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改姓こもごも

別に自分の苗字に愛着がある訳ではない。
ありふれた名前のわりに漢字が面倒なせいで、判子が簡単に手に入らない。習字やテストで名前を書くときに時間がかかる。間違えて登録されてしまったせいで本人確認が出来なかったこともある。
だから、苗字が変わったらそんなことがなくなるのだろうな、いいな、と、思う。

けれど、役所の手続き、会社への書類の準備、銀行やクレジットカードの登録変更方法、果てに各種サービスの登録変更となるとその数の多さに目眩がしてしまう。
やれば終わることだ。そうは思う。
ただ、苗字が変わることについて、その事象は誰かの存在があって起こり得るのに、人生で一度も名前が変わらない人も多数いるということ。これはどう考えるのか。

相手に自分と同じ手間を掛けさせたいというだけなのか自分でも釈然としないが、この苗字変更についてはずっと考えて結論が出ない問題であった。
それがつい先日、恐ろしく快活に結論を出している人物の話を聞き、感銘を受けたのでここにまとめてみたいと思う。


私の改姓についての考え

私はさっきも書いたように自分の苗字に愛着はない。
小さいときは、何かきれいな苗字に憧れて、結婚して苗字を変えられるというのはいいな、と思っていた。

けれど、改姓の手続きややることをリスト化されたものを見たことと、引越しをしたことによりその考えが変わった。
私は引越しを3度おこなっている。
1度目は大学進学、2度目は就職、3度目は同棲と転職が理由だ。

感想としては、回を重ねる度に大変になった、という感じ。それはそうだろう、1度目は荷物をほとんど持たず引越し先で揃える算段で、住民票の移動と郵便局での手続きくらいだったから。それもマイナンバーができた頃ですごく楽だった。
2度目になると物も増えるし、免許もあるし、会社に出す書類もあるし、元住居の手続きもあるし、あまり引越しをしない人生でいたいなと思った。
3度目も言うに及ばず大変だった。これは業者に頼らなかった部分にも原因があるけれど、とりあえず今回の話には関係ないので触れないでおく。まだ笑い話ではない。

面倒。時間がかかる。疲れる。
当たり前に生活をするために、なさなくてはならないことがあまりにも多すぎる。

大したことではないのかもしれない。
多くの人がしていて、必要なことで、やることは決まっていて別に試行錯誤が必要な訳ではないし。

それでも、なんかもうやりたくない、と思ってしまうのもまた本心である。
彼の年齢やここまでしてもらったこと、双方の両親のことを考えて結婚はすると思う。
彼と結婚したくない訳ではない。結婚が「ずっと一緒にこの人といたいです」という宣言としての意味しか持たないなら今すぐできる。

けれどたぶん私は「彼のことが好きだから結婚したいの」という発言に、結婚はそれだけではないでしょ、と突っ込んでしまう。
どうしたって「家」を連想してしまう結婚を、「好き」というただそれだけの率直さと単純さでおこなってしまっていいのか。

好きな食べ物を聞かれて、「ケーキ」と答えるような単純さには憧れすらする。けれど、それはもう無理かもしれない。

私は長女で彼は次男だ。私には妹が1人いて、彼には兄が1人いて、兄は結婚して苗字はそのまま継いでいる。
彼の父親には、私の苗字を残すべきなのではと言われた。私の両親にちゃんと聞いたことはないけれど、女の子二人ではと諦めている感じがする。

彼の名前と私の苗字は相性が悪い、と、思う。
別に私が改姓してもそこまでおかしくはないけれど、彼は今のままのほうがいい。
最初に書いたように私の苗字はちょっと面倒なのである。もし子どもが使うのなら小学校1年生で習う漢字だけで構成された彼の苗字の方が絶対にいい。

結論は出ない。
女子大でキャリアやジェンダーについて考える機会が多かったせいなのか、この時代でも結婚した夫婦の多くが男性側の苗字を使うようになることにも何となく納得できない。
職場にはプライベートを持ち込みたくないのに、苗字が変わればどうしたって他人の知ることになるだろう。

夫婦別姓はまだ進まないし、私の住む市ではパートナーシップ制度も検討中に過ぎない。
そろそろ解決したいなぁ、とそう思っていた。

家との縁を断つ

大学を卒業してすぐ同棲し、1年後結婚した友人は彼の苗字になった。
手続きは面倒ではなかったのか聞くと、家を出たかったからなんて事なかったと仰る。
彼女は家族仲も良好で、自分は恵まれている、と、そんなふうに言っていたと思っていたから、その発言には少し冷たい手に不用意に触られたような感覚になった。

しかも、彼女の母は「もうあなたは○○家の人間なのだから何かあってもそちらに聞いてもらって」などと彼女に言ったようなのである。
大正時代を描いた小説じゃあるまいし、中学の同級生同士の結婚にそんな言葉が登場するなんて思わなかった。

たかが苗字、では、あると思う。
それが変わったところで、1人の人間が今まで生きてきた軌跡は変わらずそこにあるはずだ。
そう思っていたけれど。
確かに断絶されるものはあって、社会的な立場とかパーソナリティにも影響はあるのだろう。

どこかで変えなくてはずっと同じ状態が続く。
それでも転換期はしんどいものだ。
夫婦別姓でも結婚が成立するようになったとして、苗字は1番分かりやすい形で明確に2人が他人でないことを示してくれる。
子どもを持つのであれば、その子と同じ苗字でなければやはり違和感を持つだろう。

では慣習を捨て、男性も同じくらい改姓される社会になるのかと言うと、それも肌で難しいだろうなと思う。
依然として男性の方が社会的に安定しているし、女性には妊娠・出産というライフイベントもある。

元来、彼女のような考えが適合しやすいのかもしれない。

その方が運勢が良いだなんて

最近別の友人から結婚報告を受けた。
彼女もまた改姓するという。

彼女は自分の苗字に愛着があり、ラインの登録名も苗字である。
というか、あまり名前で呼ばれているのを見た事がない。私も苗字で呼ぶし、他の人からもあだ名か苗字な気がする。

また彼女の家は厳格さがあるように思えて、長女だし、苗字についてはいろいろあっただろうなどと想像していた。

彼女の答えは至極明快で、私は何かすごく大きくて素晴らしい自然を目の前にしたように、無力感を味わった。
いわく、改姓すると運勢が良くなるから改姓しなさいと母に言われた、と。

第一に驚いた。単純明快。あまりにも納得するしかない。
第二にマリーアントワネットみたいだなと思った。パンがないならケーキを食べればいいじゃない。いや、本当にそうですよね、としか言えない。素晴らしい。

宗教や神話の類は物語としてぐらいにしか認識していないけれど、これはすごいなと思った。
自分がどうにもできないところで、もう確定したものを見せられて、それをひっくり返そうとは思えない。
今まで散々考えて、いろんなデータを見たり、世界的にはどうなのか調べたりしても解決しなかった問題がすらりと解かれて、呆然である。

それからどうする?

早速自分たちの名前でも運勢を調べてみた。
結果、私は彼の苗字にしてしまうと総画が大凶で、やることなすこと全て上手く行かず、誰も助けてくれないそうだ。
そんな強い言葉を使っていいのかと思う。これは背中を押される人もいるわけである。

結局1つ考え方を手に入れただけのようだが、面白かった。
しばらく姓名診断について調べてみようと思っている。


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