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言葉と行動はセットで、初めて相手の心にひびく

いつもよく怒鳴る上司があるとき突然「小澤さんは頑張ってるよね、うん」と目を合わせず言ってきたことがあった。
話の意図が見えず「は、はあ・・」とだけ返事するも、上司はそのままどこかへ行ってしまった。

その後、上司は何らかの研修を受けていたことが判明した。
パワハラ防止研修なのか部下をやる気にさせる研修かわからないが、どうやらその研修講師に「部下をほめるように」という勧めを上司は実行していたらしい。

妻を怒らせた夫が「君はいつもきれいだよ」とだけ言っても妻の心には何もひびくものがないように、人はそれっぽい言葉だけ言われても納得も共感もできないものと、私は思っている。

私の知り合いで「批評家コーチ」と名乗っている人がいた。彼女は「私は直感がすぐれてるから、頑張ってる人たちの後ろからフィードバックだけするお役目なの。私の声は天の声なのよ」と言っていた。

何も努力せず口だけ挟んでお金をもらえる仕事というのはうらやましい気もするが、果たして本当にそうした生き方は幸せなのだろうか、と問う自分もいる。

歴史に名を遺した偉人とは、たいてい何かを成し遂げた人である。
試合場にも立たず安全な観客席から批判だけをする人で、人々の記憶に残る存在というのを私は知らない。
「古今東西を見渡しても、批評家の銅像なんて立っていない」という言葉があるが、言葉だけの人というのは誰の心にも残らないのだ。

組織の問題に悩んでいる人はどんな人に相談するだろう。
一回も組織の問題で悩んだことの無い人と、現場で泥まみれになりながらもなんとか組織を改善に導いた経験のある人。私なら後者の方に行く。

こういう風に書くと「その経験がないと相談業はしちゃいけないんですか」という声も聞こえてきそうだが、そういうわけでもない。大事なのはどんな分野でも言うだけではなく実践し続ける人であることのように思う。経験している分野は違えども、現場であがきつづけてきた人の言葉は相手の心にひびく。

私自身の話で言うと、ライターとして仕事の質が上がったのは仕事がうまくいった時ではなく、うまくいかなかった時の方が多かった。自信満々で書いた文章にクライアントから全文修正指示が来たり、書いても書いてもnoteのイイねや読者様が減っていったり。
そうした「くやしい!どうしてこんなことになったの、どうして」という時、人は一番伸びるし、そうした経験から巻き返せた人の言葉は、何もしてなかった人より重いと信じている。

世の中は好きなこと・得意なことを仕事にするとハッピー!的な流れがあるが、仕事にするのなら「どうしても捨てられない執念」みたいなものを仕事にした方が成功する気がする。その道で光るには結局のところ、試合場に立ち続けるしかないのだ。それならできるだけ長い期間走り続けられる分野の方が良い。
人は勝った負けた、その一面的にしか人を見ない。でも動いている限り、絶望しか見えない局面のその裏側では、必ず小さな変化が起き始めている。

「これが答えよ!」と安全な場所でドヤ顔を決めるのではなく、修羅場から逃げず、仲間と共によりよい道を模索する人でありたい。

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