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元捜査員の死をきっかけに「記者と情報源 」について考えてみた

私は「情報源」という言葉はあまり好きではない。だが、記者活動に情報源は欠かせないものだ。ここでいう情報源とは、公開情報ではなく、秘密の情報をひそかに教えてくれる者を指す。したがって情報源を持たない記者は、スクープや特ダネと呼ばれるものを書くことは出来ない。
情報源との付き合いは難しい。特に特捜検察や公安を担当した記者なら情報源との関係に細心の注意を払っているはずだ。記者との付き合いが上司にバレれば、その情報源は左遷される。秘密指定された重要情報を漏らしたとなれば、最悪、逮捕されることもある。
だから、記者は公の場で情報源とすれ違っても会釈すらしない。密談するのも都心から離れた居酒屋の個室やホテルの部屋だ。待ち合わせ場所に行くまでも尾行を警戒して電車を必要以上に乗り継いだり、タクシーに飛び乗ったりもする。連絡用の携帯電話も親戚名義のものを使う者もいるし、盗聴を恐れて暗号名で呼び合うこともある。
相手の力量が上回れば、記者が逆に取り込まれ、利用されることもある。都合よき情報のみを垂れ流す広報マンに成り下がる記者は少なくない。
情報源が「書かないで欲しい」という情報も書く緊張感こそが重要だと教わってきたのだが、そんなに簡単なことではない。私自身、多くの情報源を危険に晒してしまったし、衝突や断絶に打ちひしがれたこともある。だが、こうしたぎりぎりの関係を潜り抜けると、記者と情報源の間には友情以上の物が芽生えることもある。

なぜこんなことを書き始めたかと言うと、私が親しく付き合っていた「情報源」が亡くなったからだ。
ここでは仮にA氏とする。A氏は警視庁公安部の捜査員だった。数々の大事件を捜査してきた、知る人ぞ知る名物捜査員だ。酒癖は悪いわ、上司には食ってかかるわ、で、定年を待たずに警視庁を去ったのだが、私は彼が引退した後も付き合い続けてきた。七年前に私が本を書いたとき、全面的に協力しくれたのもA氏だった。
実はA氏は、八年前から癌と闘病していた。手術でいったんは沈静化したものの、最近再発し、余命宣告を受けた。それでも、私はA氏とふた月に一度は酒を飲みながら、情報交換をしたり、人生相談をしたり、ちょっとした口論をしたこともある。

A氏本人は決して言わなかったが、私の取材に協力したことが理由に警察時代の仲間に責められ、友人を失ったこともあったようだった。
最後に会ったのは、先月のことだ。
「俺はもうすぐ死ぬ。世話になったお礼にごちそうさせてくれよ」
突然、A氏はこんな電話をかけてきた。
自宅近くの居酒屋に現れたA氏は足元がおぼつかなかった。癌が頚椎に転移した影響で、右腕はほとんど動かない。フォークで刺身を食べ、熱燗をちびちびと飲んだ。
それでも左翼活動家や朝鮮総連にスパイを作った話や、被疑者から自白をとれずに苦労したことなど、前に聞いたかもしれない話をした。現職時代の話をするときには、その眼が炯炯と輝いた。その後、A氏の家に行き、遺品整理に立ち会うことになった。
別れ際、A氏はこう呟いた。
「お前には俺の人生を全部話した。俺はなんでお前みたいな、悪いヤツに取り込まれたんだろうな。まったく不思議だよなあ。でもこれでお別れだ。じゃあ元気でな」
私は差し出された手を握りながら、こう返した。
「いつになるかは分かりませんが、私も死にます。また、あっちの世界で飲んだくれましょう」
翌日からA氏は電話に出なくなった。あとで知ったのだが、A氏は私と飲んだ三日後に倒れて入院し、そのまま息を引き取ったのだという。

記者と情報源の関係は不思議なものだ。記者は特ダネが欲しくて相手に接近するわけだし、相手も記者に何らかの利用価値を見出して受け入れる。A氏と私の関係も当初はそうだったはずだ。
だが、今になってふと思う。あの晩、暗い夜道で、私をいつまでも見送っていたA氏は、私の「情報源」だったのだろうか、と。
答えは否だ。
長年の濃密な関係を蓄積するうちに、私とA氏の関係はそんなドライで無機質な単語では片付けられるものではなくなっていた。これが正しい関係かは分からない。でも、打算で始まったはずの関係は、幾多の危機を潜り抜けるうちに、互いの人生を共有するまでに発展していたのは紛れもない事実である。