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おすすめの映画「仮面ライダー555 パラダイスリゲインド」

はじめに

 平成のヒット曲の一つに「夜空ノムコウ」という曲があります。
 スガシカオさん作詞作曲でSMAPというアイドルグループが唄った曲です。


 この曲の歌詞の中で一番印象に残っているフレーズがあります。

あの頃の未来に 僕らは立っているのかなぁ…
全てが思うほど うまくはいかないみたいだ
このままどこまでも 日々は続いていくのかなぁ…

スガシカオ「夜空ノムコウ」より引用

 僕が「仮面ライダー555 パラダイスリゲインド」を見た後の率直な感想はこのフレーズです。
 走り続けた先に何が待っていたのか?
 それを本日、劇場に確認しに行ってきました。

 時間をおいて続編が製作される映画は大きく分けて2種類に分かれると思います。一つ目は、続編を観ることで過去の作品の底上げが行われる作品。近年の例でいえば「トップガン・マーベリック」や「コブラ会」ですね。二つ目は過去を台無しにしてしまう作品。作品名は書きませんが、えっ、じゃあ前作まで戦いはなんだったのというタイプの作品ですね。
 今回のパラダイスリゲインドは、そのどちらにも属さない稀有なタイプの映画だと僕は思っています。

作品のポスター。観る前は左上のオルフェノクは?となっていました。


【ここからはネタバレ全開で書きますので、お気を付けください】


答えは問い続けること


 平成初期の仮面ライダーはとにかくエッジのとがった特撮番組でした。クウガが平成ガメラシリーズからのフォーマットを2000年代型のしかも連続テレビドラマとして成功させた後、仮面ライダーアギトの海外ドラマ的な引きの強さと群像劇。仮面ライダー龍騎の9・11を受けての多様化する正義とサバイバル展開。最終回先行映画化という今考えても凄すぎる仕掛け。そして、自分と明らかに違う他者と人は分かり合えるのか?若者たちが逃れることの出来ない宿命ともがく物語だった仮面ライダー555。
 放送当時、古い特撮ファンの方や仮面ライダーを観ていない「世間」の方からは批判的な意見が出ました「仮面ライダーは正義の味方であるべきだ」という「子供番組は子供むけでいろ。はみ出すな」というような意見です。しかし、平成仮面ライダーは、そんな声がついてこれないスピードで進化していきます。
 毎年のようにぶっ飛んだデザインとコンセプトで、我々を驚かしつつも時代の空気を反映したような作品を沢山生み出しました。ちなみに、令和に入ってからでは「01」と「ギーツ」が僕は大好きです。
 話を戻すと、そんな平成ライダーの中でも「仮面ライダー555」は、特別という方も多いのではないでしょうか?
 そんな作品だからこそ、20年ぶりの続編は、不安もありました。
 あそこで終わってた方が綺麗なのでは…。
 しかし、蓋を開けてみると、懐かしさと新しさを融合させた作品を生み出すことに成功しているのでは、と思いました。

 正直、この手の続編作品は、「おやじ接待」といいますか、「はい、わかってますよ、これだしてたら、喜ぶんでしょ?」みたいな目くばせにげんなりする作品もあったりします。でも、今回はその手の「おやじ接待」は、ほぼなかったのでは、と思います。強いていえば、音楽ぐらいですかね?
 「劇場版仮面ライダー555 パラダイスロスト サウンドトラック」の〈M15 カイザ対サイガ〉が久しぶりに聴けた時の嬉しさや〈M36 クライマックスF〉の音源はそこで使いますよね!みたいな熱さは、もうオールドファンにはたまらない音楽使いでございました。ラストバトルの「Justiφ’s」も。
 作中で乾巧が「今を必死で生きれば今が未来になる」と言います。
 「夢」とは「共存」とは?
 20年前の「仮面ライダー555」は、主人公たちは様々な問いの答えを探そうともがきます。多くの登場人物はオルフェノクである為、一度死んでいたり、殺されたりもします。それでも限られた時間の中で答えを探していきます。
 20年の時が経ち、その答えを考えるのをやめてしまった時、過去にしばられたり、生きているけれどまるで死んでいるというような状態になるのでは、と思います。人間とオルフェノクの共存の可能性を信じることに疲れてしまった巧、巧が帰ってくると信じられなくなってきた真理、どちらも迷いの中にいます。しかし、オルフェノク化した真理の自殺をきっかけに二人の心は惹かれ合い、真理が巧みに答えは見つかったのか、と聞くシーンがあります。僕は、このシーンがこの映画で一番素晴らしいところだったと思います。「答えを探し続けることが答えだ」というこのセリフは本当に素晴らしいな、と僕は思います。真理に「ごまかしたでしょ?」と言われますが、この映画の核のようにも感じます。
 

存在していることに価値がある

 
 乾巧という存在が、真理の前に現れることで彼女の20年間のモヤモヤは解消されます。また、巧にとっての真理は「今の俺には夢が無い。でも誰かの夢を護ることは出来る」という名台詞の対象でもありますよね。お互いの喪失の空虚を再会が埋めていきます。
 二人がカップルになることに関して、賛否両論があるかもしれませんが、僕はじゃあ、あの作品世界で誰が巧の空虚や真理の空虚を埋められるのか、と思ってしまいます。やっぱり草加といるより、巧といる時の真理の方が自然体ですしね(僕を含めた全銀河、全マルチバースの草加ファンには残念な現実ですが)。
 自然体といえば、変身した後のネクストファイズに対して、「555の肩アーマーは、丸くないとダメでしょ!」という謎のこだわりを持っていた僕としては、ラストバトルでノーマル555で戦ってくれた展開には、しびれましたね。誰かに与えられた姿ではなくて、自分らしい姿としてウルフオルフェノクではなく「仮面ライダー555」を選ぶというのも最高でした。
 で、北崎さんをぶっ飛ばして、めでたしめでたしかと思いきや、次の草加社長が来て物語は終わっていきます。多分、一ヶ月ぐらいしたら、次の仮面ライダーミューズ的なやつが出てくる気がします。つまり、大枠では何も解決していない。日本政府なるものは影すら見せてもいません。これからも人間とオルフェノクの問題について、巧も真理も「答えを探しつづける」ことをしていくのだと思います。映画が終わって、ISSAの「Identiφ’s」が流れるのですが、まるでこの物語について語ってくれているようでした。


気になる新キャラとあの人


 正直、バトルに関してはあまり期待せずに観に行ったんですが、仮面ライダーミューズの予測AIの戦い方は予測の視覚化として凄く面白いシーンでしたし、胡桃玲葉を演じた福田ルミカさんの演技も良くてですね。撮影当時、高校3年生とは思えないぐらいの佇まい。出てきたところから、死ぬまでの間に、嫌いになったり好きになったりと観客の心を行ったり来たりさせてくれる素敵なキャラでした。
 そして、われらが村上幸平さん演じる草加雅人ですよ。僕は草加とカイザが大好きでどれぐらい好きかというと評論家の宇野常寛さんの配信で「僕のファンの人で毎回913円でスパチャする人がいるんですよって、今度村上さんに会う機会があったら言っときますよ」と言われるぐらいにはカイザファンです。何が良いって、草加って人間のズルい部分とか誤魔化したい部分を惜しげもなく我々に見せてくれる人じゃないですか。その人として最低な部分が僕は好きです。ああ、ここに誰にも見せられないような自分のズルい部分を体現した人がいると。正直、この20年間で草加というキャラと村上さんの同一化が進み過ぎてしまったし、ネタ消費されすぎたのでは、という部分もありましたが、それを逆手に取ったような設定でしたね。ノーマルカイザもカッコ良すぎました。
 あと、この映画の役者さんのMVPは、真理を演じた芳賀優里亜さんでしょう。ストーテラーとしては勿論、ですが、心情の揺れ動きが本当に素晴らしかったです。
 一人一人の登場人物の人生が、ちゃんと忘れられない存在になっているところが流石は井上御大と思いました。

逆らえない大きなものに飲み込まれながらも抗う


 今作もそうですが、555の世界では一人の人間にはどう受け止めればいいのか巨大な抗えないものが出てきます。
 たとえば、ある日、自分がオルフェノクになってしまうこと。
 逆にオルフェノクが存在するから襲われてしまうこと。
 オルフェノクだから差別されること。
 人間だから殺されること。
 仮面ライダーになるベルトを手にしてしまったこと。
 オルフェノクと人間の境界線上にいること。
 いつかやってくる死。
 巨大企業の暗躍。
 自分たちを管理しようとする日本政府。
 ふと思いついた555世界の抗えない、どうしょうもないものを挙げていきましたが、こんなにあったとは。その答えを見つけようと加速する魂が今を未来に変えられるのかも知れません。
 検索やAIが見せてくれる答えや未来ではなく、自分で探して選ばなければな、と思いました。 
 あの頃の未来は、思っていたものとは、違っていたかもしれません。
 でも、彼ら彼女らの日々はこれからも続いていきます。
 僕は「夜空ノムコウ」を聴きながら、帰りの電車に乗りました。

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