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人とのつながりで作っていった医療的ケア児とその家族のポジティブな選択肢

皆さんは「医療的ケア児」という言葉を聞いたことがありますか。病院で医者や看護師が実施するような医療行為を自宅で行いながら日々を過ごしている子どもたちのことを言います。

「医療的ケア児とは、医学の進歩を背景として、NICU(新生児特定集中治療室)等に長期入院した後、引き続き人工呼吸器や胃ろう等を使用し、たんの吸引や経管栄養などの医療的ケアが日常的に必要な児童のこと。全国の医療的ケア児(在宅)は、約2万人〈推計〉である。」

https://www.mhlw.go.jp/content/000981371.pdf

一言に「医療的ケア児」と言っても、ケアの内容はさまざま。退院して自宅に帰ると、その子に合わせたケアを保護者が行う場合がほとんどです。そしてケアが日常になるまで、またケアがある状態で幼稚園や保育園、小学校などに通うにはいろんな壁があります。

そんな壁をなくしていくために、2021年(令和3年)には「医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律」も制定されましたが、まだ課題は山積み。

私も医療的ケア児を育てていますが、日々のケアを行う中で就学など不安に感じていたことがありました。そんな中お世話になっていた訪問看護ステーションから紹介いただいたのが高橋さんです。

気管切開があるお子さんを含め3人の子どもを育てる高橋さんは、孤独になりがちな医療的ケア児の親たちが気軽に集まれる場所をつくりたいと、「医療ケア親子サークルほぷふる」を立ち上げました。さらに、まだ例が少ないと言われている医療的ケア児の公立小学校への進学を実現させました。しかも、高橋さんの地域ではお1人目

医療的ケア児とその家族に新たな選択肢を作られた高橋さん。「ほぷふる」立ち上げの経緯や就学に至るまでと、なぜそんなにパワフルに動き続けられるのか、その理由をお伺いしました。

医療的ケア児に新たな選択肢を作った高橋家ってどんな家族?

高橋家プロフィール

高橋さんは都内の西部在住。ご家族は、旦那さん、小学校2年生の長男、年中の次男、3歳の長女の5人家族。そして、長男のMくんは医療的ケア児です。

Mくんはゴールデンハー症候群という、体の片側の機能がうまく育たないめずらしい病気をもっています。ゴールデンハー症候群とひとくくりにしても、まったく同じ症状の人がおらず、一人ひとり出方はバラバラ。

Mくんの場合、片目に良性の腫瘍がある、片耳が小さい、片顎の骨がない、といった症状があります。顎が小さすぎて呼吸や食事がうまくできないため、日常的に医療的ケアが必要です。具体的なケアの内容は2つ。1つは「胃ろう」でお腹からご飯の注入をしていること。もう1つは「気管切開」でたんがつまならいように吸引と、喉を潤すための吸入を行っていることです。

これだけ聞くと、動くこともできないような大変な病気を患っているように思われる方も多いかもしれません。実際に大変な病気ではあるのですが、Mくん本人は走ったり動いたりでき、とても元気。自宅ではよくきょうだい喧嘩をしていて、「もっと静かにしなさい!」と思わず怒ってしまう場面も多いんだとか。

気管切開をすると発声にコツが必要になり、音声だけでは十分にコミュニケーションがとれないことも。でも、Mくんは気管切開のカニューレや口から声を出すとともに、ジェスチャーや筆談を使って積極的に自分の考えを発しています。

しかし、風邪を引くとたんが多くなり、一日に何回も吸引が必要に。また、たんを放置していると命にも関わるため、症状が落ち着くまで高橋さんもMくんも眠れないことも多いんだとか。

高橋さん : 3、4歳くらいまでは、救急搬送されることもあって、本当に目が離せなかったです。

Mくんのケアをしながら、家事と子育てと仕事もこなす高橋さん。Mくんが成長したことで、以前よりはケアの負担が少なくなったと話しますが忙しい毎日を過ごされていることは想像に難くありません。それでも、高橋さんにお会いするといつもパワフルな印象を受けます。

子どもたち一人ひとりにライトをあてる子育て

どうして高橋家は明るくて元気なの?という私の問いに、「特別なことは何もありません」と答えた高橋さん。しかし、高橋家の日常をお伺いしていく中にヒントがありました。

高橋家の3きょうだいは全員お笑い好き。自宅では、好きな芸人の真似をして楽しんでいるそうです。そして、きょうだいがいるからこその発見があると高橋さんは言います。

高橋さん : 次男と長女用におもちゃのラッパを買ったことがあるんです。あるとき、ラッパの音がしたから「次男か長女が吹いているな」と思って覗いてみたら……Mが気管切開したところにラッパをあてて、音を鳴らしていたんです!Mはふけないと思っていたので、びっくりしました。きょうだいがいたから発見できたことですね。

このほかにも、できないと思っていたことも、きょうだいがいることで「実はできる」という気づきがいくつもあったそうです。

アウトドアでの風景。3きょうだいで仲良くパチリ

ただ、日々のケアや通院などでMくんと高橋さんとの時間が多く、きょうだいから「お兄ちゃんだけずるい」なんてことを言われないのか……そんな私の疑問に、「言われたことはないですね」と高橋さんは答えました。

高橋さん : お風呂は私が3人一緒にいれるのですが、そのときに一人ひとり「今日は学校や園で何やったの?」と聞いています。順番に、平等に話してもらっていくんです。

子どもたちと一緒にいるときは、障害のあるなしに関係なく叱るし、褒めます。

お兄ちゃんは障害があってもお兄ちゃんだから、尊敬してもらえるようにきょうだいを育てていきたいと思っています。逆に、お兄ちゃんはお兄ちゃんらしく、弟たちに誇れる存在になってほしいですね。

高橋さんの言葉から、障害のあるなしに関係なく、子どもたち一人ひとりの存在を大切にしていることが伝わってきました。その思いが子どもたちにも伝わっているから、高橋家はいつも明るく元気なんだろうな、と納得しました。

絶望を抜けていった、自分の行動

暗闇の中で感じた「つながり」という光

私が出会ったときには、いつも明るく元気な印象のあった高橋さん。しかし、「最初からそうだったわけではない」と打ち明けてくれました。

Mくんの妊娠がわかってから数か月、かかりつけの病院から電話がありました。電話の内容は、超音波検査で見つかったMくんの疾患について。さらに、「中絶をするかどうか一週間で判断してほしい」と相談を持ちかけられます。その言葉に、高橋さんは一気に地獄の縁に落とされたような気持ちになったそうです。

高橋さん : そのときが一番辛かったですね。毎日悪夢を見ているような気分でした……。

疾患がわかった当初は人に話すこともできず、家に籠もってインターネットで告げられた病名の検索ばかりしていたそうです。しかし、調べても怖いことばかりが目に入り、ずっと悶々としていたのだとか。周囲に同じような立場の人も少なく、気分転換に外に出てもみるも、誰もが自分より幸せそうに見えて苦しくなる日々が続きました。

それでも高橋さんはMくんを産むことを決意します。

高橋さん : 自分の中で時間をおいて少し気持ちが回復したころに、昔からの知り合いが声をかけてくれました。何を聞くわけでもなくお茶を一緒にしてくれて、それから少しずつ元気になって。人とのつながりに救われましたね。

友人や知人の優しさに触れ、少しずつ前向きになっていった高橋さん。しかし、Mくんを産んでからも悩みはつきませんでした。

高橋さん : 疾患を持っているから、母子手帳の成長目安はまったく当てになりませんでした。とはいえ、何を参考にしたらいいのかもわからなくて。1人で考えてもどうしようもないから、つながりがほしかった。つながった人たちで励まし合い、希望をみつけていきたいと思ったんです。

自分の住む地域でつながりをつくりたい

2019年5月、高橋さんはご自身の住む地域で医療的ケア児の親の会「医療ケア親子サークルほぷふる」を立ち上げます。

Mくんの出生後は、23区の医療的ケア児の親の会に参加していた高橋さん。しかし医療的ケア児に関する支援は、その地域の行政によってそれぞれ用意されていることが多いため、ご自身が住んでいる地域の情報は得られなかったそうです。

高橋さん : 自分の住む地域で親の会ができたら、とずっと思っていました。でもひとりでやるのは少し難しいと感じていたんです。

そこで、Mくんが通っていた児童発達支援施設にいた同境遇のママと、入院したときに仲良くなったママに声をかけ、一緒に立ち上げることを決意したのでした。

就学までの道のりと学校生活

就学までの流れ

Mくんとの生活が始まって数年ほどしたある日、訪問診療の医師から児童発達支援施設を紹介してもらい、Mくんの集団生活がスタート。また、親の会で出会った方から気管切開があっても幼稚園に行っている子がいると聞き、小学校入学前は川崎にある幼稚園まで通わせていました。就学前も人とのつながりで、Mくんを積極的に集団に参加させていた高橋さん。

そんな高橋さんとMくんが地域の公立小学校で1人目の医ケア児となるまでには、どのような経緯があったのでしょうか。

高橋さんの地域では障害や発達に気になる部分を持っているお子さんは、年長の時に教育委員会で「就学相談」を受けることができます。就学相談では、相談員に相談をしながら、公立小学校や特別支援学校など、その子にあった就学先の検討を行います。

Mくんの就学相談では、気管切開の影響で会話によるコミュニケーションが難しいことから「まずは支援学校で専門家から会話以外でのコミュニケーション方法を学び、慣れたら市の支援級に移りましょう」と提案を受けました。

高橋さん : 当時は周りとうまく会話ができないことによるストレスを心配していました。だから、コミュニケーションの支援がある支援学校は、Mにあっていそうと思い、まずは見学に行くことにしたんです。

見学したのは主に肢体不自由な生徒が通う特別支援学校と、知的に遅れのある生徒が通う特別支援学校。どちらの支援学校も雰囲気がよく、安心できたそうです。

ただ、ここで課題がでてきます。肢体不自由の学校では、在籍するほとんどの児童が歩けません。そのため、歩くことも走ることもできるMくんは、同級生たちと離れて個別の授業になってしまうことがわかりました。

また、知的の学校の場合でも、コミュニケーション指導の先生が来るのは月に1回だけ。お友達との関わりも少ないことから、ここでコミュニケーション方法を習得できるイメージが沸かなかったそうです。

そこで、最後に地域の公立小学校の支援級の体験に訪れた高橋さんとMくん。

高橋さん : 支援級は人数が少なく、グループ学習のような授業をしていました。みんなしっかりと受け答えができる子ばかりで、正直支援学校に比べるとかなりレベルが高いと感じました。でも、Mが「楽しかった」と言ったんです。

支援学校に通うと、通常の授業は個別対応になる。また、期待していたコミュニケーションについて特別に学ぶ授業も多くはなさそう。それなら、コミュニケーションは習い事として学校外で学びつつ、公立小学校の支援級に通わせるのがMくんにあっているんじゃないか、と考えるようになった高橋さん。

しかし、ここで次の課題がでてきます。支援学校では看護師さんが常駐しているため、学校でもMくんのケアができますが、公立学校に通う場合のケアはどうするのか……。頭を悩ませていた中、知り合いの市議が、公立小学校での看護師採用予算を確保するよう教育委員会にかけあってくれていたことがわかりました。

その市議とは、住んでいる地域で紹介してもらい、以前から就学後の医療的ケアについて不安を伝えていたそう。ここでも人とのつながりに支えられました。

そして、最終判断となる校長面談で「本人が行きたいなら」と希望が受け入れられ、Mくんが年長の11月末に、公立小学校支援級の入学が決定しました。

ただ、いくら市議や校長が応援してくれているとはいえ、入学にあたっての問題はまだまだありました。そのひとつが、Mくんのケア。看護師を採用する予算は確保できたものの、担当できる方が中々見つからない日々が続きます。もし看護師が見つからなければ、高橋さん自身がMくんに付き添うことに。そうなると、学校から離れることができなくなります。

入学手前でなんとか看護師の採用が決まり、Mくんの就学準備が完了。「ほぷふる」や、SNSでの発信、医療関係の仕事をしている友人知人に声をかけ、その友人にも広げてもらい、とにかく人脈全てにあたりつくし看護師を探しました。

高橋さん : Mのときは結果的になんとかなったけど、看護師の確保や運営はまだ課題が多いんです。「ほぷふる」から、教育委員会や市議会、市長、教育長にも訴えて、2023年度からようやく登下校のバス・校外学習・宿泊学習にも携わってくれる訪問看護ステーションと委託契約がされることになりました。

高橋さんの発信力と人とのつながりがあってこそ、実現したMくんの就学。これから小学校入学を控えている医療的ケア児の後につながる道も作ってくださったと感じています。

安心感の中で育つ子どもの成長

4月になりMくんと高橋さんの小学校生活がはじまりました。

入学式。小学校の前でポーズ!

Mくんのクラスメイトは7名。発達障害で支援級に来ている児童が多く、医療的ケアが必要なのはMくんだけです。それでも、入学当初からみんなフレンドリーに声をかけてくれたそう。担任の先生以外にも支援員が複数名いて、また、全クラスの担任が支援級の児童一人ひとりを知ってくれている。そんな安心感のある環境でした。

学校での医療的ケアも、Mくんのことをよく知っている看護師にお願いすることができ、Mくんも喜んでいたそうです。しかし、気心の知れた看護師との時間が心地よすぎて、支援員の先生と関係を築くことができなかった時期もありました。しかし、看護師や先生の協力もあり、2年生になった今では看護師以外の人たちともコミュニケーションをとれるようになったそうです。

さて、当初抱いていた「発声がうまくできないことによるコミュニケーションのストレス」はどうだったのでしょうか?「その心配は杞憂に終わりました」と高橋さんは話します。

高橋さん : 1年生の終わりの方に学習発表会という行事があったのですが、本人は全然緊張しておらず、堂々としていたんです。声もすごく小さいのに、マイクに向かってセリフも言っていて。こんなことできるんだって、成長を見て泣きそうになりました。

先生や同級生たちがいつも見守ってくれている安心感から、自信がついたのかな。支援級に行って、よかったと思います。

学習発表会のことを語りながら少し涙ぐんだ高橋さん。安心できる環境があるからこそ成長できる。Mくんにとって、支援級のクラスは第二の家のようなあたたかい場所なのだなと感じました。

心の余裕をつくり、次の課題へ

周囲の協力を得て心の余裕をつくる

医療的ケア児を育てているとさまざまな壁にぶつかりますが、高橋さんは、活動的にどんな壁も乗り越えていきます。高橋さんの原動力は、どこにあるのでしょう。

高橋さん : 私もイライラしたり、もう嫌!って思うこともたくさんあります。それでも「いつも元気に明るい」って周りから思っていただけているのは、その分気分転換をしているからかもしれません。

たとえば、土日に子どもたちを公園に連れていくのは旦那さんが担当。その間私は家でゆっくりしています。オンラインの料理教室に参加することもありますね。

旦那さんはそれ以外にも、仕事を休んで子どもたちの学校行事に参加したり、Mくんの通院に付き添ったりすることもよくあるとのこと。

高橋さんを休ませようと、積極的に動いている旦那さん。高橋さんは旦那さんのことを「元々協力的な人」と言われていましたが、お二人で色んな困難を乗り越えてきたからこそのパートナーシップがあるのかなと感じました。

子どもたちの成長をともに見守る、高橋家のご夫婦

それでも、高橋さんとご主人だけでは大変な時期ももちろんありました。

特に、きょうだいの妊娠期間中や産後は、Mくんのケアや通院との両立が大変だったそう。その期間は使えるサービスに頼ったという高橋さん。ご飯は生協の宅配お弁当や、作り置きサービスを使ったり、行政の育児支援ヘルパー制度を利用したりしていました。

積極的に周囲とつながり、お互いに助け合う。それが心の余裕を生み、「いつも元気で明るい高橋家」になっているのだな、と思いました。

高橋さんは、これからもつないでいく

最後に、さまざまなつながりを大切にしながら日々を過ごしている高橋さんに、「ほぷふる」での今後の活動についてお伺いしました。

高橋さん : Mは運良く幼稚園に通えていたけれど、そもそも保育園・幼稚園に入れなくて困っている人もいます。医療的ケア児の母は、「働きたいけど、子どもを預けられる場所がない」と悩んでいる方もまだまだ多いんです。

私は人とのつながりで選択肢を増やせました。だから、いま困難な境遇にいる人たちに向けてつながりを作っていきたい。つながりを活用しながら、励まし合って、みんなで希望をみつけていきたいです。

人とのつながりで、選択肢を増やしてきた高橋さん。そして、高橋さんの築いた選択肢が、後に続く医療的ケア児とその家族の希望になっています。この記事が、誰かの選択肢を増やすことにつながれば幸いです。

編集後記

医療的ケア児を育てている私にとって高橋さんのお話は自身も経験してきた道がありました。そしてこれから経験するかもしれない道もありました。でもこれからについては、高橋さんが道を切り拓いていてくれた分きっと困難が少なく進んでいけるはず。そしてなによりも高橋さんから「大丈夫、一緒に進んでいきましょう」というあたたかい雰囲気を感じました。私も誰かにそんな希望とぬくもりを与えられる存在になりたい。そう思わせていただけるひと時でした。

取材・文:ノゾミ
編集:仲奈々

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