だれのことも意識しないで過ごせる状態がひとりっ子の自分には心地よいんだろうなと思った話

7月に入ってから心が動く出来事ばかり起こる。もう少し誰かに伝えることを意識して書いてみようと思って、noteのアカウントをもうひとつ作った。それなのにキーボードを叩いてみても言葉が浮かんでこない。

きっと誰かを意識して発言をすることが得意じゃないんだろうな。会話するときも出来たら1対1で常にしていたい。だからここに綴ろうか。誰も意識しないで今日感じたことを。

人生って不思議なことが起こる。偶然とは思えない出来事が突然舞い込んでくることがある。でも実際は、レールを脱線して自分の意思で行動してみたら、そんなことは日常茶飯事で起こるようになる。浮き沈みの激しい人生だから尚更感じてきたけれど、行動したら舞い込んでくる。ただそれだけのこと。

このまちにも意思を持ってきたわけだから、なんだかんだで自らいろんなところに飛び込んでいる。人から与えられたことは無駄だなと思ったら、時間をかけない方法を考える。こっちからしたら私の人生なのだから、当たり前のことだ。たかだか何十年の歴史の中で作られたルールが生物の本能に勝てるはずもないだろうに。

たくさん行動すると気がつくことがある。あれ?尊敬できる人はみんな同じことを言ってる?実際はそうではなくて、自分が目指したい方向がそこにあるから、その人の言葉に魅力を感じて尊敬の念を抱くのだ。成功事例なんて意味がない。欲しい未来はまだ訪れてないんだから、成功かどうかは死ぬ寸前にやっとわかることなのだろう。

ひとが好きってけっこう辛いことだ。ものが好きならずっと深掘りし続けてればいつか仕組みが救ってくれることもある。ひとベースで動くと仕組みを壊したくなるようなことが多い。ルールは多数派のために作られているから、奴らに行動力なんてあるはずもない。ショッカーでもあるまいし、大勢で機敏に動かれたら常に大変だ。

だれのことも意識しない。この言葉だけ聞くとすごく乱暴に聞こえる。でも実際はとてもやさしい世界だ。だれのことも意識しないことを完璧にやるためには、だれにも文句を言われない選択をする必要がある。それは他人がなにを思うのか、多くの想像があって初めて実現できる。だれのことも意識しないことは、だれにも反発意識を持たれないのだ。

きっとそれはとてもシンプルで簡単なこと。人の心の余白があって、受け入れてもらえることなのかもしれない。いつも一緒にいる友だちと話すときにいちいち言葉を選ばない。それはお互いのことを理解しているからこそ成り立つことであり、話した本音の数が少なかったら難しいだろう。

相手を思いやることで、本音を出せなくなることもある。人と人が分かり合うなんて、そんなに簡単なことじゃない。他人のこと気にしない練習をしないと感覚には染み付かない。だから分かり合う必要もない。お互いを尊重し合えるのであれば。

きっと仕組みが思いやりを持ちづらくさせたんだろうな。日本人の?ホモ・サピエンスの?それはわからないけど、全体が心地よくなる日はこないんじゃないかなと思っている。人は愚かな生き物だ。目の前の人たちをそういう人だらけにすることなら、自分から動けばいい。唯一、わかってるルールは自分しか変えられないこと。

このまちにはそういう人がいることをわかったから、その人たちを応援したらいい。別になにも変える必要ない。応援してれば仲間が増えていく、そうやってやってきた。ヲタクとして、好きな人の良さを好きな人に伝える。その繰り返し。

仕組みなんかじゃ何も変えられない。枠の内側には何もない。しんどいことがあったって、やっぱり知らない世界をたくさん知っていきたい。荷物を減らす年齢になったんだと思う。誰かに任せるのは諦めた。自分でやらなきゃ目の前のもん大事にできないね。

30年後くらいの自分がこの文章見ても理解できない内容になったけれど、それでいいんだ。だれのことも意識しないで過ごせる状態がひとりっ子の自分には心地よいんだから。今日も妄想してたら夜が更けた。寝よう。