも良い。彼女が私の顛末が面白そうだということを理由にするならそれでも良い。
けれども。
そんな単純な理由だけで、彼女が私に協力してくれると思えなかったから、私は彼女に興味を抱いた。
きっと、彼女もそうなのかもしれない。
楽しい創作、豊かな想像力を広げられる記事が書けるよう頑張ります!