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ドラゴンファンクの5000年:存在論、美学、今後の展望


2019年3月ごろより、Twitter上を中心に「ドラゴンファンク(Dragon Funk)」と呼ばれるジャンルがにわかに注目を集めている。当ジャンルの実態についてはさまざまな論者が断片的に物語っているものの、多くのことは明らかになっていない。

本稿ではジャンルを取り巻く言説分析と仮説検証を通して、ドラゴンファンクの内実を明らかにする。

1.ドラゴンファンクの存在論

1.1.ドラゴンとはなにか、ファンクとはなにか

まずはドラゴンファンクを構成する2つの要素、「ドラゴン」と「ファンク」について確認しておこう。それぞれ、慣習的に受け入れられている字義通りの意味としては以下のようになる。(大辞林より抜粋)

ドラゴン【dragon】
ヨーロッパにおける架空の動物。翼と爪とをもち、火を吹く巨大な爬虫類とされる。邪悪の象徴とされることが多い。竜。飛竜。
ファンク【funk】
ジェームズ・ブラウンが1960年代半ばに完成させたソウル・ミュージックのスタイル。単純なコード進行とはねるビートの感覚が前面に押し出されたサウンドを特徴とする。

すなわち、「ドラゴン」とは特定の虚構的な生物クラスを指す語であり、「ファンク」とは特定の実在する音楽クラスを指す語である。

ここで重要なのは、「ドラゴン―ファンク」という語の配置である。修飾語が前置される日本語の規約に従うならば、これは「なにかしらの形でドラゴンに関連する、ファンク・ミュージック」として理解されよう。すなわち、「ファンキーな、ドラゴン」「ファンク界における、ドラゴン的な存在」ではない。これは「Jazz Funk」と「Funky Jazz」が区別されるのと同じである

(もっとも、「Dragon Funk」がフランス語などの修飾語後置言語に由来しており、「ファンキーなドラゴン」を指している可能性もゼロではないが、ここでは踏み込まない。)

1.2.ドラゴンファンクとは音楽である

やや論点先取りになってしまったが、あらためて基本事項から確認しよう。まず、ドラゴンファンクとは音楽であることがうかがえる。それは特定の様式(style)を持ち、作曲/演奏される音楽ジャンルである。

げんきくん(2019)およびpool$ide(2019)は、当ジャンルが「音源化され、Bandcamp上などで発表される類の音楽ジャンル」であることを示唆している。ジャンルとハッシュタグの問題については、後述。

さて、ドラゴンファンクとはどのような音楽なのか。以下では3つの仮説を取り上げ、3つ目の仮説が最も妥当であることを示す。

1.3.仮説①ドラゴンが演奏するファンク

ドラゴンファンクとは、「ドラゴンが演奏するファンク」なのかもしれない。この場合、「ファンク」という音楽的実践に対して、演奏を行う主体として「ドラゴン」が措定される。

しかし、この仮説を有意味なかたちで採用するのは難しい。まず第一に、「ドラゴン」という虚構的存在者の存在論的身分が問題となる

おのずと明らかなように、我々の属する現実世界において、「ドラゴン」タイプを例化する事例(トークン)は存在しない。恐竜はドラゴンと似た性質をいくらか所有しているが、「翼を持つ」「火を吹く」といった特徴を満たしていない。ドラゴンについてなにかしらの言説を行うためには、それが虚構的な世界に属する虚構的な生物として理解せざるを得ない。

以下のように命題化しよう。

少なくとも一つの虚構世界Fにおいて、Wx(xは翼を持つ)&Rx(xは爬虫類である)&Fx(xは火を吹く)を満たすようなxが存在し、かつ、そのような条件を満たすあらゆるxについて、¬Ax(xは現実世界に存在しない)が成り立つ。

ここで、そのような虚構的存在者「ドラゴン」がたしかに存在するとしよう。「ドラゴンが演奏するファンク」説は、さらに以下のことを受け入れなければならない。

①ドラゴンが属する虚構世界Fにおいては、現実世界と同じないし類似した音楽実践としての「ファンク」が存在する。(このことは、おおむね、そのような虚構世界Fにジェームス・ブラウンが存在することを含意している)

②虚構世界Fにおける、少なくとも1つの「ドラゴン」事例は、実際にファンクを演奏している。(これは、ドラゴンが「ファンク」についての概念を所有し、それを実践するだけの能力を持っていることを含意する)

とりわけ②を字義通りに受け入れることは難しい。ここでは虚構世界Fに属する虚構的なジェームス・ブラウン(FJB)が、我々の知っている「ファンク」と同じないし類似した音楽ジャンルとしてのファンクを創立し、それをドラゴン(おそらく家畜化されているだろう)が演奏している、というシナリオが必要となる。

なによりも疑わしいのは、ドラゴンがファンクの演奏技術を有しているという仮説だ。定義上、「ドラゴン」とは翼と爪を持つ巨大な爬虫類であり、爬虫類がその鈍重な手足、声帯を用いて、ファンクミュージックを演奏するのは虚構的にも想像し難い。ファンク・ミュージックにはドラム、ベース、ギター、パーカッション、ホーン隊、ヴォーカルといった様々なパートが必要とされるが、ドラゴンのバンドがこれを満たすとは思えない。ドラゴンにゲロッパはできないのだ

ここで、シャープな人型の爬虫類を想定し、そのような生物がゲロッパする、というシナリオは有り得そうだが、そのように措定された生物はもはや「ドラゴン」と言えるだろうか? 虚構的な対象に関する議論であるとはいえ、我々が直観的に理解している「ドラゴン」概念から大きく逸脱したシナリオを想定すべきではないと思われる。

(また、あるいははじめから、ドラゴンを主体として創造される音楽ジャンル「ファンク」を想定することは可能だが、この場合さらに説明しなければならないシナリオが増えることになる。いずれにせよ、根本から疑わしい本説についてはこれ以上踏み込まない。)

1.4.仮説②ドラゴンを演奏するファンク

第二の仮説は、虚構的な世界で、我々と同じないし似た生物としての「人間」が、なにかしらの形で「ドラゴンを演奏する」というものだ。

しかし、つまるところドラゴン"""を"""演奏するというのは、どういうことなのか。それはドラゴンを素材として用いた楽器(牛骨ならぬ竜骨ナットを用いたギターや、竜革を用いたスネアドラムなど)でファンク・ミュージックを演奏するということなのか。そのように演奏されたファンクは、いかなる意味で「ドラゴンファンク」と呼びうるのか。まったく明らかではない。

この仮説については不明瞭なことがあまりも多く、説自体の精緻化を図らないことには支持されがたい。しかし、以下で見る3つ目の仮説がうまく行っている限り、この作業は必要とされないだろう。

1.5.仮説③ドラゴンについて演奏するファンク

最後の仮説とは、なにかしらの形で「ドラゴン」をモチーフとして演奏されるファンク、すなわち、「ドラゴンファンク」とは「ドラゴンについて演奏するファンク」というものだ。

この説がもっともらしいのは、第一に、虚構的世界Fについてのシナリオを厳密に用意しなくてもよい、という点だ。

本仮説において、「ドラゴンファンク」とは「ドラゴン」について(about dragon)の「ファンク」であるという意味で、「ドラゴンファンク」は「ドラゴン」に対する志向性(intentionality)を持つ。

現象学および心の哲学における先行研究が論じてきたように、志向的対象は、現に/すでに/常に存在しない虚構的な対象であることも可能である。我々は過ぎ去った過去について思いを馳せたり、未来の出来事について有意味なかたちで議論したり、架空の世界について物語ることができる。いずれのケースにおいても、(現に今ここには)"存在しないもの"が志向されている。かつ、そのような志向的対象を表象する(represent)主体は、現に存在する我々なのだ。

同様に「ドラゴンファンク」も、現に存在する我々が、なにかしらの形で「ドラゴン」という虚構的生物を表象することで生み出している音楽ジャンルであると理解できよう。これは、ドラゴンの属する虚構世界Fについての詳細な記述を必要とせず、我々の属する現実世界から「ドラゴンファンク」を説明できる点で、理論的美徳の高い仮説だと言えよう。

換言すれば、「ドラゴンファンク」とは「ドラゴンを表象したファンク」であるとまとめられよう。次に問われるべきなのは、いかなるかたちでドラゴンは表象されるのか、そのように表象されたドラゴンはいかなる美的価値を持つのか、という点だ。次節ではこれに答えるかたちで、ドラゴンファンクの「美学」について考察する。


2.ドラゴンファンクの美学

2.1.ドラゴンファンクの事例

美学的考察について確認する前に、具体的なジャンルの事例を見ていこう。しかし、この作業は並大抵のものではない。なぜなら、「ドラゴンファンク」というジャンル自体が実在しないので、その個別例などあるはずもないからだ

しかし、Twitter上にはいくらか、ジャンルの内実を示唆するようなツイートが見受けられる。

「ドラゴンファンク」提唱者と思しきクリエイター・げんきくんは、上記の音源を挙げ、ドラゴンファンクとは「ほぼこれ」と明言している。「中国民族音楽集」と題された約46分の動画では、二胡などの楽器を用いた中国伝統音楽が奏でられる。「ほぼこれ」と言うからには、ドラゴンファンクと上記の音源は多くの性質を共有していると理解して間違いないだろう。

しかし、ここで大きな理論的問題が生じる。ドラゴンと龍は似て非なるものである。前者が西洋的な伝説上の生物であるのに対し、後者は中国に由来する伝説上の生物であり、両者はまるで別物である

りゅう【竜】
〔「りょう」とも。「りゅう」は慣用音、「りょう」は漢音〕
① 想像上の動物。体は巨大な蛇に似て鱗うろこにおおわれ、頭には二本の角と耳がある。顔は長く口辺にひげをもつ。平常は海・湖・沼・池などの水中にすみ、時に空にのぼると風雲を起こすとされる。中国ではめでたい動物として天子になぞらえ、インドでは仏法を守護するものと考えられた。たつ。 → 竜神
② 将棋で、飛車が成ったもの。竜王。
③ ドラゴンに同じ。
④ 星の名。木星。歳星。

(大辞林より抜粋)

慣習的な語義変化と思われる③を除けば、①で指摘されている「龍」の特徴は、「ドラゴン」と大きく異なる。「龍」は角、口ひげ、蛇のような躯体によって特徴づけられ、かつ、水中に住むとされる。これはいずれも「ドラゴン」が持たない特徴である。また、龍が「めでたい動物」とされる一方、ドラゴンは「邪悪の象徴」であることも対称的だ。

では、「中国風の音楽」は「ドラゴンファンク」と呼べるのか。生魚cream(2019)もまた、「銅鑼」という楽器に言及し、「ドラゴンファンク≒中国風の音楽」と思われるような理解を示している。

だとすれば、多くの論者は「龍」を含意するかたちで「ドラゴン」の語を用いていると理解するのが妥当であろう。一つの可能性としては、はじめに「龍ファンク」として提唱された本ジャンルが、英訳からの逆輸入を経て「ドラゴンファンク」と呼ばれるようになった可能性がある。

別の言説を見てみよう。

数々の論者がドラゴンファンクの内実について仮説を提唱しているが、中でも注目すべきは以下のツイートである。

Tenma Tenma(2019)は、仮説としてではなく、有る種の類似性に基づいて上記の音源を挙げている。「っぽい」というからには、ドラゴンファンクと上記の音源は多くの性質を共有していると理解して間違いないだろう。

さらに興味深いのは、挙げられているのがジャッキー・チェン主演の映画『拳精』(1978)の主題歌であることだろう。ここでも、中華的なモチーフが「ドラゴンファンク」に含まれることを示唆している。ここに至って、「ドラゴンファンク」の実態とは、おおむね「龍ファンク」であることは明らかだ。

同様の事例として、神戸市長田区の喫茶店「サウナクールミニ」のアカウントも、中華風の音源を挙げている。カンフーの掛け声を含む上記の音源は、同時に慣習的な「ファンク・ミュージック」に近い特徴(複雑なパーカッションや、図太いベース、リフレインされるボーカル)を含み、「ドラゴンファンク」を示唆する事例としてもっともらしい。

2.2.ドラゴンファンクの美的効果

芸術としてのドラゴンファンクはいかにして経験されるのか。

まず第一に、そこにはロシア・フォルマリズムのヴィクトル・シクロフスキーが指摘したような「異化」の効果が見られる。「ドラゴンファンク」というジャンル名だけを見ても、そこでは「ドラゴン」「ファンク」というなんら関連性を持たなさそうな二語が接続されており、日常的な自動化された言語使用からの逸脱が図られている。「ドラゴン」と「ファンク」が思わぬ邂逅を果たすことで、そこに高次元のリアリティ、新たな視座が立ち現れる。これはオブジェクト指向存在論グレアム・ハーマン「代替因果(vicarious causation)」について論じたさいの「魅惑(allure)」に近い現象であり、ひいてはイマニュエル・カントによる「無関心性の美学」に連なる現象と言えよう。

「ドラゴン」というそれ自体パワフルな言葉と、「ファンク」というそれ自体グルーヴィーな言葉と組み合わさることで、「ドラゴンファンク」が完成する。「ドラゴン」は、語義のみならず、その物質的な側面もパワフルだ(攻撃的な濁音を2つも含むほか、「ん」で終わる四文字は「爆弾」「決断」といった強い概念を連想させる)。「ファンク」は、「泥臭い」という原義も含め、それ特有の重み、濃密さを連想させる。「ドラゴンファンク」は両者を融合させた、生粋のパワーワードであると言えよう。

2.3.ハッシュタグとミーム

まぁ、たぶん「ファンク」部分はVaporwaveのサブジャンルにあたる「Future Funk」に由来すると思われる。

「ドラゴンファンク」とVaporwave界隈がゆるやかに繋がっているのは明らかだ。何人かのクリエイターを含め、両ジャンルはシームレスに連結されている。

Vaporwaveはありもしない架空のイメージを、ハッシュタグに乗せてミーム拡散させた。やがてそれが広く認知され、さまざまなアクターが関与するなかでジャンルとしての輪郭を形成してきたと言えよう。いまや、ミームが概念に先行する時代なのだ。

であるとすれば、「ドラゴンファンク」は実在しないのではなく、まだ実在しないだけなのかもしれない。「ドラゴンファンク」は今後いかに展開されるのか。最後にこれを見てみよう。

3.これからのドラゴンファンク

現在、ジャンルの提唱者とされるげんきくんは、レーベル「DRAGON PRIME(ドラゴン・プライム)」の元で、関連楽曲を募集している。この企画が実現したあかつきには、名実ともに「ドラゴンファンクの音源リリース」が成し遂げられるだろう。

一方で、別の展開としては、全てが頓挫し、蒸気のように四散することもありえる。この場合、ドラゴンファンクはVaporwaveならぬ「Vaporware」となるのだ。むしろこちらの方が、本質的に不在を特徴とするドラゴンファンクにとってはふさわしい展開なのかもしれない。

現在も多くのクリエイターが「ドラゴンファンク」の制作に携わっているようだ。

ドラゴンファンクの未来は明るい。そして、このようなアクチュアルな文化現象を真摯に追っていくことが、我々批評家の使命であることは言うまでもない。

Long live, Dragon funk.

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