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1989年5月27日。
「11時に広尾の青山ブックセンター。「ぴあ」立ち読みで、ピチカート・ファイヴは、6月25日よりも、7月のライブのほうがよいとわかる。メンズビギの雑誌「VISAGE」ジャック・タチ特集買う」

 まず「ぴあ」買えよですね。
 そして広尾にも青山ブックセンターがあったよい時代でした。
 
 日記をそのまま引用したのには意味があって、この雑誌(メンズビギ発行でした)、どこまでかはわかりませんがかなりの割合で、ピチカート・ファイヴの小西康陽さんが関わっていらっしゃいました。
 そしてこの号が出てたということは、これも小西康陽さんが関わっていらしたジャック・タチ「ぼくの伯父さん」のリバイバル上映をしてた時期でもあったのかな。
 
 大判で引っ越しのたびに困るんですけど、いまでも保存してます。
 
 編集長の小野郁夫さんとは、後に雑誌リラックスを立ち上げる、当時はブルータス編集部にいらした岡本仁さん。数年後、まず「小野郁夫」さんでお仕事でお会いして(そのときは絶対に正体は秘密という条件でお仕事お引き受けいただきました)、さらに後年はブルータスやリラックスでよくお仕事させていただくようになりました。

11月14日。
「ついに出た、「VISAGE」vol.4ジェームズ・ボンド特集買う。ついていた、ソノシート「女王陛下のエロチカ大作戦」聴きながら」
 
 ピチカート・ファイヴの89年7月発売のアルバムタイトルが「女王陛下のピチカート・ファイヴ」。架空のスパイ映画のサウンドトラックというのがテーマでした。
 この特集はこのアルバムとも繋がってますね。

1990年2月19日。
「御茶ノ水丸善で注文しておいたVISAGEの1号2号買う。つまらない。小西康陽さんがタッチしてるのは3号目からだった」
 
 だからそういう正直すぎることを日記に書くんじゃない。
 
5月7日。
「神保町三省堂で「VISAGE」vol.5(エキゾチカ特集)出てたので買う」
 
 たぶん刊行はこの5号までだったと思います。

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