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あなたは、悪くない。

先週、実家近くの商業施設パルコに買いものに行った。
エスカレーターのを降りていると、後ろから小学校低学年の2人の男の子が、突然後ろから笑い声と共に、ものすごいスピードで駆け下りてきた。

そのまた後ろから、60代前半くらいの白髪の男性が「危ないぞー」と歩きながら降りてきた。お孫さんとおじいさんという関係性に思える。しかし2人の悪ガキ男子たちはいっこうに男性の言葉など耳にも入っていないようで、全速力でエスカレーターを上から下へ走って駆け下りていた。

この年頃の子どもというのは基本的に大人の言うことなど聞いていない。
だから本当に伝えたいことはしっかり向き合わないといけないと思うのだが、この祖父の男性は孫2人に対して「危ないぞー」と、怒ってるわけでもなく、ただ注意してますよというだけの声掛けをしていた。当然、走っている男子2人には届いていない。

そうこうしているうちに下の子が前に立っていた女性にぶつかってしまった。そんなに衝撃はなかったようで女性は「大丈夫ですよ」と言っているが、祖父はここぞとばかりに2人に「ほら、謝れ」と促した。すると上の子が「俺は悪くねーよ!」と叫んだ。

遠巻きに見ていた私はこの祖父にも男子2人にもムカムカしてしまい、どこかから昭和おやじが登場して、この悪ガキどもをこらしめてくれないかなと願った。
しかし昭和おやじは登場しないまま、また2人の男子は走っていってしまい、男性はうんざりしたような顔でその方向に向かって歩いて行った。

こういう場合、第三者としてどういう対応が出来たのだろう。

エスカレーターを全速力で走る男の子。「俺は悪くねーよ!」という男の子が目の前にいたら。私は瞬時に言語化できなかったけど、あなたならなんという言葉を伝えますか。

時間をかけて想像してみた。

まずしゃがんで、男の子と目を合わせる。そして「俺は悪くねーよ!」という男の子に「そうだね、あなたは悪くない」と伝えるところから始めようと思う。

おそらく普段から親に「お兄ちゃんでしょ!」と怒られているだろうし、学校でも元気が良すぎて、先生たちから持て余されているように見受けられる。「俺は悪くない」という言葉がまず出たのは、しょっちゅう大人から悪者にされてきていることへのとっさの反応なのだろう。だからまず「自分はあなたを責める目的は持っていない」という意図を、言葉でも態度でも伝える必要がある。

そして「確かに動く階段ってたのしいよね。でもこの動く階段はね、あなたが思うよりとても危ない場所なんだよ。あなたは怪我をして痛い想いをするかもしれないし、誰かに痛い想いをさせてしまうかもしれない」と、相手に寄り添いながらここで遊ぶデメリットを伝える。
相手を屈服させようとかコントロールしたいという気持ちを手放しながら、ゆっくり伝える。

それでも「いやだ!俺はこのエスカレーターで遊びたい!」と主張するのなら、いっかい自分の話は止めて彼の話をじっくり聞いてみる。もしかしたら彼には彼なりにここで遊びたい理由があるのかもしれない。そうして話を聞いていくうちに「じゃあ向こうの公園でも同じことができるんじゃないか?」と、新しい道が生まれてくるように思う。

・・ここまで書いてみて「これ、他人だからできることだよな」とふと思った。

「よそはよそ、うちはうち」という言葉もあるように、不必要に他人の家庭に突っ込むのは日本ではあまり良くないとされている。でも子どもというのはあまりにもパワフルな存在で、24時間365日ほぼずっと彼らと一緒にいる家族がこういうやりとりをするのはむずかしい。こういうやりとりこそ、昭和おやじに代わって他人が出来る子育てではないかなと思ったりした。

とっさに反応できなかったけど、次回同じような場面に遭遇したら、わかってもらえないかもしれない・恥をかくかもしれないリスクを取ってでも、子どもと向き合ってみようと思う。

少なくとも「あなたは悪くない。私はあなたの味方だ」ということだけでも小さい人たちに伝えることができたら。
その時はわかりあえなくても、伝えようとしていたおばさんがいたことが彼らの記憶の淵に残って、時間差があっても届く日がいつか来たら、いいなあ。