見出し画像

22年12月広島旅行2日目(福山)

 2日目朝。
 今日もすこしタイトなスケジュールで進む。先に伝えておこう。この3日間で完全に時間的ゆとりがあったのは昨日の1日目のみである。ちなみにほぼ移動時間(と予定外の施設滞在時間)に吸われている。私個人の好みが、移動の速さというモノより何で移動するかというコト重視であるから仕方がない。

 今回は再び広島バスセンターから、ローズライナーを使用して福山駅へと向かう。福山にはおよそ1時間45分ほどで到着する。バスで備後方面へ向かう場合は尾道ばかりであったので、福山には初めてバスで入る。

ローズスター。新し目の車両なのか外も中もピカピカしており、コンセントまであった。
コンセントとトイレのついたバスは旅において心強い

 バスセンターを出発すれば、左手側に2023年春オープン予定の旧広島市民球場跡地・イベント広場の工事現場、更に奥側には2024年完成予定のサンフレッチェ広島の新スタジアムの工事現場が見える。

基町方面も景色や在り方が大きく変わりそうで楽しみだ

 平日ながら福山方面へ向かう利用客は多かった。

 昼のバスで移動するのは楽しい。車窓を眺め、山の形や住宅街、山間の集落などを眺め気になったポイントを見つけてはスマホでマップを開いて確認する。
 景色をよく覚えているたちなので、これが見えたから今ここだなとマップを確認するのもまた、楽しい。バス移動も在来線移動もやめられないのはこのためである。とにかく移動が楽しくて仕方がないのだ。
 さすがにタイトなスケジュールでは冷や汗もかくし、関西に出てからはあまりに事故等で電車が止まるからゆとりない存在であるという一面を知ったりもした。それでも好きである。
 景色を覚えているといえば、高速をおりて福山市街を走っている間、15年以上前に通ったであろう道を確認することができて脳がむずがゆくなった。
 昔、親にバイクで連れられ香川県はこんぴらさんに行ったことがある。その際にラウンドワンがあるあたりの風景をよく覚えており(ラウンドワンがあったかは覚えていない。他の建物などが記憶に合致した)、私は自分が思うよりずっと昔からさまざまな地と触れあい生きていたのだなあと再確認した。今の記憶を持って当時に振り返りたいことが、この2年でたくさん増えたように思う。

 そんなこんなで無事に福山に到着。
 5月ぶりの福山駅前はバラも控えめに(それでも多くの種類が咲き誇っていた)、変わらない佇まいをしている。しかし明確に変わった点が北口にある。
 ──その前に、10時も回っていたのでこの人に会いに行こう。

 そう、バットマンである。

 何を隠そうこの福山市、今年に入ってゴッサムシティと友好都市を結んでいる。このニュースを聞いたときはたまげた。治安うわ誰だ何を なんだこの市、ノリノリじゃないか。
 その縁あり、さんすてにバットマン像が展示されている。思っていたより大きく、近い。私が知るバットマンはアニメーションがせいぜいなので、顔の造りがリアル人間なのもすこしドキドキした。リアルだ……。

精悍な顔つき

 福山市がなぜバットマンもといゴッサムシティと友好都市を? と思う方もいるだろう。それには、この福山という名の成り立ちが関係している。
 福山という地は1619年、水野勝成(敬称略)が入ってきたところから福山藩として大きな歴史が始まる。
 水野勝成は当時の山陽道から離れ、水運などより便利の良い現在の福山を拠点とし福山城を築いた。この城が築かれたのがもとは蝙蝠山と呼ばれた山であり、蝙蝠は「福」に通じるということから「福山」と名付けられたという経緯である。
 そのため、福山市の市章もコウモリと山をかけ合わせたデザインとなっている。ぜひ見てみてほしい。
 つまるところコウモリ繋がりの縁なのだ。このような関係があり、更に今年春にはバットマンの映画も公開とあって、このたび福山市からはたらきかけゴッサムシティと友好都市締結が成った。なんだこの市、ノリノリじゃないか。

 撮影もそこそこに、福山駅北口へ向かう。5月から変わったもの。それは、駅北口を出てすぐの広場と──

福山城である。
 5月の時点で足場がほぼ取れて天守閣はお目見えしていたのだが、これは完全体。北口広場もほぼ完全体である。2025年の世界バラ会議開催の際はもっと華やかにバラが広場を彩っていることだろう。
 思いの外多く咲くバラを愛でつ撮影しつつまずは福山城よりは北、鬼門へ向かう。ここには鬼門の守りとしてうしとら神社が置かれている。

 機嫌よく歩いていれば、思わぬ収穫があった。

すごい詳しく説明されてる

 両備軽便鉄道の痕跡が……ある……!!
 知らん知らん! 盲点でした!
 ぼんやり歩いていたら急にこの看板が目に飛び込んできて無意味にその場を2往復くらいうろうろとしてしまった。知らん知らん何それそんなことしてくれてんの?
 きれいめな看板を見るにすこし新しい気がするので、刷新されたか何かの機会で設置されたのだろうか。いや〜知らん知らん! そもそもここに線路があったのも知らん〜!!!!(興奮)
 残念ながら礎石を確認することはできなかったのだが、唯一の礎石その痕跡である。こんなところに……。
 軽く説明にならない説明をしておくと、私は両備鉄道と尾道鉄道に興奮する人間である。本当に説明になってない。
 まったく予想外の発見をして時間を取られながら先へ進む。名残惜しい。めちゃくちゃまだ見てたい。石しか見るものがないとしてもまだ見たい。

 コンクリートの極楽橋を越える。うしとら神社のある小高い山のふもとには水路も通っていた。

福山市には水路が多くある。
この風景の美しさは最高なのだが柵のついていない箇所もあり、死亡事故も耐えないのが難点だ

 この日も服装を控えめにしていたのだが、日光がジリジリと暑い。しかしコートを脱ぐには風が冷たい。葛藤を抱えながら坂道を上がる。うしとら神社方面、ふと南側を眺めれば福山城が見えた。

北側の鉄板張りが遠くから見てもカッコイイ

 すっかりおなじみの光景となった花手水を見つつ、一礼して更に階段を登っていく。このあたりは12月に入ったと思えないほど紅葉がまだまだ美しく、見上げても階段途中から見下ろしてもたいへん美しかった。まさかこんなに紅葉が美しいとは知らなかったので夢中で写真を撮る。

 うしとら神社に何があるとか、特に何をしたい厄除けしたいなどもなく、ただただ来てみたかっただけなので今回の旅の安全を祈願しつつお参りだけを済ませた。それだけではなんだか味気ないような気もして、再び来られるよう願掛けも込めて御守をいただいてきた。
 そのまま下山し、来た道を戻って今度は福山城北側へ向かう。待ちに待った鉄板張りとのご対面だ。少しだけ傾斜のきつい坂道を登り、広場へと向かう。──これは戻ってから気がついたことだが、福山(とこのあと向かう尾道)ではなんだか坂や階段を登ってばかりだった。広島と呉の山手を除く平坦さを噛み締めた。

 坂道は案外と短く、すぐに天守閣が見えた。

カッコイイねえ……!!


 この旅一番の興奮ポイントである。本気マジでカッコイイ。時間的に逆光というのが更に黒を際立たせカッコよさを引き出している。だめだ足が動かない。ない時間が吸われていく。これは福山の誇り。わかる。
 人が少ないのをいいことに、両手を大きく広げてただただ天守を眺める。ミナミコアリクイだってこの天守を見たら同じポーズをするだろう。
 しかしずっとこれをしているわけにはいかない。これから博物館に行くし尾道にも行って、夜は呉まで移動である。時間がない。なぜ宿が呉なのかは3日目の記録に書こう。
 名残惜しく後ろ髪引かれるまま天守北側を後にする。外から回り込んで見ても本当にカッコイイな……。

これには水野勝成公も誇らしげ

 南側、天守広場にやってきた。このとき福山城ではチームラボとのコラボで「光の祭」が開催されていた。(〜1/29まで)

 昼見れば白い卵が大挙して天守広場に押しかけている図にしか見えないが、これが夜になれば幻想的で美しい光景を生み出す。
 しかし昼見るとなんかこう、なんかアレだな……。昼のタマゴも見たい! とはしゃいでいたが、想像以上にアレだな……。

天守展望からみるとまたすごい

 福山城博物館の入城料は一般500円。現金だけでなくQR決済なども使用できる。
 現在は平日のみならず土日でも予約無しで入ることができるが、混雑を予想してチケット販売所の前に案内所も設置されていた。休日などの混雑しそうな日は事前にチェックするか、案内所の指示に従おう。
 福山城の記念メダルも発券所のすぐ横に設置されているのでお見逃しなく。

青空に天守の白とメダルのコントラストがいい感じ

 この福山城博物館がダークホースだった。
 この旅には大穴がふたつある。福山城博物館と3日目の呉市立美術館である。
 天守閣がリニューアルされたということは、もちろん博物館もリニューアルされたということである。である、とは言ったが私は今回が初めてなのでリニューアル前は知らないのだが。これがもう、入って秒で最高だった。
 入城して受付をしてもらって、階段を上がってすぐあるのは福山城と福山の歴史を伝える短い映像である。今回の北側鉄板張りの仕上げの一枚を張り付けたことでもおなじみの春風亭昇太師匠が案内を務める。
 ここでもう感極まってしまった。
 涙腺が激弱い人間はこの映像を見て「へーそうなんだなぁ」とはならない。感極まって泣くのをこらえるはめになる。福山城と共に歩んできた福山の歴史は今日に至るまで胸にずっしりとくるものがあるのだ。
 今日という日があって良かったなぁと改めて噛みしめる。鉄板張り復元前の福山城にも大きな意味と誇りがあったし、復元された福山城にも大きな意味と誇りがあるのだ。
 この時点でそうとうのジャブを浴びせられながら先へ進む。水野氏から阿部氏へ。福山城の歴史を、貴重な史料などと共に辿っていく。
 やはり多くは水野氏──水野勝成公に割かれている。福山はじまりの祖であるから当然でもあるだろう。武将としての功績だけでなく、現在で言う水道の整備など領地経営の展示もある。この水道についての展示が見たかったので、現物が見られたのはとても良かった。
 水野氏の展示エリアには更に面白い展示要素がある。いや、体験要素か。なんにせよ博物館では目玉の要素だ。

 そう、一番槍レースである。

一番槍レースである!!!

キミも水野勝成になろう!!!!

 仕様は至って簡単。乗馬して手綱で左右を操作しながら、加速アイテムをうまく使い他の武将に負けず本丸まで辿り着くといったゲームだ。言ってしまえば戦国版マ○カーである。
 これが、操作さえできればパーフェクトに加速アイテムを取れるイージーなゲームかと思いきや、カーブの配置がエグいところがありパーフェクトにならない。別にパーフェクトでなくてもいいのだが、このコーナーの攻め方はゲーム心をくすぐりすぎる。やり込みたい。
 なお、この一番槍レースではレースだけでなく、レースコースを乗馬して眺めるだけのモードと子どもさんでも楽しめる撮影モードの計3種類が用意されているので、ゲームができない人でもじゅうぶん楽しめる。レースをクリアした結末は、ぜひその目で確かめてほしい。
 ちなみにこの奥には火縄銃の同じような体験コーナーがあるのだが、このとき一番槍レースで盛り上がった人たちとまた一緒に盛り上がってしまったので写真がない。シングルタスクです。
 20間(約36m)離れた的に、実際火縄銃を構えて弾を当てるゲームなのだがこれがなかなか難しい。難しいが、当てられる人は当てられる。エイムに自信ある人はぜひチャレンジしてみてほしい。
 また、見事に的に弾を当てることができると記念撮影もできる。私の写真はない。つまりそういうことです。

 博物館でもうひとつ感心したことがある。たいていこういった博物館は館内が暗くなっており、展示エリアはもちろん階段も暗く見えにくいことが多い。
 私は目があまり良くなく暗いところがあまり見えないため苦慮するのだが、この福山城博物館の階段部分では人が歩くとセンサーが感知し、少しだけ明るく場所を照らしてくれる。これが本当に大助かりで感心した。
 ちなみに天守入り口にも階段があるのだが、そこには足の不自由な人も上がれるような自動スロープ? 座って上に自動で上がれる設備も搭載されている。もちろんエレベーターも各階にあり、バリアフリーに可能な限りで対処されていてそこも好印象だった。
 天守閣のてっぺんから四方を眺めつつ、一休みして忙しなく城を後にする。
 次に向かうのは尾道だ。この地域の在来線は何分ごとにくるぜ! ということはなく、地方らしく間隔が長い。一本を逃すと福山といえどもなかなかしんどい。すでに時刻は午後に差し掛かっていた。

一本でも電車を……逃したくない……!!


 思いの外長くなったので、尾道は別枠でまとめることにする。
 今回の尾道は観光目的ではなく趣味の調べもの目的なので、そんなに長くならないことを予告しておこう。

▷写真いろいろ

▷広島旅行1日目はこちら

▷Instagramある

https://instagram.com/tosasake88

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?