田舎を好きになってみたかった

良いラジオを聞いていると文章を書きたくなるのはなぜだろうか。ちょっと最近の気持ちについて書きたくなった。

このまちに来てから、いつの間にか毎日幸せな気持ちで過ごせている。

毎日広い空を見て、おいしい野菜を食べて、一緒に笑ってくれる仲間がいて、家に帰ったら家族がいて、豊かな生活ってこういうことなのかな?

おすそ分けなんて本当に存在しているのかずっと疑問だったけど、最近はこのまちで採れた野菜しか食べていない。

昔は知らないことがひとつずつ減るたびに、辛いことが増えていくこともあったけれど、今は知ることが楽しくて仕方がない。

嫌な気持ちで仕方なくやるよりも、楽しくて仕方がないことをやるほうが良いに決まっている。

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生きていると仕方なくやらなきゃいけないことがたくさん出てくる。身近なことだと家事とか、田舎のしがらみとか、会社のルールだとか。他人と一緒の社会に暮らしているかぎり仕方ない気持ちでやらねばならないことが出てくる。

仕方がないことの中には、時々やらなくていいことも混ざっている。広い世界を知れば知るほど、その判断に他人とのズレが生じてくる。

田舎特有の狭い世界が嫌で飛び出したという話をたまに聞くことがある。自分の親もそのひとりだ。でも飛び出してみると案外どこも同じようなもんだったりする。ちがうのは自分のことを知っている人の数くらいだろうか。

いろんな場所に行けば行くほど気がつくのは、狭いのは自分の世界だったということで、どこにいたって自分から外に飛び込まない人間の世界は広くならないし、身近な人の考えていることだって自分をさらけ出さないと深く知ることはできない。

結局どこにいたって、自分がどうするのか。それがすべてなのだ。

かつての自分がそうであったように、やり方を教えてくれる人や環境がないとどうしたって世界なんて広がらない。偶然の出会いを待てばいいのかもしれないけど、そんなチャンスはいつやってくるかわからない。

もっと選択できる可能性を広げて、大人がそれを奪わないこと。次の世代には、そんな未来を託したいと思うわけです。

やっぱりね、終わらせたいんですよ。親の世代が苦労してきたことを。自分たちより若い人たちには、意味のない苦労はさせたくないと思うわけなのですよ。もうおじさんだからね。