目つきのするどい勝又くんと、わたし8.最終回

暮れなずむ夕陽を背に、わたしは息を切らせながら彼の住む公営団地まで走った。

季節が変わり、陽が沈むのも早くなっている。走りながら正直勝又くんは、お母さんと暮らしたあの場所にいるのかも分からないと思った。
だけどいままであんなに頑張っていた勝又くんをひとり放ってはおけなかった。

「勝又くんどうしてる?」
そう思いながら走った。

公園に着く頃には、辺りは薄暗くなっていた。

「午後17時半を御知らせします。ピンポンパンンポーン」

そう時間を告げるチャイムが鳴った公園に、
ひとり勝又くんはベンチに座っていた。

急いで坂道を駆け上がってきたせいで、
息が上がってしまうのをどうにか落ち着かせて
息を整えた。

そしてわたしは薄暗くなった公園のベンチにうな垂れる勝又くんの傍に行き声を掛けた。

「…勝又くん…」

すると驚いたように、わたしの顔を見上げた勝又くんは「笹原…お前どうしてここに…」と言った。

「先生から、勝又くんがもう学校来れへんって聞いて…それで心配になって来てしもた」と言った。

「そっか…、それやったら俺の母ちゃんのことも知ってるよな」と力なく笑いをしながら、

「笹原こっち来て」と手を引っ張られて、わたしは勝又くんに抱きつかれてしまった。

「ごめん…ちょっとだけこうしてて」

勝又くんは掠れた声で、呟いた。

彼は泣いているのだと思った。


どのくらいそうしていたのだろう

勝又くんは少し落ち着いたのか、
「ほんとにごめんな。ちょっと落ち着いたわ」と言って照れくさそうに笑った。

「爺ちゃんいまショートステイに行ってもらってて、うち誰もおらへんねん。それで母ちゃんのことも含めて色々と考えてしもて…」

「お母さんは…?」

「母ちゃんなー、家で意識が朦朧となって倒れてしもてん。ほんで慌てて救急車呼んでんけど、なんか認知症の幻覚症状みたいなんが、強うでてるみたいで、俺ひとりでは見られへんって判断されてしもてん。いまは病院におるけどグループホームっていうところの検討してるってケアマネさんが言ってた…」

「そうなんや…大変やったなぁ。しんどかったやろ…けどもしかして…なんやけど、勝又くんはお医者さんに、いまの暮らしのこと言うてへんかったん?」

すると勝又くんは目の色が変わり

「俺が…俺が母ちゃんを何とかしたらなあかんってずっと思ってたんや」と言った。

話しながら小刻みに震えている、
勝又くんのその様子をみて1人にしておけないと思った。
そしてわたしは「勝又くん、今日はうちにおいで。お母さんも非番でおるから一緒に話聞こう。お母さんならきっとその道のプロやから教えてくれると思う」と言った。

勝又くんは細くていまにも消えてしまいそうに思えた。
だからわたし達は暗くなった夜道を、子どものように手を繋いで歩いた。

その後わたし達は、お母さんが用意してくれた特性の温かい卵スープを飲みながら話しを聴いた。

お腹が空いていたのか、勝又くんはものすごいスピードでスープをあっという間に飲み干してしまった。

そしてひと通りこれまでの勝又くんの話しを聞き終わったお母さんはまず

「そうかぁ、勝又くんはほんまに色々と1人で頑張ってたんやね。えらいわ」
と勝又くんのこれまでを褒めた。

「認知症っていうのはね、ひと言では言い表せないくらい色ぉんな症状があるのよ。
どんな病気が元々その人にあるのかによっても、症状の出方は違う。
でもね面白いのは、今まで世間体や社会を気にして、自分のこころの内に抑えていたものがある意味なくなって、その人本来の姿が見えるところなんよ」と言った。

「ほな、母ちゃんが父ちゃんとうちゃん言うてたのは、潜在的に会うことを求めてたからですか?」と勝又くんは聞いた。

「せやねぇ、それは色々なことが考えられるから一概にこうや!と断言はできへんけど…、どこかでお父さんのことを考えてはったのは間違いないやろね。それは本当にその姿が見えてはったのか、それともそう思い続けてはっただけなのかは分からへんけど…」

そしてお母さんはこうも続けた。

「でもな勝又くん、絶対これまでの自分を責めることだけはしたらあかんよ。これまで勝又くんはいっぱいいっぱい頑張って来たと思うんよ。皆んなが部活に励んだり、友達と遊んでるときもずっとお母さんのこと考えてたやろ?」

勝又くんは、伏し目がちにコクンと頷いた。

「介護っていうのはな、先の見えへん長いトンネルを歩いてるような気がすることもあるんや。家族の人は24時間、365日その人と向き合わなあかんやろ?
それをひとりですんのは、めちゃくちゃ大変なことなんやで。
こんな言い方したらあかんかもしれんけど、私らが長年続けて来れてるのは、あくまで仕事として割り切れる部分があるからなんやで。
仕事のときは、利用者さんと思いきり関わってそのあとは場所を離れてリフレッシュ出来る。

オンとオフはめちゃくちゃ大切や。
やから責めるんじゃなくて、むしろ今までの自分を褒めてあげてほしいわ」

勝又くんは、複雑そうなでもどことなく
ホッとした顔でお母さんの顔を見つめた。


…ーーそれから数年後、



あーーー!!!!

マイクスタンドを掴み、勝又くんは大きな声で叫んだ。

「皆んな今はまだお客さん呼べないけど、頑張ろうや!!」

ここはスタジオウェーブ。
使い込まれたギターを片手に、わたし達はスタジオの片隅にいた。

あれから勝又くんのお母さんは、グループホームに入ることが決まった。

最初は家で見れなくなることが本当に良いのか、勝又くんはソワソワしていた。

けれど、勝又くんの心配をよそにお母さんは、とてもリラックスして生活の場に馴染んでいった。いまも1週間に2回ほど、わたしと勝又くんが交代で様子をみにいっている…

そしてお爺さんは、相変わらず勝又くんと一緒に暮らしている。時々短期的な泊まりに行ってるみたいやけど、元気そうや。

勝又くんはあれからギターを始めた。
ギターを始めたとき勝又くんは、
中学のときレッチリやスタンドバイミーをラジオで聴いて、いつかギターをやってみたかったんや!と嬉しそうに言っていた。
そしてひょんな話しからピアノを習っていたことを知った勝又くんはわたしに向かって、
「笹原もやろっ!!バンド組もうや!!」とバンドメンバーに入ってしまった。

高校入学したときは、引っ込み思案でひと前に立つことなんて考えられなかった私が信じられない。


「笹原ーーー!!始めんで!!」

「はーい」

そう呼ばれて所定の位置につく。

「ほな、始めんで!!」

ワン・ツーというドラマーの子の合図で演奏が始まった。

それぞれの音が共鳴して、ひとつの曲になる。
なんとも言えない一体感が心地いい。

相変わらず目つきのするどい勝又くんだけど、
最近はイキイキしてる。

わたし達の音がライブハウスの外まで届くよう、カメラに向かって曲を奏でた。

「勝又くん…?」

曲目の演奏が終わったあと、
勝又くんはカメラに向かってまだ立っていた。

今日は他に演奏する予定はなかったはず…
そう不思議に思っていると

勝又くんは、突然

「これは今まで支えてくれた大切なひとに贈りたいと思います」と言って歌いはじめた。

♪いつだったか君がいった大丈夫って言葉
皆んなが腫物を触るように僕を避けるなか

君はいつだって、僕の傍にいてくれた

今だからちゃんと言える

君が好きだって

不器用でだけどまっすぐな君が好きだ

目つきのするどい勝又くんは、私をまっすぐ見つめながらこの曲を歌い出した。

…まさか?でもどうして…?

うたを歌い終わった勝又くんはカメラを切ったあと、頭が混乱しているわたしにひと言

「笹原、俺はお前のことが好きだ」と言った。



おわり








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