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22年12月広島旅行3日目(呉)

※今回の記事はすべて敬称略でお送りします
※なるべく入念に調べたがどこか違っていたら申し訳ない


 朝はシャッキリ目が覚めたが、疲れは残っており血圧も低いのでフワフワとしていた。さすがに土産などで荷物が重たくなったので、駅近くの郵便局から自宅宛に送ることにした。この選択、よくやったと思います。
 これまでの旅記で書いていないのだが、とにかく広島県各市町のリーフレットやパンフレットを見つけるごとに回収しており、それがかなり重たくなっていた。紙は本当に重い。学生の頃、本の重みで本棚の底を全部抜かしたことをいつも思い出す。
 不所持のものを選んだはずなのだが、広島バスセンターに広島港、尾道駅にこのあとは広島駅新幹線口の観光案内所と取れるところが多すぎて無限に見つかってしまう。確実に不所持のものを選んでいるのに。ほぼ全部とってる。怖い。
 そんなこんなで、紙ものを中心に急がない土産物などをゆうパックに詰め込んで送り出した。もはやコインロッカー要らずの軽さである。最高。

 3日目、真に身軽になった私はまず呉駅から昨日の道のりを戻った。向かうのは新広駅。
 ここでたった一つのものを見るために、厳しく長い間隔のダイヤを召喚し時間を犠牲にした。

見たかったんだよなぁこれが……

 今回の旅、人から見たら「それ見に来たの!?」となるものが結構ある。これを見に来ました。これを見に来て、呉に戻るとき20分くらい電車を待ちました。これだけです。はい。一人旅じゃないとできないよねこういうことは……!! 
 そしてこのあと向かうのは川原石駅近くの場所であり、それなら川原石まで行ってそこから呉中心部まで歩いて戻ろうかなと考えていたのだが、私は呉線のダイヤを完全にナメていた。時間本数もだが、そのうちほとんど快速安芸路ライナーが走っている。広島に向かうには十分なほど走っている。
 しかしこれは川原石駅には止まらない──……。
 別に呉駅から徒歩20分もあればつくところではあるので往復するかしないかくらいの違いではあるのだが、この時点で2日間総合17キロ近くを歩いていた私は結構かなりつらかった。(ちなみに3日間合計は30キロほどだった)
 しかし呉線が「ないです!」と言えばそれはそこにはないので、おとなしく呉駅に戻り目的地まで歩くしかない。歩きました。

ヤブツバキかな?
いたるところに植わっているのは、いかにもツバキが市の花である呉らしい

 向かったのは「船の資料展示室」である。
 大和ミュージアムの別館というか倉庫みたいな……そういう施設だ。ここには名も無きTSLがいる。

 テクノスーパーライナーTSL
 次世代型船舶として、国家プロジェクトという大きな計画で生み出されていった船たち。運用コストが多く掛かり民間運用に至れず、夢のように生まれ夢のように終わった船たち。
 このふねは最初期の実験船で、かつては大和ミュージアムにも展示されていたが現在はここに安置されている。
 以前「花緑青」という作品で描いた、スーパーライナーオガサワラの実質にあたる存在ともいえる。彼の実験が成功したことでTSL事業は進み、スーパーライナーオガサワラも生まれた。しかしその行く先はよく知られたところである。
 そんな彼がここにいるのだとTwitterで教えてもらったので行くしかないだろう。特に何をするわけでもないけれど。具体を成し得なくても、目視することに、一言でもあいさつすることに価値のあることはたくさんあるのだ。

 それは、奥側にひっそりと佇んでいた。
 色あせ剥げたにぎやかな海のペイントの壁沿いの向こう側、隣の駐車場から見える奥側に。彼自身もすっかり色あせ佇んでいた。

 居場所はなくなってしまったが、所有している以上はこうするほかないのだろう。
 ここから海は見えない。

 ここで一休みしてから、来た道を戻り今度は呉市立美術館へと向かう。本日の大目的のひとつだ。ちなみにもう一つは大和ミュージアムとてつのくじら館へ行くこと。(てつくじは閉館時間に間に合わず諦めました。また来ます。今回の旅はこんなんばっかりである)

 呉市立美術館は入船山公園内にある。ここでは道中、銅像のほか戦艦大和の歴史を追うようなデザインマンホールを見ることもできる。

 そして今回はこれを観に来ました。

 今年は呉市市制120年。
 呉は鎮守府開庁後1902年に市制施行された。ここから呉市は激動の歴史を歩んでいく。
 そんな呉と共にあった美術作品を展示し、呉の歴史を美術の側面から紐解いていく企画展が行われていたのでやって来た。

 真っ先に展示されているのが宮原村・呉浦の風景、不詳「呉浦の図」(1884〜5年)である。
 その後の大和ミュージアムでも展示があるが、鎮守府が開かれることになり変わっていくことが決まった宮原村の景色をとらえている作品。漁村であった場所のかつての風景だ。次に展示のある、岸雪江「宮原村 塔の岡山の図」(1880年)と併せ、この地を手放さなければならなかった変化をしなければならなかったかつての漁村に思いを馳せてしまう。

 戦争が深まるにつれ、呉港はスケッチすら禁止され秘匿されていく。彼らが目の前で見ていた美しい呉の景色すら、描き出すことはかなわなくなっていった。
 それが芸術家にとってどれだけつらいことか。目の前にあるうつくしさと愛をカンバスを通じて表現できないのは、口を塞がれ息を止められるよりも苦しい。隆盛した呉の美術は、戦火はもちろんそうして筆を折って喪失された部分もあるのだろう。
 そんな中たった一枚、当時の呉港の作品が一枚展示されている。南薫造「呉港」(1926年頃)。シンプルに描かれているが、彼の目に映った呉港の姿が描き出されている貴重な一枚だ。

 話が前後するが、今回の企画展は呉市の歴史と芸術家たちの活動を重ねて展示してあるため、時系列での展示がされている。
 近代美術の曙から各会派と呉における美術の隆盛、そこから戦争が始まり呉の美術の在り方はどうなっていったか。そして敗戦後の美術活動の復興と再開。
 作家それぞれのユニークな作品も展示しつつ、逃れられようのない時代の流れを痛感できる構成となっている。特に1932年の上海事変以降における変化は要注目である。
 戦後の作品において、振り返る作品が多いことも印象的であった。かつて描けなかったものを記憶を手がかりに描き出す。本来あり得ざる姿を活き活きと描き出せるのも、美術と創作の本懐であろうとも感じた。

 更に戦後は写真撮影も解禁されたため、写真作品がグッと増えているのも印象的だ。
 中でも、明田弘司撮影の「播磨造船所と呉湾」(1960年)はかなり心に残っている。戦後復興の影にあった、かつて自慢の工廠員たちの複雑な表情と時代背景が一連の作品に映し出されている。
 写真作品ではほか、上田泰生「やれ!恐ろしや!」(1982年)はクスリと笑いを誘う一枚。漫画作品では、こうの史代『この世界の片隅に』のカバーや原稿の展示もされている。
 今回の展示、魅入られ気に入った作品を挙げればキリがない。特筆しておきたいのがキャプションだ。
 キャプションというのは、いわゆる作品の横に添えられた白い厚紙に書かれている解説のことである。これが、丁寧かつ時に感情をいい意味でうかがわせ、展示作品と合体して素晴らしかった。

 気がつけばあっという間に2時間も滞在していた。長く感じるどころか時間が足りず、この日が最終日でなければもっとゆっくりしていたかもしれない。
 呉市市制120周年にふさわしい企画展である。現地に行けない方も、ぜひ図録でご覧いただきたい。通販もあるので。
 また、中国新聞デジタルでも会員登録記事ながら何回か今回の企画展の解説記事があるのでよければそちらも。

 記事※第2回※にもされた片岡京二の「憂鬱」(1923年)は、その前に展示されている「無韻の」(1920年)と併せて、その画風とともに強烈なインパクトがある。しかもこれが大正時代の作品なのだから、戦前美術の豊かさも感じられる一枚だ。

 もう頭が!お腹いっぱいだが……!! の気持ちで美術館を後にする。
 一部作品のポストカードの販売があったので、その中でも気に入った朝井清「盛秋」と其阿弥赫土「雲辺寺」を購入した。
 余韻を噛み締めながら坂道を下っていく。これから大和ミュージアムとその企画展も控えているのに頭も胸もいっぱいである。嬉しい。

 まっすぐ呉駅方面には戻らず、北側にある商店街へと向かう。ここに来たからには福住のフライケーキを食べなければならないだろう。

店看板がとてもかわいらしい

 3つ買って、1つはつまみながら残りは大和ミュージアムの公園で食べた。足がクタクタなので休憩がてら。

この包み紙が好き

 昨日より風は冷たくなく、歩きに歩いた体には海風が心地良い。ちなみに夜はばかほど寒かったです。
 一休みして足にもなんとか喝を入れて、向かうのは呉市海事歴史科学館大和ミュージアム!!
 時刻はすでに16時を回る頃。フライケーキを買った時点でてつくじは諦めました。本当にすまん、てつくじの企画展「海自呉のバラエティに富んだ艦艇」(〜3/31)も観たかったんです……想像より美術館に吸われてしまった……。

 大和ミュージアムに来るのはおそらく8年ぶりくらいだ。
 驚いたのが、当時と現在では読む情報受け取る印象がまるで違ったことだった。大和ミュージアムの展示が変わったわけではなく、変わったのは私のモノの見方である。
 過去訪れた際は「艦これ」ブームによった、いわゆる艦船たちの側面から展示を見ていたように思う。なので、展示の始まりからこんなに呉という土地について解説されていたっけ……!? と驚いてしまったのだ。単純に私の目が節穴なのである。情報を受け取るって難しいね……。
 鎮守府としての始まりから海軍工廠の隆盛、戦局の悪化と空襲、そして戦後の開港と旧軍港市転換法から朝鮮戦争の特需による復興の勢いづき──。
 先ほどの美術展示と併せて、今回は想像を遥かに超えた、呉というまちの歴史を堪能する旅になってしまった。心と頭がもったりしている。
 常設展でこれで大丈夫か? 正味大丈夫ではなかったのだが、今回大和ミュージアムに訪れたのはこれまた展示鑑賞目的がある。

 第30回企画展「海軍を描いた作家 阿川弘之・吉田満・吉村昭〜「大和」・「長門」・「陸奥」のものがたり〜」。
 また訪れた12/7より、名誉館長・半藤一利氏の展示も加わった。日程ずらして……よかった……!

 この企画展は、戦後描かれた戦争文学を貴重な資料の展示で辿るものだ。振り返れば振り返るほど今回の呉旅、濃厚派手派手コースである。
 こちらは文学が戦後どのように在ったのかを知りたくて足を運んだ企画展なのだが、特に吉村昭の展示での「戦史小説の限界」というものは重たく胸に響いた。
 当時を知る人がこの世を去る、減るということは、読んでひとつ胸を撫でおろす、熱意の昇華をおこなう読者の不在ということであり、何より取材困難になるということである。
 かつての事象や記憶をどう語り継ぐか? というのは広島市においても大きなテーマであり、それよりずっと早くこれらを体感していた戦史小説という存在は自分の胸に重くのしかかった。


 この企画展は当初3月末までの開催だったが、好評を受けて23年5月31日まで会期が延長されている。
 大和ミュージアムの入館料と併せたセット券800円、企画展のみは400円で鑑賞が可能だ。
 ぜひ訪れてみてはいかがだろうか。
▷大和ミュージアムWEBサイト


 企画展示のエリアを出ると、すぐ大和の巨大模型があり更に向こう側に全面のガラス窓がある。

大和と夕暮れ

 呉の夕暮れがよく見え、思わずしばらく立ち尽くしてしまった。なんて美しいんだろう。

 さて。
 大和ミュージアムを呉旅の最後に持ってきたのは、何もフェリーターミナルが近いからというだけではない。
 12/1より「夕暮れの呉湾と大和」として、16:30以降ミュージアム内の1/10戦艦大和がライトアップされる企画が始まっていたのだ。 

 夕暮れをバックにさまざまな色で照らされているが、やはり青色が美しい。
 展示も見終わり、ライトアップされた大和を眺めながら閉館間近の大和ミュージアムを後にする。外はすっかり日も暮れて、肌寒い冬らしい風が吹き付けていた。

 長くなってしまったので続きは次の記事で。
 これから、船で宇品へ向かう。

▷写真いろいろ

▷2日目福山の記事

▷1日目広島の記事

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https://instagram.com/tosasake88

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