愛猫の急逝。ペットロスについて
お久しぶりになってしまいました。noteを開けずにいました。
5月26日朝、愛猫のイブが天国へ旅立ちました。
noteには自分が書いたイブの記事がたくさんあって、、辛くなってしまってました( ; ; )
↓お見送りを覚悟して下さいと言われて向き合うことが辛いと書いた記事から1ヶ月半くらい。
それでも一瞬元気になってくれたという喜びの記事も書いて↓
これも実は抗生物質の影響で一時的に食欲が上がって元気になっていたんだと獣医に言われ、ショックでした。
イブは亡くなる2週間くらい前から急に歩けなくなりました。トイレも自分で行けなくてオムツになりました。次第に寝たきりになりお水も飲むのもやっとで夜中も3時間おきにオムツ替え、お水、体勢を変えるなど介護が必要となってました。
でも介護は大変じゃなく、とにかくイブが少しでも楽に過ごせるように食べやすいフード探しをしたり薬もどうやったら飲んでくれるか毎日試行錯誤。イブの為にやれることはなんでもやると家族みんな同じ想いでした。
4年生の娘もオムツ替えや水を飲ませたり、自分では歩けないイブが鳴いて呼んだらすぐ飛んできてお世話を一生懸命してくれました。保護した時は4歳だった娘の成長。頼もしかったです。
私と夫に見守られ、娘の声を聞いて旅立った
5月25日夜。抱っこしても苦しそうな鳴き声。上を向いて低い鳴き声でたくさん鳴いていた。辛かったのかな、痛かったのかな。それとも何かを伝えたかったのかな?
5月26日朝。苦しそうに鳴くイブ。朝6時くらい。嘔吐を繰り返す。夫と2人で「病院が開いたらすぐ連れて行こう」そう話してました。あまりに辛そうな姿で登校前の娘には見せないようにしようと話しました。
7時過ぎ娘が「おはよう」と起きてきたのでイブのことは夫に任せて私は娘の朝ごはんや登校の準備をしました。しかしすぐ、夫が小声で私を呼びました。
「苦しそう」
私は娘に悟られないように様子を見に行きました。
そして夫は言いました。
「動かなくなっちゃった」
5月26日7時21分 イブ永眠
苦しそうな顔をしてました。がんばったね。娘が起きて声を聞いてから旅立ったのかな?
私は今すぐに泣きたいのをこらえ、娘の登校時間まで明るく振る舞いました。
そして7時50分。娘を登校させた私はようやくイブのそばにいき、まだ温かい体を抱きしめて大泣きしました。
「頑張ったね。ありがとうね」
そんな言葉をかけながら夫と2人でずっと泣いていました。
ただ受け入れられない。
呆然としていました。
帰ってきたら娘にも伝えなきゃ。
大丈夫だろうか。
色んな想いの中、体が硬直する前に丸めて目を閉じてあげて毛布をかけました。
その日はイブが好きだった布団に寝かして、花屋でお花を買って供えました。
現実を受け入れられない夫と私でしたが時間は過ぎて、娘が帰ってきました。
あまりに泣き腫らした私の顔で何かがあったのは分かった娘。
「イブちゃんが天国にいっちゃったよ」
私がそう言うと娘はランドセルも置かずにイブの元へ。大泣きする娘。でもどこかまだただ寝ているだけのようにも思っている。
時間が経つにつれイブの顔は苦しんでいる表情より穏やかに眠っているように変わりました。
ほんとにいつものよく寝るイブ。
亡くなったなんて信じられなかった。
火葬の日はピアノの発表会
夫の休みの日に合わせて火葬することになりました。その日は娘のピアノの発表会でした。
火葬までの3日間棺を買ってドライアイスで必死に冷やしてイブと過ごしました。亡くなっても姿があるうちはまだ現実感がなくて。変わらずオムツ替えをしてみたり。夜中も介護のくせで起きちゃったり。
まだイブにやれることがある。そんな想いでした。
こんな不安定なメンタルで迎える娘の初めてのピアノの発表会。
こんなことになる前は「緊張も楽しんで」なんてアドバイス出来ていたのですが、とても無理で。
でも娘は強かった。
〝イブちゃんに届くように弾く”
娘はそう宣言して、発表会に挑んだのです。
そしてその言葉通り、たくさん練習してきた中で1番素敵な心に染みる素敵な演奏でした。
イブちゃんに届くようにという想いが分かる、いつもよりスローなホールニューワールド。
いつも娘のピアノに「ニャッ」って合いの手入れてたもんね🐈絶対そばで聴いてたよ、届いたよ。
娘の演奏に大泣きの夫と私。まわりからは変に思われたかもしれません。でもこんな悲しい出来事がありながら堂々と演奏した娘にとても感動したし、強い子だなと感心させられました。
ピアノの先生にも事情を話してありましたが「悲しいことも抱えながら初めての発表会素晴らしい演奏でした。将来が楽しみです」と優しいお言葉を頂きました🎹
頑張ったね!来年は楽しい気持ちで弾けたらいいね。
火葬。最期のお別れ。
発表会の後、喪服に着替えイブの火葬です。発表会用の煌びやかな衣装からの落差がすごいんですけどね。
火葬。亡き夫(娘の血の繋がったパパ)のお墓がある霊園にお願いしました。火葬車を呼んで最期のお別れをします。ペット慰霊碑があるのもそうなんだけど、亡き夫も動物大好きだからイブのことをお願いしたかったんです。
火葬車が来るまでの間、ただただこの見慣れた姿を見れなくなることが悲しくて寂しくて。綺麗な毛並み。もう撫でられないの?亡くなる前日にファーミネーターでちょうど毛を綺麗にしたんだ。してあげて良かった。
娘も夫も名残惜しそうにイブをたくさん撫でてました。
永久にそのままの姿で保存できる方法があればいいのにと何度も思いました。。
最期のお別れ
時間は待ってくれず。火葬車到着。
棺のまんま火葬するのかと思いきや、棺からイブは抱っこで出されて火葬車の後ろに安置されました。お花と手紙は添えられましたが、気に入っていたおもちゃはダメだと言われました。
「最期のお別れです」
その言葉に私も夫も娘も大泣きでイブを触り
私は子どもみたいに
「やだよーイブやだよー」と泣き叫んでいたと思います。
夫と娘と抱き合い支え合いながらイブの最期の姿を見届けて火葬車の釜は閉まりました。。
50分ほどかかるそうです。
呆然としながらも、私は亡き夫のお墓に向かい「イブのことお願いね」と手を合わせお願いしました。
小さな骨壷になってしまった
50分経ち火葬が終わったと呼ばれた。
骨になったイブと対面した。
葬儀社の方がたくさん説明してくれた。
「すごくしっかりとした骨で体調管理や食べ物気遣っていたのではないかと思います。腎臓の付近の骨が緑かかってますね。腎臓が悪かったのですか?」
「そうです。最期は腎臓病の進行で。そんなことが分かるんですね。」
どこが悪かったのかとかは骨でも分かるのかとビックリ‼️
「足も長いししっかりしてますね。活発に元気に過ごされたと思います」
どっちかというと大人しかったけどなぁと思いながらも素直な夫が私に言いました。
「nyarinがちゃんと食事に気を遣ってたから寿命まで長生き出来たんだよ」と。
そうかな。それなら良かった。
私は保護して5年で自分に出来ることはしたつもりだけど。初めて飼う猫ちゃんで分からないこともたくさんあったから😢もっと出来ることあったんじゃないかと思うこともあって。
でも葬儀社の方や夫の言葉で救われました。
イブありがとう。たくさんの幸せをもらったよ。イブはうちに来て幸せだったかな?
ペットロス
小さな骨壷になってしまったイブ。もうしてあげられれことがなくて悲しいよ。
会いたいよ。撫でたいよ。無気力のまんま時間は過ぎて。
猫砂も毛も飛び散ってない部屋に掃除機かけてもむなしいよ。
最初は元気な猫ちゃんやワンちゃんを見るのも辛かった。テレビも見たくなかった。
だけど近所を娘と歩いていたらよく見かける猫ちゃんが寄ってきて私達の前でゴロンとしたんです。
最初は「会っちゃった、辛いな」って思ったんだけどゴロンとしたその猫ちゃんに「あの子の代わりにはなれませんが撫でてください」と言われた気がして。
撫でたら不思議と癒されて😢💦猫ちゃんの持つパワーはすごいなと思いました。
それから少しずつ、しばらく手をつけられなかった生き甲斐の書道をする時もイブの写真を飾って再開しました🖌
イブは墨の匂いが好きでいつも寄ってきてたな。邪魔したり、作品の上を歩いたり、展覧会に出す作品にゲボしたり。笑
とても寂しいよ。でもママ頑張るね!
魂と人生の書の上に乗るイブ。なんか意味がある気がして私の待ち受け画面になっています🖌🐈
note公式さんにイブの記事が取り上げられたことも良い思い出です!ありがとうございました🙏
愛していたから死別が辛いのは当たり前。
たくさんの幸せな思い出を胸に前を向くね。
イブもお空でマイペースに過ごしてね🐈永遠に我が家の宝物だよ。
火葬までの数日。ピンクの棺で眠ってもらってたんだ。可愛かったけどイブはピンク気に入ってたかな?ママの趣味でごめんね🙏
ペットロス、想像よりはるかに辛い。でも魂は繰り返すかな。また会えるかもしれないよね。ただ今は苦しみから解き離れて楽に過ごしててほしいと願うばかりです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?