私とあなた
私の感性と言葉で綴る連載エッセイ 「 With Love 」今、心にあるキーワードを紐解いていきます。
心の中にあるモノサシ
私の大好きが、誰かの嫌いだったり。あなたの大好きが、誰かの嫌いだったり。
生きていれば、たくさんの出来事や人と出会う。そして様々な感情や感性が生まれ、同意や協力、批判や対立、たくさんのことが起こる。
そんな毎日の中でも、私が20歳を超えて気をつけようと意識するようになったのが、"モノサシ" だ。
自分たちの中で生きていく上で、自分の価値観と感情、捉え方で生まれる、物事を測るモノサシ。人間誰もが持っているこのモノサシは、時として人を知らない間に傷つけてしまうことがある。
自分のモノサシでは測れない
誰もが1度は、きっと誰かの悩みや友達からの相談に、寄り添った経験があると思う。
その時に、自分のモノサシを通して、その物事を判別したり意見したりしていると、悪気が無くても、知らない間に人を傷つけてしまうことがある。
例えば、友達の相談を聞いた時に、" そんなこと誰も気にしてないよ " と言ったとする。
言った本人は励ましたつもりかもしれない。ただ、" そんなこと " という言葉は自分の中にあるモノサシで測ってしまったからこそ生まれる言葉であって、それが逆に人を傷つけてしまう言葉である可能性もある。
" そんなこと " と言ったその事は、本人は悩んで悩んで、それでも自分ではどうしようもできなくて、現実を飲み込むことで、受け入れることで、精一杯なことかもしれない。
相手がどれだけ悩んでいるのか、本当の心のうちは本人にしかわからないのに、勝手に自分の中のモノサシで測ってしまうことで、相手を悪意がなかったとしても、傷つけてしまうこともある。
他人の悩みは、自分のモノサシでは測れないし、測ろうとすること自体間違っている。
悪気がなく、自分が寄り添ったつもりで物事を発して励ましたつもりだったかもしれないが、この例で話すと、" そんなこと " と発した本人は悪気がなかったとしても、それでも知らず知らずのうちに、相手を傷つけてしまうことだってあるのだ。
私が嫌いと言ったそのモノは、相手にとっては大好きで大切なモノかもしれない。
自分の価値観や感性、好みで作られる人間のモノサシは、生きてるからこそ得られるもので、とても素敵なものだとは思う。ただ、使い方を一歩でも間違えると知らない間に人を傷つけてしまうことだってある、というを忘れてはいけないと私は考える。
誰もが常に誰かを思って生きていくのは、大変かもしれない。けれど、傷つけてしまう、ということを少しだけでも頭に入れておくことで、何かが変わるのではないかと私は思う。
悲しいニュースや、辛いニュースが、未だに溢れているこのご時世。
いつかいつか、笑顔と愛とあたたかいニュースで溢れる未来が来ることを私は心から願ってます。
With Love.
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