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ネガティブと向き合う【2023年10月12日】


ふと、「悩む」「迷う」っていいな〜なんて思った。

なんで、人は悩んだり、迷ったりするんだろうって考えると、その人なりの理想像とか目指したいものがあるからだと思うんだよね。

その理想や目指したいものに向かって行くための手段がいくつかあって、やらなきゃ行けない優先度と、やりたいことの優先度がそれぞれ交差する過程で、どういう選択をしようかな〜みたいな。

そして、人が悩んだり、迷ったりする原因の1つは「他者との関わり」だと思う。

多様性が認められつつある時代、インターネットの普及によって、情報化社会によって、いろんな選択肢が見えやすくなった。

自分より優れている人がいる。
自分より楽しそうにしてる人がいる。
自分より稼いでいる人がいる。
自分よりかっこいい人がいる。
自分より頑張ってる人がいる。

上を見れば、それは無限大で、比較してしまうからこそ自分を卑下したくなる時があって、その誰かを妬んだり羨ましく思うことがある。

よく、「比較することはよくない」みたいなことを言う人がいるけど、俺は比較はあって当然じゃない?って、最近思うようになってて。

むしろ、妬みとか羨ましいと思うその気持ちに、自分の理想像や目指したいものが隠れている気がする。

「あいつ俺より楽しそうだな。」って思ったら、「俺はもっと楽しみたいんだな」ってことの表れだし、

「あの人は海外旅行行ってて羨ましいな」って思ったら、「そっか、俺は海外行きたいんだな」ってことの表れだし。

そう考えると、妬みとか羨ましいと言う感情は、決してネガティブなものではなくて、自分を見つめるいいきっかけなんじゃないかなって考えられるんだよね。

だから、誰かを見て羨ましいなって思う時は、自分はそうなりたいんだって考えるようにしてる。

「他者は自分を映す鏡」ってこういうことなんじゃないのかな。

誰かと比較するから、自分の現在地がわかる。自分の実態がわかる。

妬んだり、羨ましいと思う感情を、その相手にぶつけるんじゃなくて、そのまま素直に自分に向けることができたら、この社会は、この世界はもっと平和になるんじゃないのかなって思う。

妬んだり、羨ましいって言う感情が生じているその時点で、その人には向上意識があるわけで。それはもっとこうなりたい、もっと良くなりたいって気持ちの裏返しで。


誰かと比較すること自体は当然で、その結果自分を卑下する必要性は全くなくて、「俺、まだまだ向上できるやん」「まだまだ上目指せるじゃん」って、自分の活力に変えられたら、なんて素敵なんだろって。

みんな、潜在的に「幸せになりたい」「心地よく生きたい」「もっとよくなりたい」っていう気持ちはあるはず。

悩んだり、迷ったり、羨んだり、そういうネガティブだとされてる感情も、見方や使い方を変えれば、自分を動かすエンジンになるんじゃないかって思うんです。

とことん悩んでいいし、迷っていいし、誰かを羨ましがっていい。

そうやって、立ち止まって考えるからこそ、人生は豊かになって行くものだと思うんだ。

立ち止まることを恐れないで。
迷ったり、悩んだりすることを恐れないで。

迷い、悩み、立ち止まっている、そんな誰かの励みになりますように。

今日も読んで頂きありがとうございます。

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