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「写真から100年」を見て気合を入れる

東京工芸大学 創立100周年記念展
「写真から100年」を家族と見に行ってみた。

本当はもっと前から知っていたらと思ったんだけど、なんの告知もなかったので・・・すみません。

写真の歴史と振り返る「東京写真大学」と「工芸大」の歴史


写真の起こりはダゲレオタイプからなので1839年。年表としてはそこからはじまり、工芸大の前身である1923年の小西寫眞専門学校の設立までの流れが丁寧に説明されている。ちなみにここには東工大も出てくる。

知っているようで知らなかった、
個人的に興味深かったあたりだけ紹介します。

私立大学医学部と同等だった学費

入試科目もどうみても理系に加えて図画まであって学費もめちゃ高い。
地方都市のお殿様を撮影していた写真館の息子が東京で学ぶ学校だったんだろうな。
測量技術者と近い印象を受ける。

写真大学→工芸大になるときに学生運動が起きていた

写真大学から工芸大学になった瞬間の出来事
メガホンを持っているのが当時の菊池眞一学長と思われる。
その頃のアルバムがあったのでしっかり見る
上手にトリミングされた写真だったのね。

「工学部とどっちが大切か」という禍根がその後もずっと残り続けている感じはする。
自分は「東京写真大学でよかったのに」という派なのだけど。

(というところでミュージアムの中では腑に落ちてしまったのだけど)

帰ってブログを書きながら公式記録を見てみると、実際には工学部の体育館で講演しているし、1970-1975年の5年ぐらいかけて工業化学科の最初の卒業生を出すまでに決めようというロードマップだったことがわかる。
「Polytechnic」という名前へのこだわりは菊池学長がアテネフランスで学び、フランスで学んだからだと想像する。エコールポリテクニーク、がポリテクとしての工芸、ひいては工+芸の分野を描いていると説いたのではと(後々の先生方の言を聞いても)想像する。実際私自身は、その考えを素直に理解して、フランス留学時代はENSAM(Arts & Metiers)にて学んだのだけど、こちらも工芸と訳すに相応しい大学だった。

大学の公式の歴史やフランスからの学問、理念とは別に、東京写真大学には東京写真大学のアイデンティティがある。その世代の先輩方の「想い」というものは不思議と今でも想像できる。70年代という学生の反骨精神もあるし、工芸大にはそういう「感情で行動してしまう若者」がたくさん集まっている。僕はそういう若者が好きなのでこういうブログを書いている。

ところで先輩には新田樹さんという人もいる。工学部に入って、今年、写真界の大きな賞をダブル受賞されました。歴々たる写真大学・短大・芸術学部の作家たちの中で、一際輝いて見えるのは、おそらく白黒作品からファインプリントの作品になったからだけだろうか。

他の作品についても図録を買ったので、時間があったら感想を述べていきたい・・・。


自分が入学したのはこの頃。


写真美術館が恵比寿にできて、父が映像にハマっていた時期だ。
これがなかったら写真大学に進学することすら許されなかっただろう。

女子短大ができたおかげで、キャンパス人口に女子が増えた。
芸術学部ができたおかげで、大学生協をつくる機運が高まった。
大学生協の設立や英語学習教室のCALLの整備、初めてSIGGRAPHに採択された「Fantastic Phantom Slipper」や、ネットワークメディアアート「CampusMAGIC」など工芸協働の研究プロジェクトをいろいろやってきたし、芸術学部の6〜8期ぐらい(2001年)の入学生には情報処理の授業を担当していたのだけれど、非常勤講師以上のご縁はなかったので残念。

「紅」の研究はよかったな

芸術学部の佐々木麻衣子さんが2016年に35ミリカラーフィルムで作った作品「」がきっかけになって8年にわたる紅の色素の研究につながっている。
調べてみたらこの作品、第57回科学技術映像祭で内閣総理大臣賞だった。

https://www.t-kougei.ac.jp/activity/archives/2016/article_48443.html

途中で出演している山田先生特有のニヤついた演技が気になるけれど内輪ネタでしかないな

みどりが丘団地の作品も良かった

百合オチが期待できるとは思っていなかったがいい作品だった


ガウディのタイル絵再現


近くではわからないモザイクが
合わせ鏡によって絵柄として見えてくる

民族記録映像のAI着色

展示手法が凝っている

息子が一生懸命見ていたのは学生作品。
この100年の歴史の上澄みだけ見ていては意味がない。
名もなき作品、未開の学生たちが何万人もいるのだ。

貢献者には先生や後輩など懐かしい名前もたくさんあって、ありがとうございますという気持ち。

写真から100年、の歴史には名前も残っていない私だけど、
工学部と芸術学部の間で何かしらの歴史のエポックを作ってきたはずではある。
メタバースや生成AIの時代でもね。
気合を入れてこれからも頑張っていくよ!

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