ロールズの「正義」、サンデルの「正義」

 格差の問題に挑んだロールズ

 戦後の日本人は、高度経済成長の恩恵を等しく受け、「一億総中流」の意識をもっていました。真面目にコツコツと働けば、電化製品に囲まれた家族団らんの「小さな幸せ」をつかむことができたのです。
 しかし、21世紀に入り、「失われた20年」と呼ばれた景気低迷が続く中で、満足に就職できない若者も増え、正社員と非正規雇用者(契約社員・パート・派遣労働者など)との経済的な格差が広がりました。そして今、問題の焦点は「格差」から「貧困」へと移りつつあります。
 自由競争をすれば、勝者と敗者が生まれるのは必然です。しかし、取り返しのつかないような差が開いたら、「負け組」はやる気を失い、社会の活力は失われてしまいます。アダム・スミスの言うように、「神の見えざる手」が自然と働くわけではないようです。
 だとすれば、問いは、「格差をいかにしてなくすか」ではなく、「どのような格差であれば許容できるか」というように立て直されるべきでしょう。
 そのような現代的な課題を先取りして、「公正としての正義」という財の配分に関する原理を提唱したのが、アメリカの政治哲学者ジョン・ロールズです。

成功者が果たすべき役割 

 ロールズは、「公正としての正義」を実現するため、三つの原理を掲げました。一つ目が、平等な自由の原理。各個人には、他者の権利を侵害しない限りにおいて、自由が平等に与えられます。二つ目が、機会均等の原理。誰もが同じスタートラインに立つことができてこその、自由競争です。

 しかし、競争の結果として生じた経済的な不平等をそのまま放置していたら、次の競争では均等の機会が保証されているとは言えません。むしろ、最初についた差が広がるばかりでしょう。
 そこで、ロールズは、三つ目の原理として格差の原理を提示します。成功者は社会的に最も恵まれない者の生活を改善する限りにおいて、格差は容認される、というものです。
 ベンサムが掲げた功利主義の「最大多数の最大幸福」という標語では、たとえ「各人は等しく一人として数えられ、だれもそれ以上に数えられてはならない」
としても、富の集中(偏り)を防ぐ有効な手立てがありません。これに対して、ロールズは、成功者が社会福祉の義務を負い、格差を是正して自由で公正な競争が行われるようにすることで社会全体の幸福は増大すると考えたのです。

「無知のヴェール」

 成功者が格差の是正に努めるというのは、言わば、競争のスタートライン立つ前に互いに交わした「契約」です。実は、ロールズは、社会契約説が仮定する自然状態にヒントを得て、「原初状態」を想定しています。
 原初状態とは、たとえると、将棋などのゲームの開始時の駒の配置のようなものです。しかし、私たちは自分が生まれてくる境遇(配置)を選ぶことはできませんし、その後も、社会全体における自らが置かれた状況を俯瞰的に捉えることはできません。ロールズはこれを「無知のヴェール」と表現しています。
 つまり、原初状態は選び取ることも知ることもできないわけで、そのように「無知のヴェール」に覆われているからこそ、自分のことばかり考えて打算的に振るまうのではなく、「公正としての正義」の三つの原理に従うべきだと、ロールズは考えたのです。

サンデル教授の「正義」
 これに対し、NHK「ハーバード白熱教室」で日本でも知られるようになった、政治哲学者のマイケル・サンデルは、『正義』(邦題『これからの「正義」の話をしよう』早川書房)で、ロールズの正義論を批判し、共同体(コミュニティ)が与える共通善に基づく「正義」を説いています。
 サンデルの主張は、「正義」は共同体において何が〈善〉とされるかによって決まる、というものです。ここで言う〈善〉とは、〈目的〉とも言い換えられます。
 例えば、大学入試のあり方について考えてみましょう。大学とは優秀な学生を教育して社会に送り出すことが〈目的(善)〉であるとすれば、テストの点数のみで合格者を決定するのが「正義」となりますし(テストで本当に優秀な学生を選抜できるのか、という問題は残りますが)、多くの人に門戸を開き社会的な多様性を確保することを〈目的(善)〉とするならば、少数者(マイノリティ)に一定の枠を設けるなど優遇措置をとることが「正義」となります。「正義」は人々が何を〈目的(善)〉と考えるかで変わってくるのです。
 (ちなみに、少数民族や女性など社会的な差別・不利益を被ってきた人たちに対して、実質的な機会均等の確保のために積極的な措置をとることを、アファーマティブ・アクションと言います。)
 サンデルは、「正義」を社会的に実現するには共同体が与える〈善〉を受け入れる必要があると考えています。しかし、「自分は共同体の一員だから」という理由でそれを無批判に受け入れることは、共同体の外部にいる人たちに対する想像力を奪うことにはならないでしょうか? ロールズが「無知のヴェール」を仮定せよと言うとき、それができるのは理性を持つ人間だけです。サンデル氏は、学生を議論に巻き込むその講義スタイルとは裏腹に、根本的なところで人間の理性を信用していないのかもしれません。

(追記)続編として、ロールズの批判的継承者であるアマルティア・センについての記事を掲載しました。

ロールズについては、こちらの本でも取り上げています。

『マンガで倫理が面白いほどわかる本』(KADOKAWA)

https://www.amazon.co.jp/大学入試-マンガで倫理が面白いほどわかる本-相澤-理/dp/4046022388/ref=sr_1_1?dchild=1&qid=1599514808&s=books&sr=1-1&text=相澤%E3%80%80理



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