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香辛料を使った食文化が発達する理由は気候なのか?

東南アジアやインド、あるいはメキシコといった国々では、香辛料をふんだんに使った料理が多く、辛いものをたくさん食べています。
なぜ熱帯地域に暮らす人々の間で香辛料を多用した食文化が根付いたのでしょうか。

味覚には、食物の安全性を評価する重要な生体センサーとしての役割があります。私たちが感じることのできる味は大別して5つあります。
神経細胞を正しく働かせるために必要なナトリウムを塩味として感じます。エネルギー源を甘味として感じます。タンパク質や遺伝子の構成成分を旨味として感じます。
そして毒を苦味として感知し、腐敗を酸味として感知します。子供が苦味や酸味を嫌うのは当然だと言えます。甘いものやしょっぱいものを嫌う子供はいません。

ここに辛味は含まれていないです。辛味は痛覚で感じるものであり、摂取することで生命維持に直接関わるというわけではありません。
ではなぜ辛い食物が存在し、人類はそれらを利用してきたのでしょうか。

答えは食物の保存にありました。

どの国でも獲得した農産物、畜産物、海産物を保存し、食物が手に入らない季節に備える必要があります。食物を保存するために必要なのは塩です。
人類は人体の恒常性維持のためというよりも、食物を保存するために大量の塩を必要としてきました。
各国の為政者は塩の需要に着目し、塩に税金をかけます。製塩業者に莫大な税金を掛け、製塩業者は高値で売ることで庶民に転嫁しました。
塩税(えんぜい)は古来より世界中で見られます。

塩なら海に行けばいくらでも手に入りそうですが、海水から塩を作るには燃料が必要で、燃料となる広大な森林が必要になります。
近代以前の製塩の多くは岩塩の採掘によるもので、為政者は岩塩鉱を押さえることで財源を確保しました。

インドは岩塩鉱の少ない地域です。長い海岸線を持ちますが、人口が多いために海水から作られる塩は逼迫しました。そこで香辛料を保存料として使っていたと考えられています。
また、ムガル帝国や大英帝国が塩に重税をかけたことも追い討ちとなります。ガンジーの「塩の行進」は製塩を取り戻す経済闘争でした。

中国は岩塩鉱が多い地域ですが、歴代王朝が徹底管理し重税をかけました。海浜地帯では、海水製塩の燃料に石炭を使用したので大森林は必要なく、零細の海水製塩業者が存在できました。上海料理、広東料理は辛くありません。
内陸部では塩が入手困難だったため香辛料による保存文化が発達しました。四川料理、湖南料理が辛いのはそのためです。

朝鮮半島は岩塩鉱があまり存在しません。さらに王朝政府が塩に高い税金をかけたため、庶民は塩を買うことができず、海水から製塩するにも森林が壊滅していました。そこで農民が自分で栽培できる唐辛子を使って保存食を作る文化が発達しました。

欧州は岩塩が豊富です。各国が採掘、販売、輸出をしたので、庶民は比較的楽に塩を手に入れることができました。
中世から大航海時代にかけて、食文化の発展とともに香辛料の需要が飛躍的に高まりますが、それらを輸入し消費したのは支配階級や都市民が主でした。庶民は塩で保存したものを食べており、北欧や東欧では香辛料文化が発達しませんでした。

地中海や中東は岩塩鉱がなく、森林もありません。
中南米でも塩は逼迫していました。スペイン支配後は重税もかけられました。
これらの地域では保存料に香辛料が使われることになります。

日本には岩塩鉱こそありませんが、管理された里山があり、海と森林に囲まれ、分散した地方政権があったことで、製塩の独占が成立しませんでした。
西暦700年頃に胡椒などが伝わり、貴重な薬として利用されています。
塩に困らなかったことに加え、海や川に囲まれ新鮮な魚介を鮮度が高いうちに食べることができるため、防腐剤や臭み消しとしては積極的に利用されていません。

日本で利用されてきた代表的なスパイスは、生姜、山椒、わさび、にんにくなどが挙げられます。大葉、葱、よもぎなどは日本のハーブといえるかもしれません。
香草を薬味として食材にのせて醤油をつけて食べるなど、食材の味を活かしつつ香りを添える使い方が普及しました。

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