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なぜクラウンはここまで大きく変わったのか。―「弟」の宿命から考える―


個人的に今回のクラウンには「どうしてこうなった」という思いが強いので、自分の心の整理のために、あるいは同じような思いを抱いている同志諸兄らと意見を共有するために、「なぜクラウンがここまでの大変革を強いられたのか」について論じたい。そこにはトヨタの社運を賭けた挑戦と、今に至るための「成功の副作用」がクラウンに正面衝突していた。家族が乗っていたこともあり強く憧れを抱いてきた車だっただけに、今回のモデルチェンジはかなりショッキングだった。しかし、総合点で言えば期待値を超えていた、というのが率直な感想だ。

おいおいマジか。となった新型クラウン。SUV化もさることながら、デザインがなんとも…。

はじめに、変化を強いられたクラウン

クラウンは初代を1950年代に持つ、トヨタでも最も長い歴史を持つ車だ。まさに「伝統」を一身に背負っている車だ。
しかし、そんなクラウンは実は何度もその時代に併せて姿を変えてきている。4ドアになったり、ハードトップになったり、クーペになったり。ワゴン(エステート)になったこともあれば、商用バンにだってなった。タクシーにもなった(クラコンは正確には80系マークⅡがベースだが)。

そんなクラウンが今回の転換をするようになった根本の一つが「セルシオの登場」「レクサスの国内展開」であることには間違いない。世界水準の高級車で欧州車とガチンコに戦うことを目的とした初代レクサスLS、日本でいうセルシオは、これまで日本国内でクラウンが背負ってきた「フラッグシップ」というアイデンティティをいともたやすく取り上げた。トヨタによる没収である。この瞬間からクラウンは「2番手」であり「弟分」になった。つまるところ、「高級セダンが欲しけりゃセルシオ=LSがあるよね。ウィンダム=ESだってあるし。」という状況だ。

「走りのクラウン」

そこでクラウンが目を付けたのが「走り」だった。170系クラウンでは「アスリート」が設定され、220系で廃止されるまでこのグレードは「走りのクラウン」を体現した。2003年の180系クラウン「ゼロクラウン」では根本的にデザインや動力、足回りを刷新し、より「走りのクラウン」を印象付けた。この車は20年経った今でも通用すると思っている(車内やソフトウェアはともかくとして)。200系クラウンは180系のキープコンセプトだったものの、ハイブリッドが設定され「大排気量エンジン+ハイブリッドで走りのいい高級セダン」が決定的になった。

180系「ゼロ・クラウン」は、これまでの伝統の鎧を脱ぎ、変革の可能性を見せた一台だった。

がらりと方向性が変わったように見えたのは210系だった。王冠を模した大きな開口部を持つグリルと、同時に大きく目立つようになった王冠エンブレムを持つクラウンはショッキングピンクの塗装(通称:ピンクラウン)と相まって賛否両論を呼んだ。この頃には既に「こんなのクラウンじゃない」という言葉が多かったように思う。このデザインの変更は個人的には大変良かった。ユーザーの若返りを図りつつ、「伝統的な高級車」の側面を決して忘れない一台だった。つまりこれはどういうことか。筆者がここで指摘したいのは、「210系が180・200系と比べて大きく変わったのは見た目だけであり、クラウンの持つ性質は何ら変わっていない」ということだ。結局、メーカーが期待したような大幅な若返りは出来なかった。

210系クラウン。「高級セダン」としての「最後のクラウン」だったように思う。一番好き。

クラウンが追う「変化」と「葛藤」

220系は、210系までのクラウンをさらに先鋭化させてきた。200➡210よりも、210➡220の方が変化は大きかった。それまでの「ボンネット+キャビン+トランク」という典型的な3BOXスタイルを捨て、4ドアクーペルックなフォルムになった。最初に見た時の印象は、ポルシェ・パナメーラに近かった。Cピラーは大きく傾斜しながら車体後端付近まで伸び、同時にリアシートに乗る客人を迎えるCピラーの王冠エンブレムも消えた(オプションでは残っていた)。同時にグレード体系も大きく見直され、「ロイヤル」「アスリート」から「RS」「G」などといったほかのトヨタ車と似通ったグレード名になった。この代でクラウンは「伝統的な高級セダン」から「ドライバーズ・カー」としての性質をより強めた。結局、客離れは止まらなかった。内装も若返るを図ろうとした結果、あろうことかカローラと似通ったものとなってしまったり、「安っぽい」と評されることが多かったのも残念だ。しかし、「レクサス」と「カムリ」の中間、という絶妙に空いているのかいないかも分からない、文字通り「間隙を突く」というのは至難の業だったはずだ。

220系クラウン。今見ても「変わったな」と思わせつつ、新型と比べると安心感が残る。

クラウンの「居場所」

トヨタには似たポジションの車が多い。
スポーティなセダンといえば、レクサスISやカムリがいる。両方ともどちらかというとドライバーズ・カーの要素が強く、しかししっかりと高級セダン要素を残す。しかもカムリに至っては最上級グレードですら400万円台で車格としてはクラウンともほぼ同等。名前に至っても「冠(かむり)」だ。
上質なセダンといえばもっと多い。ISもカムリもあって、そこにLS、ESも入ってくる。セダン低迷のこの時期に、ブランド違いとは言え上質なセダンが5車種も存在する。世界一のメーカーだからできるとはいえ異様な光景だ。少ないパイを5車種で奪い合っているのだから、そりゃあ取り分は減ってしまう。「ISかクラウンかカムリか」という比較は幾度となくそこらじゅうで聞くし(特に前2者)、確かにキャラが被っている面は大きかった。その中でも「高年齢層が多い車のテコ入れ」が根本的に必要だというトヨタの認識は間違っていないはずだ。結果生まれた「新しいクラウン」が好きかどうかは別として、方針転換それ自体はもはや避けられなかった。

若年層からも支持の高い「カムリ」。パワフルな動力、上質な内装、手の届く価格。一級品だ。

ただでさえ「セダンが売れない時代」なのだ。このムーヴメントは日本だけでもない、世界的な潮流だ。
ここで競合する「スポーティで上質なセダン」を思い出してみよう。MAZDA6、WRX S4、そしてスカイライン。三菱にはもはやセダン自体が無い。フーガも消え去った(これについては確かに残る意味があまりなくなっていたと思う。機会があれば別に)。比較的体力のあるメーカーでさえ、このポジションは1台なのだ。

「勝たせてもらえなかった」クラウン

反対に、海外勢のセダンはよく売れている印象だ。街に出ればそこら中にベンツやBMWが走っている。クラウンが目指した「ライバル」はここだった。メルセデス・ベンツのEクラス、BMWの5シリーズ。ただ、クラウンがどこまで磨き上げたところで彼らは「輸入車」という時点で、既に一つ下駄を履いているようなものであることは確かだった。クラウンブランドは、真っ向勝負ではベンツやBMWには敵わなかった。いや、「勝てるだけの牙を与えられなかった」のだ。だってレクサスがあるから。振り返ってみれば、ある意味自明のことだった。「弟分」「2番手」になった瞬間から決まっていた、先刻述べたのは、まさにこれだ。

クラウンの永遠のライバル「ベンツ・Eクラス」。非常に強力な相手だった。

総括

結局のところ、トヨタが「欧州車に勝とう」としてセダンを作り始めた、レクサスを作り始めた瞬間から、日本における「クラウン」は揺らいでいたのだ。むしろここまでよく耐えたと思う。①クラウン自身の事情②トヨタの事情③セダン業界の事情、の3つを取り上げる形になったが、これらが複合してクラウンを襲った。しかし、これまでも、これからも、トヨタはクラウンを捨てられない。そのための変革だったはずだ。今回のクラウンを、筆者はすぐには受け入れられそうにもない。しかし、売れるだろうな、という気持ちは抱かせてくれた。最後に願わくば、セダンタイプが「完全なショーファー」で終わりませんように。スポーティ路線の活路が若干でも残っていますように。僕はもとよりSUVが苦手なのです。おわり。

余談
ケネス・ウォルツは国際政治を見るレイヤとして①個人要因②国内要因③国際要因、の3つのレベルを提示した。今回の①クラウン要因②トヨタ要因③セダン界要因、は「似たような部分あるじゃんw」と思い、こじつけを試みたものだ。しかし、本題であるクラウンの分析が疎かにならないよう細心の注意を払ったつもりだ。

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