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漂流/漂着

1.池袋

 埼玉の右端のなんかどんよりした街が僕の地元で、東京の大学に通っていた。大学2年の時にできた恋人と、池袋のはずれで暮らし始めた。神田川チックな生活が続いたが、今となってはあまり記憶はない。別れて実家に戻ったものの、東京での生活に慣れ始めていた自分は、一人暮らしを始めようと決めた。2ヶ月ほど友人の家を転々とした後に見つけた物件は、池袋の繁華街にほど近いところで、3畳一間の家賃15,000円という珍しい物件だった。

 風呂はコイン式の共同シャワーがあって、トイレは共同、水道は濁っているから料理には不向きで、冷蔵庫には酒だけがあった。ブラウン管のテレビ、ぼろぼろのPC、貰い物と拾いもので構築された部屋はもちろん日当たりも悪く、空気も良くなくて、あまり帰ることはなかった。

 その部屋の契約は継続したまま、目白で1年、愛知で数ヶ月暮らしたが、結局そこに戻ってきた。

 一度、夜中に目をさますと、足元に知らない男が座っていたことがあった。
「誰だ!?」と叫ぶと、にやぁと笑って立ち去っていった。あれはとてつもなく怖かった。
 また、その部屋で生活していた当時、ノロにやられた。狭くて汚い部屋で「このまま死ぬんじゃないか」と思いながら吐いた。
 同じ年齢のヤングホームレスが住んだりとか、その部屋にまつわるエピソードはいろいろあったけど、ほろ苦いのばっかりであんまりいい思い出ではない。3年ほど住んだのだろうか。引っ越そうと決めた。

 その部屋から徒歩20分ほどのマンションでルームシェアをすることになった。ネットで見つけた募集に応募したらすんなり決まった。8畳間のマンションでギャル男と2人暮らし。同居人がまたメンタルが弱くて、よく酒に溺れていた。彼が仕事をばっくれて、実家に連絡が行ったらしく、職場の人たちと母親が訪ねてきたことがあった。「音を立てないでくれ」と言われて、二人で気配を殺したが結局ばれた。彼は踊り場に連れて行かれ、母親の目の前で上司にぶんなぐられていた。
 面倒臭いこともかなり多かったが、それなりにうまくやって半年くらい住んだ。池袋に住むのに疲れた頃、また引っ越した。

2.多摩

 次の物件は日野市。またルームシェアだった。
 新しい同居人はギャル男と比べるとかなり良識人だったし、何より同じ家賃で6畳ほどの個室とリビングがあったのが本当によかった。坂道の上にあるその物件は、本当に空気がきれいで星をよく見た。ベッドタウンだけあって、家族が多いのんびりした街だった。仕事をしながら、このままこんな街で暮らしたまま平穏に人生を過ごせたらと、何度となく思った。3年ほど住んで、同居人が恋人との結婚を考え始めたタイミングでまた引っ越した。ちなみに結婚式のスピーチは僕が務めた。

 隣の駅に引っ越した。久しぶりの一人暮らしだった。
 同じような街だから同じように住めるだろうと言う考えは甘かったかもしれない。部屋は大通り沿いにあって、ものすごく空気が悪く、日当たりも良くなかった。まあそれでも以前よりはマシと言い聞かせて住んでみたものの、多少事情が違った。
 静かな街で、静かに暮らす。
 これは少し空虚で、何をやっても満たされないような寂しさがあった。
 趣味と呼べるものをつくろうかと、いろいろな事に手を出して、いろいろなコミュニティに参加してみた。満たされない満たされないとうわ言のように繰り返しては、本だけが溜まっていった。
 ビールの中にウォッカを入れて飲んで一人で飲んだくれて潰れるような夜もたまにあった。やけくそだったんだと思う。
 やけくそなりに考えた結果、海外行ってみようと思い立ったのはまた、やけくそな発想だ。ベルリンに行く、と決めて金を貯めた。購入した家具やら書籍やらを全部捨てて、スーツケースといくつかの段ボールだけが残った。当時付き合っていた恋人とは遠距離でも続くものと思っていたが、そんなことはなかった。それを知っていたからこそ彼女はあんなに泣いていたんだと思う。

3.ベルリン

 ベルリンは1年中、みんながみんな引っ越しをしているような街で、ルームシェア(WG)が基本だった。
 最初は日本人ミュージシャンの家族が一時帰国する期間に部屋を空けるからという話で、その物件をひと月借りた。そのミュージシャンは、僕が10年以上好きだったバンドのリーダーだということを退去後に知った。
 Mitteという中心部エリアで、日本で言う表参道みたいなところだった。

 その次はNeukollnというトルコ人街でしばらく住んだ。若干治安は悪かったが、何かに巻き込まれることはなかった。
 そしてその次にFriedrichshainへ。

 ベルリンでの生活について語るべきエピソードは山ほどあるけれど、一旦割愛。東京より安くて広い物件は、冬の寒さ以外はなにも申し分がなかった。
 滞在期間をうんと延ばし生活したが、なんか夏休みのような浮き足立った数年だったように、今にして思う。

4.日本

 それでもなお、漂流は続く。
 帰国して埼玉の実家に戻ったものの、数ヶ月でまた東京に上京した。麻布のシェアハウスを経て、現在(江東区)に至る。
 はじめてと言っていいほど理想的な物件に漂着できたので、なるべく長くここにいたいとは思っているものの、ここにずっと居たいと思えど、そううまくいかないのはこれまでの半生で多く学んだ。
 引っ越しという形ではないにせよ、人はたゆたい続ける。ただよい続ける。その浮動性が人より大きいので「おばけ」を名乗ることになっているけど、程度の差こそあれ、人生の予測不能な漂流は誰しもに間違いなく起こるんだと思う。度重なる引越しの中でようやく見えてきた大切なことは「出た目に乗る」それだと思う。そして出た目の止まったマス(街)を味わい尽くす。
 そんなことを心がけるようになった。
 少なくとも自分にはそれが性に合っているんだろう。

#引っ越し



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