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片親違いの姉妹の愛し方

日頃、一握りの大切な友人と、軽い世間話ができる知人がたくさんいるのがベスト

と思っているのだけど

『大切な友人』の定義として、姉妹のように思える相手か否かを基準にしている

相手に起こったハッピーな出来事を自分のことのように喜べるか?悲しみを自分のことのように受け止められるか?

自分や相手の状況や精神状態で、それが難しくなった時は、一時的に距離を置くことも大事だと思っているし、それ以外の人たちとは、他人として尊重できる距離を保って付き合うことが大切だと思う。

そんな風にやってきたおかげか、少なくとも覚えている限りでは、人間関係で悩んだことがほとんどない。

いや、なかった。

それがここ半年ほど、ある相手との関係で胃が痛くなることが増えた。

彼女とはもともと友人だったのだけど、昨年から仕事が絡むようになり、毎週のように会っているのだけど、時々、お互いムカつきすぎて、もう顔もみたくない!という状態になるのだ。

「あの顔をみるくらいなら、もうこの仕事投げ出したい.....」

とさえ思うようになって、先日セラピーを受けた。

そこで、開口一番

「彼女あなたにそっくりね」

と言われた。

性格はもちろん、エネルギーやバイオリズムまで似ているらしい。

それでも、少しずつ違うところがあって、その違いにスポットが当たると、お互いにお互いが全く理解できなくなるんだそうだ。

「まるで片親違いの姉妹みたいなものね。良い時は、気があって、わーって盛り上がるんだけど、合わなくなるととことん憎らしくなるのよね。本当の姉妹と違って、何があっても、最後には仲直りするって感じではないわけ。」

姉妹のように愛するか、さもなくば距離を保つことをモットーとしてきたが、片親違いの姉妹をどう愛するかなんて学んでこなかった。

他人であれば、「この人無理!勘弁して!」と思えば、簡単に離れられる。

一方で、愛情と分かり合えないもどかしさによって形成される複雑な関係は、まさに片親違いの姉妹のそれに近いのかもしれない。

これは、今までの人生、さほど深刻に人間関係に向き合ってことなかった私への試練なのだろうか?

「一体どうすればいいのでしょう......」

絶望しかけている私にセラピストはこう言った。

「相手を避難するのではなく、やんわりと質問して、相手に自ら考えさせること。相手の意見を穏やかに聞くこと、その時ケンカ越しに自分の意見を言わないこと。とはいえ、自分の意見を言わないのはストレスになるから、タイミングをみてやんわりと伝えること。」

片親違いの姉妹のような存在を愛する.....それは他人を姉妹のように愛した気になるよりも、数百倍難易度が高いアジェンダの気がする。

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