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衝動買い【9】うな次郎

 これは俺の個人的な罪の告白であり、社会風刺や問題提起のための文ではない。ただ、俺の懺悔を誰かに聞いてほしい。そういう文だ。


 俺はうなぎが好きだ。子供の頃から好物だった。うなぎが好きすぎるあまり、俺はごんぎつねにはあまり同情できなかった。うなぎが食えずに死んだ兵十の母親にはひどく同情した。

 うなぎ。随分前のこと「うなぎが絶滅しかけているらしい」という噂をインターネットで知った。調べてみたところどうやら本当に絶滅しかけているらしい。俺はクソ真面目な男だ。俺はクソ真面目な男なのでそれを知った日からうなぎを食うのをやめた。うなぎが安心して食えるその日まで我慢しようと思った。

 しかしそうはいってもうなぎは俺の好物。食いたい。我慢すると余計に食いたくなるものだ。さらにスーパーマーケットや牛丼屋には容赦なく絶滅しかけているはずのうなぎが並び、俺を誘惑してくる。うなぎが食いたいという気持ちは日に日に募っていった。それでも俺は我慢し続けた。うなぎが好きだから。


 知らねえよ食っちまえよ。


 何度もそう思った。

 まず、うなぎが絶滅しかけている理由が乱獲とは限らないのだ。捕獲をやめても絶滅するかもしれない。だったら食っても食わなくても同じだ。むしろ食っとくべきだ。

 それに俺が食わなかったからと言ってここに売られているうなぎが生き返るわけではない。もしも余ったら廃棄されるだろう。だったら食うべきではないか。

 仮に、本当に乱獲が原因で絶滅したとする。きっと「あの時俺は食わなかった」という誇りよりも「食っておけばよかった」という後悔が勝るだろう。食えるうちに食っておくべきではないか。

 そんなことを考えない日はなかった。

 うなぎを食っている人間を責めるような気持ちも全く湧き上がらなかったし、食ってる人のほうが正しいのではないかとさえ思っている。

 何より、食うことは別に罪ではない。


 きっとこの俺の我慢は無意味だ。俺にとってもうなぎにとっても無意味だ。そんなことはわかっている。うなぎが食いたい。それでも俺はうなぎを食わなかった。いつの間にか一種の信仰のような、自分のルールになっていた。


 そんなある日、うな次郎という存在を知った。魚のすり身を加工してうなぎ風に仕立て上げた商品だ。カニでいうとこのカニカマだ。

 もしも本当にこれがうなぎのような食い物だったら、俺はうなぎを食わずにいられるかもしれない。これが俺とうなぎを救ってくれるかもしれない。初めはそう思った。

 だがこのうな次郎、原材料にうなぎエキスが使われているのだ。

 きっと、うなぎ一匹から取れるうなぎエキスでうなぎ数匹分のうな次郎ができることだろう。そういった意味ではうなぎを減らすペースを緩和させることに貢献するかもしれない。

 だが、うなぎを食っていることに変わりはない。


 仮面ライダーアマゾンズという作品がある。大好きな作品だ。いい歳して変身ベルトを買うほどハマった。これに登場する怪人はアマゾンといって、食人衝動を持つ化け物だ。普段は人間に擬態しており、腕輪からの投薬で食人衝動を抑えている。しかし腕輪の薬が切れると覚醒してしまい食人衝動を抑えきれなくなり、人間を襲う。

 アマゾンたちの中にはそれを自覚しており、できるだけ覚醒を遅らせ少しでも長く平穏に暮らしたいと思っている者たちがいる。そういった者たちが少しずつ少しずつ人肉が混ぜ込まれたハンバーグを喰らい、覚醒を遅らせようとするエピソードがある。

 当然、人肉が混ぜ込まれたハンバーグを食うことは食人だろう。うな次郎も、それと同じだ。うな次郎を食うことは、絶滅しかけているうなぎを食うことだ。


 これを食えば、俺の今までの我慢は全て無意味になる。いや、もともと意味のない我慢だった。初めからただの自己満足で何の意味もなかった。


 俺はもう限界だった。



 買ってしまった。俺の精神の中に確かにあった腕輪からの投薬は切れ、己の中の食鰻衝動に、屈した。これもまた衝動買いだ。


 パッケージの左側を開け、タレと山椒を取り出す。レンジで1分。そしてご飯にのせて、タレと山椒をかける。


 うな次郎丼だ。思った以上にうなぎのような見た目だ。


 一口、食べた。ああ、これはうなぎじゃねえ。うなぎ風かまぼこだ。確かにかまぼこの中では一番うなぎに近いかまぼこだろう。ものすごい企業努力の味だ。似せようとする努力の味だ。美味い。だが、うなぎじゃねえ。

 こんなにもうなぎじゃないのに、俺はうなぎを食ってしまったんだ。ついに食ってしまったんだ。でも全然満たされたない。うなぎじゃないから。うなぎを食っているのにうなぎが食いたい。泣きそうになりながら完食した。

 うなぎが食いたい。どうせ食うんなら普通にうなぎを食うべきだった。うな次郎を食うこともうなぎを食うこともうなぎを食うことには変わりないんだ。


 当然だが今うなぎを食っている人には何の罪もないし責められるべきではない。食いたきゃ食うべきだ。そう思う理由は文中で述べた。そして食わない人は食わない人で正しい。自分の信じた正義に従っているから。


 俺は、己の欲に負けて自分の決め事を裏切った。俺は俺に対する罪を犯してしまった。そして開き直れるほど強くもない。

 俺が俺を責めていようが誰も知ったことではないだろうし、わざわざ責める人もいないだろう。それにもし俺を責める人がいたら俺はきっとムカつくだろう。

 俺は今誰かにどうして欲しいわけでもない。

 ただ、誰かに懺悔を聞いて欲しかった。

 

 俺は、うな次郎を食いました。



 うなぎが本当に絶滅するなら最後の一匹は絶対に俺が食いたい。絶対に最後の一匹は俺が食いたい。本当に絶滅しそうになったら一匹冷凍しておいて、絶滅が発表されてから解凍して食う。そういう計画を立てている。

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