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シャルレ二番館のすれ違い

「外に出たい」
まるで地面を突き破って、出てくるセミのように。

外は曇り、気温は20度
いつもの散歩コースを走るにはちょうど良かった。自宅で24時間ずっと篭っているのは息が詰まる。

「ちょっと出掛けてくるわ」

そう妻に告げると、妻からの返事を聞くまえに後ろ手にバタンと扉を閉めた。

ずっと家のなかで過ごしていると、身体がなまっていることが分かる。
いつもなら朝晩必ず5㌔ほどのランニングを欠かさずに行うのだが、このコロナの緊急事態宣言のおかげで思うように走れなかった。

かといって家のなかでトレーニングをしようものなら、妻から「あなた手が空いてるなら、子ども達のお世話を手伝ってください」
と言われてしまうので、やっぱりいつものようにはトレーニングをすることは出来なかった。

妻のことは好きだけれど、四六時中顔を合わせているとストレスが溜まってしまう。
お互い閉塞され限られた空間で過ごしているせいか、いつもならやり過ごせる些細なことも、なぜか気に障ってしまう・・

それはお互いにとっても良くないことだったし、学校が休みで止む終えず家にいる子ども達にとってもいい環境とは言えなかった。

ここはシャルレ二番館。

急勾配の坂道を駆け上がるとぽっかりと見えてくる変わったアパートだ。
出来てからはもう30年以上経っているが先日外壁の修繕が行われ、濃紺の外観と特殊な出窓が際立つアパートになっていた。

シャルレ二番館の隣にある竹藪はときおり風に揺られ、ザワザワと春の訪れを知らせてくれていた。

普段ならこの時間帯には仕事をしている。
いつもは近くにあるじぶんの店で働いていた。

飲み食い出来るお好み焼き屋だったが、個人でこじんまりとやっていた。
そのためか外出自粛要請が出てしまってからは、あっという間にその煽りを受けてしまった。

店を開けるのは物理的には出来ないわけではないが、人がほとんど外出しない今、店を開けても儲けはほんの一握り・・

食料や人件費などの経費だけが嵩張り、
赤字になることが目に見えているので、
お店で働いてくれていたアルバイトの子には無理を言って休んでもらった。

その子も生活は楽ではないことを知っていたので、心ばかりか給与を前払いさせてもらっていた。

ほんの2週間ならまだしも、この後長くこの状況が続けば資金繰りも難しくなり、閉店を余儀なくされることは容易に考えられた。

脱サラ組の40後半の男が、
そのまますぐに就職出来るとは限らない。

妻もそのことが分かっているのか、
いつもよりも自分に対してのあたりが強くそのことが更にイライラする気持ちを加速させた。

人がほとんど通らない竹藪の脇道を走りながら、色々なことを思った。

我が家にはまだ小学生と保育園に通う小さな子どもたちが2人もいる。自分が職を失えばこの子達も路頭に迷う・・そのことを考えれば、

妻がいら立つのも無理はなかった。

しかし、自分も十分それは感じていたところだったから、そのイライラした気持ちをぶつけられてもどうしようもない。

それが正直な気持ちだった。

「きっと自分以外にもこんな風に悩んでいるひとは沢山いるのだろうなぁ」いつもの道を風を切り走りながら小さく呟いた。

《ひとと人とのソーシャル・ディスタンスを取ってください。飲食店やその他の店は営業を自粛してください。》

そう国の偉い人から言われてしまったら自粛せざる終えない。
何せ相手は形の見えない敵なのだから・・それは分かっていても憤りを隠せなかった。

「父ちゃん、これ美味しいね」

竹藪を抜けひらけた公園を走っていると、うちの息子と同じくらいの歳の男の子が、お父さんと一緒に手をつないで歩いていた。

どうやら買い物に行っていたらしい。

「そうだろ、ずっと家にいると息が詰まるからな。最近は持ち帰りの出来る店も増えてきたからありがたいよなぁ」

俺はその言葉に思わず立ち止まってしまった。

店に客が来ないから、勝手にもう店はたたむしかない…そうじぶんは後ろ向きの考え方しか持ってなかったんじゃないのか?

そのことに気づき、

「こうしちゃいられない」と慌てて家に走って帰り、妻にチラシを作るのを手伝ってもらうよう頼んだ。そして常連の客に片っ端から電話をかけ、弁当を始めることを伝えた。

お好み焼きと焼きそばをメインにしていた店だったが、ライスとスープをつけたらちゃんとした弁当になるんじゃないのか?

余っていた食品を確認し足りない分を業務用スーパーに買いに行って、妻の作ってくれたチラシを店頭にはり、店を続けてみることにした。

シャッターを開けて暫くは人の往来もまばらだったが、店を開けて2時間ほど経つと

「お、店を開けたんか!テイクアウトも出来るんやって?!そりゃええわ。ほな、お昼代わりに幾つか買うてかえろ。」という人がちらほら現れた。

嬉しかった。

自分はもう勝手に店を閉めないとあかんと思っていたけれど、こんなにも必要としてくれる人がいるなんて…!!

夕方になり、お好み焼き弁当が完売したとき、俺は妻に向かって

「いままでイライラしててごめん。
お前も色々子育てで大変やったよな。
これからはちゃんと手伝うから」

と手を握った。
そういって握った妻の手はとても温かかった。

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