市井の人の名言

つましい生活を送る無名の人が放つ言葉だからこそ、心を打つことがある。

私はマンモス中学から一学年一クラスという小規模校に転校したというショッキングな体験をした事があります。その時から絶えず仲良くしてくれているSちゃんのお母様の言葉。もしかしたらオリジナルではなく、ある年代の人なら知ってる言葉なのかもしれません。

三味線の無い家はあるが、琴(事)の無い家は無い。

どんな幸せそうにしてる家庭でも、他人からは窺い知れない心配事を抱えているものだ。

これは年齢を重ねるごとに実感します。え?!そういう事って小説とか映画の世界の話じゃないの?的な事件が、平和そうな友人の身に起こっていたりします。「隣の芝生は青く見える」と対になっている言葉の様な気がします。

私達は自分が辛い時に呑気そうに生きてる人を見るとつい、「良かもんじゃ」と思いがちですが、皆何かそれぞれ抱えて生きています。私も他人と二回も結婚してますので、他人の家族に起こる事件を目の当たりにして驚いた事があります。というか、二回も離婚してること自体が私にとって「事」とも言えるのですが…(笑)

そして、私が姶良市で一人暮らしをしている時に大変お世話になった、ほぼ身内の様なお姉さまがおります。彼女のお父様は認知症を患いながらも妻と娘に大変愛されて2年前に天に召されました。

私が遊びに行くと、いつも昔の話をしてくれました。商売をしていた時の話やタクシーの運転手をしていた時の話。お姉さまによると保証人倒れをした事もあり、ご夫婦で結構な年齢になるまで働いてそのお金を返済していたそうです。

いつもハンチングを被り、キチッとした身なりで歩く姿は、しっかりとした生きがいを持っていた事が窺えました。

そのお父様が娘によく言っていたという言葉。

ぜんとり(銭取り)という鳥は難儀(なんぎ)という木に止まって、身ごえ(身にこたえる)という実を食べて生きているんだよ。

楽して稼ぐというのも生き方の一つではありますが、貧乏性の私には『身ごえ』という言葉が似合わないほど矍鑠(かくしゃく)としていたお父様の苦労がリアルに伝わってきて、つましく生きている事は尊い事なのだと気付かされました。

これらは名も無き人の生活から生まれた名言であります。

後ろ向きな発言だと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、これがその人の生きた証なのです。



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