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何もしなくても愛される人と、何かしないと愛されない私の違い

「noteの女王」こと人気エッセイ作家の岸田奈美さんが、noteの更新を一週間お休みを取るという下記の記事を見たとき。
私の中には嫉妬の感情が渦巻いた。

岸田さんはふだん、ご家族の生活費を全てnoteの購読費で賄っているらしい。

おばあ様のホーム代、弟さんの施設に掛かるもの、住居を別にする母上とご自分の生活費、ざっと合計すると月70~80万円くらいだろうか。

note販売額の半分はnoteに持っていかれること、あと税金のことなんかを考えると総売上は150~200万くらいか。岸田さんは月4本のエッセイを1000円で販売しており、その全てをnoteの購読費で賄っているとすると、毎月お金を払ってくれるファンの人が1500~2000人くらいはいるということになる。と、雑な計算を一瞬でしてしまうくらいにはうらやましい。

月4本のエッセイを今月は一週間お休みして月3本にすると岸田さんからアナウンスがあった際、読者さんたちからは賞賛の嵐が巻き起こった。

おっしゃ休め!サポート(投げ銭)しながら待ってるからな!

奈美さん心置きなく休んでくださいね♡こちらものんびり待ってます♪


7000を超えるイイねと100件以上寄せられたコメントを見ていると、皆さんが岸田さんを愛していることが、痛いほど伝わってきた。

かくいう自分はというと、命を削るように月15本の無料記事を書いているが、去年コロナになって一週間noteの更新を休んだ時はフォロワーさんが一気にガクッと減った。
「書かないお前に価値はないよ」と言われているような気がした。

書かないと誰からも見向きもされない私と、書かなくても皆に愛される岸田さん。一体何が違うというのだろう。

理由の一つとして考えられるのは、私の意識の奥にある「受け取ってはいけない」という信念である。

幼いころ祖母より「あなたは女の子なんだから兄弟より目立ってはいけない。両親の気を引いたり、兄弟より愛されることがあってはならない」と繰り返し教えられてきたせいだろうか。
今でも自分が愛されたり、苦労なしで大きい金額を受け取ることに激しい抵抗がある。もう祖母はいないのに、自分が何か注目されたり何かを受け取る際、強い罪悪感を覚えるのだ。

似たケースで言うと、みなさんの周りには「最後の詰めが甘い人、最後に必ずミスをする人」というのはいるだろうか。
そうした人の意識の奥には「完璧になにかをすることへの激しい抵抗」があるそうだ。

例えばテストで100点を取ったら注目をあびていじめられてしまったとか、ゲームで完勝したら友だちが離れていった体験をしてしまった人は「もうあんな辛い想いはしたくない」と、そうした状況を繰り返さないために、最後に気が緩んだりミスをしたりといった行動を無意識に取ってしまうらしい。

部下や家族・友だちといった身近な人が不都合な行動を繰り返しするとイライラしてしまうが、本人たちも決して悪気があってしているわけではないのだ。

目の前で展開される不都合な現実は、しばしば相手(他者)のせいにしがちだ。しかしその不都合は自分自身でつくり出していることがほとんどである。

以前あるセラピーを受けてどうしても許せない人を許せたことがあったとき、自然と自分の周りの人がやさしくなったことがあった。
最初はなぜみんなが急に私にやさしくなったのかわからず戸惑ったが、徐々に誰も変わっていないこと、私が変わったから周りにいる人たちも変わったことに気づいた。

目に映る現実の世界は、自分の内面からつくられている。

自分の内面が変わった時に世界が変わっていくのであれば、幼いころの呪縛がいつか解けた時、これまであってはならない存在としてきた自分を想ってくれている人たちのことを、私は真に受け止められるのかもしれない。