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5.サビ  ー朱里

「朱里、聞いてる?ねえ、朱里ってば。」
「あ、ごめん。なんだっけ。」
「もー、だからー、実緒がね…。もういい。朱里、全然食べてないじゃん。ずっとぼーっとしちゃってさ、何かあったの?」
「ん?うん…。」
「何、なに?さあ、このスミカさまに話してごらんなさい。解決するかもよ?」
「そうかな。」
「少なくとも、少しは笑えるんじゃない?」
「…。」
「白状しちゃいな。どうせ、翔先輩のことなんだろうけど」
「えっ。」
「ライブの日、二人で帰ったんでしょう?真人先輩から聞いた。」
「そっか。」
「それで?」
 
 
流行りのパンケーキにフォークをさしたまま、スミカに説明した。先輩が私のことをずっと気にかけていたこと、先輩が責任を感じてること、そして好きだと言われたこと。
 
「まあ、翔先輩が朱里のことを好きだってのは想定内だけど。」
「…そうなの?」
「本番前といい、本番中といい、朱里のことしか見てなかったじゃん」
「あれは私が具合悪くなったから…」
「いやいやいや、違う。それだけじゃない。」
「そう、かな。」
「だって、ステージに私や真人先輩がいたんだよ?普通なら誰かに様子を見に活かせるでしょう。なのに必死に、それも『俺だけを見てろ』って。普段の先輩からは考えられないじゃん」
 
スミカの問いに返せない。全てを悟ったかのようにスミカは続けた。
 
「過去がどうこうとか、私なんか、なんて考えてるんだろうけど、それって考える必要ある?」
「えっ?だって」
「だって、なんていらないよ。もちろん、私には過去の二人に何があったのかなんてわからない。翔先輩が朱里から離れたっていう選択に責任感じてるんだろうなとは思う。躊躇するくらいなら付き合って確かめてみたら?自分の気持ちもはっきりするだろうし。ね?」
 
素直にうなずけなかった。何が、と問われても答えられない。でも怖かった。穏やかな今が壊れるような気がしてならなかった。
 
 
 
陽が傾くころ、ライブハウスに到着した。今日は真人先輩たちのバンド、décontracté(ディコントラクティ)が出演するからか、会場前には女の子たちが列をつくっていた。大学サークルのバンドとしてこれだけの人気なんだから、早く顔出しすればいいのに。
 
「よ。今1つ前。…これチケット。」
 
そっけなく声をかけてきたのは翔先輩だった。真人先輩のバンドだから、照明は当然、翔先輩だ。一瞬顔を見た。目が合ったけどすぐに逸らされた。ライブ以来、はじめて会った彼はいつもの翔先輩だった。後について会場に入ると、Straight Through My Heartが流れていた。深夜ラジオでよく聞くナンバーだ。ステージでは次のバンドがセッティングをしていた。カウンターで飲み物を受け取り、会場の一番後ろ、ミキサー卓の横に落ち着いた。
 
「ここで見てるといいよ。ステージからもよく見えるから。じゃあ、また、終わったら。」
 
ミキサー卓の方へ上がっていく後ろ姿を目で追った。あのときの言葉が頭の中に蘇り、涙がでそうになった。何事もなかったかのように接する先輩に、戸惑うばかりだった。
 
照明が変わり、静けさが訪れる。この瞬間が好きだ。心が躍る。軽快な洋楽の演奏に、体を動かしリズムに乗り、一体化する。これが醍醐味だ。けれどもスミカのようにフロアの雰囲気に溶け込むことはできなかった。元々こういう場所は苦手だ。ただぼんやりと、その光景を見ていた。
 
「真人先輩だ。ね、行こう」
 
スミカは強引に私の手を引き最前列に出た。
 
「おや、揃ってきてくれたんだ。ありがとう、三人娘。」
「実緒じゃん。え、バイトじゃなかったの?」
「あ、うん。シフト変ってくれたんだ。」
「なんだ、連絡くれれば一緒にきたのに。」
 
スミカが横を向くと、実緒がいた。そっか、サークルのみんなが招待されてたんだ。会場が暗くなり、真人先輩が合図を送ると淡いスポットライトがステージを照らされ静かに演奏が始まった。Here is Gone、定番の曲。でも翔先輩が気になって耳に入ってこなかった。
 
 
ライブが終わり外にでると、出待ちをするファンとそれに対応するバンドメンバーで溢れかえっていた。
 
「真人先輩かっこよすぎる。普段とのギャップがもうやばすぎ」
「そうだね」
「うちらもさ、またライブやろうよ」
「そうだね」
「やっぱ洋楽よね」
「そうだね」
「朱里、聞いてないでしょ」
「そう…  あ、ごめん」
 
「あれ、実緒ちゃんは?」
「先輩!実緒は帰っちゃいました。明日バイト早いんですって」
「それは残念。メシ行こうよ。ホールで待ってて。翔にいってあるから、なんか飲んでて」
 
そう言って真人先輩は黄色い声の中へ向かっていった。また翔先輩と顔を合わせるのかと思うと、帰りたかった。頭の中で翔先輩の言葉が巡っていた。スミカの言う通り、何も気にせず今だけを考えればいいのだろうか。だからといって過去は消えない。もやつくばかりで答えが出せずにいた。スミカに引っ張られるようにしてライブハウスに戻った。撤収作業は終了し、スタッフと一部出演者が簡単な打ち上げをしていた。
 
「真人と会った?」
「はい。出待ちに行きましたよ」
「そっか。どこか別の場所で待つ?」
「ここで大丈夫ですよ。まだみなさんいらっしゃるし」
「あ、気にしなくてもいいよ。いつものメンバーだから」
「でも…」
「あ、真人がメシ行くっていってたよね。店で待とうか。ちょっと待ってて」
 
「ごめん、やっぱり私帰るね」
「えー、朱里も行こうよ」
「また、今度ね。先輩に言っといて」
「ちょっと、朱里!」
 
階段を駆け上がり、足早に駅へ向かった。自販機でコーヒーを買い、ベンチに座った。何本もの電車が目の前を過ぎていった。ケータイのバイブに気づくこともなく、飲み終わった缶を捨てて電車に乗り帰路に着いた。
 
玄関の鍵を開け、ベッドに横たわるとケータイが鳴った。スミカだったが、話す気分ではなかったから無視した。すぐにメッセージが入った。
 
"大丈夫?具合悪い?それとも、何かあった?"
"大丈夫。ごめん、気づかなかった。明日電話するね"
 
その直後にまた電話が鳴ったが、きっとスミカだろうと思い放置した。鳴りやむとまた、メッセージの着信音が鳴った。しばらく確認する気になれなかった。自分のことしか考えられない私が恋愛だなんて絶対無理、迷惑をかけるだけだ。ケータイを枕の下にいれ、そのまま寝た。
 
 
午前8時。けたたましく鳴る目覚まし時計を止め起き上がった。すっきりしない頭を整理しようとシャワーを浴びコーヒーを淹れた。不安に駆られながら昨夜の着信とメッセージを確認した。スミカの着信のあとに真人先輩からの着信音が入っていた。何かあったのかと思いながスミカに電話しようとするが早いか、ケータイが鳴った。真人先輩だった。なぜか、ランチの誘いだった。いつもならスミカも一緒にって言うはずなのに今日は私だけだ。とりあえず、スミカにごめんとメッセージを送り身支度をはじめた。
 
 
「待った?」
「いいえ」
「乗って」
「ごめんね、急に連絡して」
「いえ、こちらこそすみません。昨日、先に帰ったあげく電話にでなくて」
「気にしなくていいよ、遅かったしさ」
「またスミカが迷惑かけたりしましたか」
「いや、そういうことはなかったよ」
「なら、よかったです」
「酔った勢いみたいなもんだから、気にしないで」
「あ、はい」
 
 
しばらく沈黙が続いた。沈黙は恐怖だ。でも真人先輩といると人柄なのかオーラなのか、不思議と苦痛にならない。音楽が流れているからなのかもしれない。今日はLaid-backと思われる楽曲が流れていた。真人先輩の声に間違いないと思いながらも知らない曲だったから、ついスピーカーを見つめてしまった。
 
 
「あ、この曲?」
「は、はい。あの、聴いたことがないなと」
「だろうね。新曲だから」
「新曲でたんですか?」
「いや、これ、来月出す予定」
「…大丈夫ですか?私が聴いちゃっても」
「朱里ちゃんなら心配ないでしょ。誰かに話すような人ではないからね。さ、着いたよ」
 
春に来た、海の見えるカフェだった。夏休みも佳境に入り浜辺にいる人は少ない。先輩の後についてお店に入った。
 
「お腹すいたよね。何にする?」
「あ、えっと…」
「ゆっくり決めていいよ」
「すみません」
「全然」
 
私のペースに合わせてくれていることにありがたく申し訳なくなる。周りに合わせることで自分の居場所を確保している私に合わせてくれる人はほぼいない。そもそも、人が近づきにくい雰囲気を醸し出して一人でも周囲にいる人間を少なくしようとしている。注文を終えると真人先輩が口を開いた。
 
「実はさ、朱里ちゃんに聞きたいことがあって。スミカちゃんのことなんだけど」
「はい」
「彼女さ、俺のこと好きでしょ」
「はい」
「俺オンリーなのかな。バンドが好きなんじゃなくて」
「そうだと思いますよ。入部したのも先輩を見てですし、先輩がギターだから一緒に活動するには別の楽器じゃないとってベースを選びましたから」
「そっか。イベントにいつも来てくれるのもやっぱり…」
「少しでも一緒にいたいからって言ってました」
「そっか」
「先輩はずっと前から気づいてたんじゃないんですか?」
「さすが朱里ちゃん。期待させちゃってないか心配だけどね」
「それって…」
 
先輩は微笑み、水を飲んだ。一瞬、冷たい視線を感じた。
 
「スミカちゃんには悪いけど、バンドのこともあるしさ。特定の人をつくるつもりはないんだ。あ、だからって朱里ちゃんに何かお願いするってわけじゃないから」
「そう…ですか」
「俺の話はここまで。朱里ちゃんさ、正直、翔と気まずいよね」
「…はい」
「それって、翔が嫌いだから?」
「あ、いや、嫌いではないです」
「じゃあ、怖い?」
「えっ」
「翔から聞いてるとは思うけど、俺もある程度は朱里ちゃんの過去のことは知ってる。翔と何があったのか、これまで君がどれだけ大変だったか、今どんな状態なのか。じゃあさ、朱里ちゃんは翔のこと、知ってる?なんで1年ダブったかとか、会わなかった時間の翔のこと。」
「あの、休みがちで1年留年したことは聞きました。」
「ほかには?」
「…突然会わなくなった理由とか」
「君を思ってそうしたってこと?」
「…はい」
「でもさ、翔だって同じだけの時間を過ごしてきてるんだよ。その間、彼自身に何事もなかったと思う?」
 
ハッとした。翔先輩のこと全然知らない。彼の4年間を全く知らない。注文したビーフシチューのランチセットがテーブルに運ばれた。店員が去ると先輩は話を再開した。
 
「だから、どうかな。翔のこと、もう少し知ってみるっていうのは」
「でも翔先輩は…」
「翔は君に責任を感じているだけかもしれない。俺もあいつが純粋に君を好きなのか、責任感からの思いなのか、正直いって疑問ではあるんだ。でも、二人の力になりたいのは確かだから。」
 
常に笑顔で話してくれる真人先輩が真顔だった。冷めないうちにと食べはじめたランチはしょっぱく感た。終始、波の音だけが耳に響いていた。セットのシフォンケーキとコーヒーを飲み終わる頃、先輩のケータイが鳴った。
 
「ごめんね。ふたりのことだから俺が口を挟むべきではないんだけど」
「いえ、そんなこと」
「俺としては翔を守ってやりたいって気持ちもあるから。ふたりでさ、ゆっくり話してみて」
 
シガーを咥えレシートを持ち立ち上がった。そして軽く手を上げた。相手は翔先輩がいた。手にしていたフォークをケーキに刺したまま先輩たちを見ていた。私のことは知らされてなかったのか若干戸惑っているようだった。店を出て車の前でしばらく話をしていた。どれくらいの時間がたったか、翔先輩が頭に手を当てながら私の前に座った。手にしていたティーカップを置いて構えた。
 
「昨日は大丈夫だった?」
「はい、あ、ごめん。ちょっと疲れちゃったみたいで」
「そっか。…えっと、とりあえず出ようか」
 
浜辺に降りる階段に腰を下ろした。昔よく、並んで座っていた時のように、目の前の風景をただ黙ってしばらく眺めていた。べたつく海風がなんだか心地よく感じた。
 
「朱里、この間のことなんだけど」
「この間」
「冷静ではなかったと思ってる。ついっていうか安心してほしかったから言わなくてもいいことまで口にしたような気がして、あのあと後悔した。本当にごめん」
「確かに驚いたけど…本当に大丈夫だから気にしないで」
「でも気持ちは本当なんだ、朱里が好きだっていう気持ちは。また、こうして並んで座って一緒に居たい。だから…」
「ごめん」
 
言葉を間違えたと思った。一瞬にして先輩の表情が強張ったからだ。でも謝りたかった。先輩のことを少しも考えずに自分の都合ばかりを押し付けていたこと、警戒していたことを謝りたかった。
 
「先輩の気持ちはすごくうれしかった。今すぐに昔みたいな自分には戻れないし、きっとあの時の私が好きなんだろうって思って避けてた。」
「やっぱり…」
「でも、先輩のこと少しもわかってないのに邪険にばかりするのは違うのかなとも思うし。この前みたいに心配をかけることもあるだろうから先輩の期待する恋愛関係になれる自信はないけど、それでもよければ側にいたい…かな。」
 
ぎゅっと抱き寄せられた私は、そのまま先輩の胸に顔をうずめた。行き場のない暗闇に、安息所ができたようだった。

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