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「違い」について少しだけ考えてみた

違うから面白い。でも違うことで弾かれたり苦労したりすることもある。
そんなことを考えていた。

私は発達がゆっくりで医療的ケアが必要な子どもを育てている。年中のお子はそろそろ就学のために色んなところと相談や折衝をしていく必要がある。定型発達(あえて言う)のお子さんたちと同じような流れでは、小学校に上がっていけないし、本人も就学後苦労するのだ。

そんな折に夫と日本の教育について話した。

例えば、義務教育が「みんな同じ」を良しとするのは現在のクラス運営上仕方ない部分がもちろんあると思う。先生一人で児童30~40人みるなんて、そもそも無理があると思うのだ。

だから、学校が悪いとか教育委員会が悪いとかそういったことを言いたいのではなく、日本全体でとして「みんな同じ」であることを強要しない姿勢と体制を作っていけたらいいのになんて思う。(少しずつ変わってきていると思うけれど……)

具体的なことは何も考えられていない。でも、私がお子の就学準備に際してぶつかる壁になにかヒントがあるかもしれない。

少し話は変わるが、そもそも私は人と「違う」ということに興味をそそられる人間なのだと思う。
実際、枠にはまらない、固定観念を飛び越えている人が好きだし、そういった人を発信していきたいと考えている。

この「枠にはまらない」が「障害」や「病気」になったとたん、なぜか、少し、大変であったり不幸であったりするイメージがでてきてしまうのはなんでだろう。

それから、私は「違い」が好きで「違い」を受け入れられる人間だと思っていたけど、実は「違い」を受け入れられなかった過去なんて五万とあるなぁとも思う。

その受け入れらる違いと受け入れられない「違い」には何の差があるのだろう。

今度はそんなことも振り返って考えてみようかな。

自分の思考を整理するのって楽しいですね。

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