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もし貴方の口座に毎日86,400円が振り込まれたとしたら

もし、皆さんの口座に毎日まいにち86,400円振り込まれたとしたらどうしますか?

そのお金は次の日には持ち込めなくて、
明日もしなくなってしまうとしたら、
皆さんはどのように使うでしょうか?

何かほしいものを買いますか?
それともどこか行きたいところに行くでしょうか?
とにかくそのお金を無くしたくなくて、
多くの人はどうすれば有効にそれを使えるか
無駄にしないで済むかを考えて使われると思います。

これは1日の時間を秒に換算すると86,400秒になるという有名な話しです。
それを聴いた途端、皆さんはどう思うでしょうか?

「なんだぁ、お金じゃないのかぁ。ただの時間の話か…」と思うでしょうか?
なぜかそれを聴いた途端、気落ちするひとも多いのではないでしょうか?
わたしはその話しを聞いたとき、ひとつのことが疑問として浮かんできました。

なぜお金は一つも取りこぼしたくないと思う人が多いのに、時間のことを聞くと多くのひとが「ふーん…」と思うひとが多いのでしょうか?

その謎を考えるためにわたしの大好きな作家のミヒャエルエンデという人を思いだしました。
ミヒャエルエンデの話しに「モモ/時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語」という作品があります。

モモは廃墟のなかに暮らす小さな女の子です。モモはとっても話しの聞き上手で、なにか困ったことがあれば皆んなモモに悩みごとを相談していました。
モモの世界はゆったりとした空気に包まれ、みな幸せに過ごしていました。
そんな中「灰色の集団」と呼ばれるひとたちが街中に現れて
「時間を貯蓄すれば、いのちが倍になる」と街のひと達に話しを持ちかけて時間といのちの売買を始めます。

いのちという誰しもが手に入れたい、欲求を利用して灰色の時間どろぼう達が、一人ひとりの大切な時間を奪ってしまうのです。
こうして命と引き換えに、たいせつな時間を奪われた人たちはみるみるうちに時間に追われて、慌しい毎日を過ごすことになります。
あれほどイキイキしていたひとたちは、やがて生気を失っていくのです。


世界には、忙しさのなかで時間を大切にすることを忘れた人たちが存在します。
モモはそのことを比喩して書いたのではないかと思うほど、奥の深い話しになっています。


たしかに生きる上でお金はとても大切です。
けれど、時は金なりという言葉があるくらい、
時間というのはお金に匹敵するくらいの大切なものだと思います。

もし貴方の周りに
「ねぇねぇ…」と話しかけてきては、
永遠と同じような話しを繰り返す人がいたらどうでしょうか?

或いは毎週のように議題に沿わず脱線を繰り返して1時間も2時間も延びてしまう会議ばかりなら果たしてどうでしょうか?

そのとき、わたし達はモモの世界で灰色のじかん泥棒達が時間を盗んだときのように
じぶんの時間を奪われた…!!と感じるのではないでしょうか?

1日の時間は長いようであっという間に過ぎます。この瞬間しゅんかんの時間はけして戻ってはこないのです。
お金で若さと時間は買えないといわれるのは、この瞬間の時間はけして戻ってこないからだと思います。

たとえば同じその時間を、趣味や自己研鑽の勉強などほんとうに自分のしたいことに費やした人とそうでない人とでは、1年後、5年後、10年後に大きな開きが出ると思います。

なにもここで言いたいのは、ただ時間は大切ですということだけではありません。
いまの時間は砂時計のように積み重なって、未来のカタチまで変えてしまうと思っているのです。

わたしは世界には二つの平行線で出来たパラレルワールドがあると信じています。

この一瞬いっしゅん何を感じ、なにを選択するかによって未来が大きく変わることもあるのだ、そう強く感じているのです。
わたし自身これまでそのような未来を目のあたりにして生きてきました。

あれは20代後半のことです。
それまでわたしは未来のことばかり考えて、
「いま」を大切にすることをなおざりにしていました。

なんとなく過ごしている間に、
あっ!という間に時間は過ぎ、気づけばもう夕方なんてことも1度や2度ではなかったです。

もちろん疲れた身体を癒すために休養をとることも大切だし、ダラダラした時間を過ごすことも大切です。

ただ、休みのたびにそれを繰り返していた私は何だかとても時間を無駄にしている気がしていました。

そんなとき、ある福祉の勉強を始めてみました。正直、それは一般的には難しい分類の資格で口を揃えてみんな

「きっと1回では受からないと思うから、そのときまた来年頑張ればいいよ」と言いました。

わたしはその日から眠い目をこすり、1日15分ずつテキストと問題集に向かって勉強するようになりました。
いつもなら、夢のなかにいた時間を何とか勉強にあてるようにしたのです。

すると半年後、あれだけ皆んな受からないと言われたケアマネの試験にいちどで受かったのです。

毎日何を感じ、なにをするか
それが未来を作っているということを感じた瞬間でした。

人それぞれに与えられている86,400秒という時間。貴方は何に使うでしょうか?
もしそれは明日は消えてなくなるとしたら、どんな風にじかんを使って過ごされるでしょうか?

いちど時間のことを皆さんと共有してみたいと感じたので書かせていただきました。


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