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日本のサグラダ・ファミリアで感じたこと #ともに生きる

絶え間ない改築の続く横浜駅。
JR、東急、京急、相鉄など6社が乗り入れ、1日200万人が利用する横浜駅は、年中どこかを工事している。実に1915年以来、工事が続いていたことから「日本のサグラダ・ファミリア」と呼ばれていた。
もはや工事の終了など地元横浜市民にとっては興味の関心事ではないのかもしれない。

横浜駅は障害者に優しくない

ともに生きる、神奈川県の障害者相互理解の活動で、言われていたこと、感じていたことを主体的に体験してしまった。

車椅子に優しくない

車椅子の参加者はかならず時間に間に合わない。
混み方が容易でない。30分以上の余裕時間をもってしても予定の時間にたどり着くのが難しい。
車椅子の参加者によると、工事の前後で改善どころか改悪されているという。たしかにそういう視点で見てみると、エスカレーター化が進んでいるが、スロープが全くなくなっているパス(経路)がけっこうある。
エスカレーターは歩行者にとっては楽であるが、車椅子にとっては通過できないパスでしかない。スロープの代わりにエレベーターがあればいい、という設計になっているが、スロープにはベビーカーも歩行者もスーツケースの旅行者も乗る。元気な歩行者もいる。一度には乗り切れないのだ。

スロープがあれば車椅子もベビーカーもスーツケースも歩行者もブロックなく移動できる。本当にそれだけなんだけど、3階以下の移動のためのエレベーターのみが作られていく。スロープが欲しい、ただそれだけの設計なのに。
どう考えてもスロープが作られるであろうゾーンに「工事中」の囲いあり、その工事が終わって囲いが外されて現れたものが「エスカレーター2本目」だったときの衝撃の言葉を僕は忘れられない。

雑踏で動けなくなったら何が起きるか

今日は、横浜駅で初老の男性が杖を持ったまま立ちすくんでいた。

DALL-E3にて生成:実際の雰囲気はもうちょっと若い。

聞けば「片足が麻痺だが、もう一方の脚も動かなくなってしまった」という。
エスカレーターには乗れず、エレベーターに向かっているが、雑踏の速度が速すぎて一歩も動けなくなってしまっていた。
自分は、両手を大の字にし、雑踏を制御し、なんとか動けるか話しかけてみるが、「ごめんなさい、迷惑かけて、いつもは動くんだけど」というばかり。タクシー乗り場までたどり着ければ大丈夫なんだが、本当はトイレにも行きたい、横浜駅にはかつて座れる場所が沢山あったのだが、いまは休める場所がない…「でも、大丈夫ですから!」という声を聞いた。声だけは元気なのはいいことだ。

僕はその場を立ち去った。

そして駅員さんに走り、警備の方を呼んでいただく。
車椅子をもってきていただき、あとはお任せした。

現場に戻ってきたときには、優しい女性(しかも美しい方)が声をかけていた。聞けばその方も母上が障害をお持ちだという。ともいき仲間やったぜ。

椅子がない横浜駅

しかし、新しい横浜駅には、本当に、座る場所なんかない。
コロナが明けて以降の街の混みようは本当に激しい。ドコモかしこも人だらけ。外国人旅行者も多い。その間に工事が進んだ箇所も多いのだけど、人の混みようによって障害者の背負う難度も一段と増している。

障害者だけでなく、お年寄りだって、自分の未来だって、こういう事は起きる。

若くて元気なみなさんにとって、こういうことは「興味や関心があること」ではないのかもしれない。

こまっている人のことを考えられる、声をかけられる、
そういうぬくもりのある街になってくれたらと思う。

それこそが街の魅力であると思うし、日本のサグラダ・ファミリアは、まだ人々を家族として包摂できるほど完成してはいない。


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