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はね駒 #50、51(ドラマ)によせて

松浪先生との別れを経験し、女学校では最上級生になったりん。前髪を上げて、少し成長した感を醸し出して3年振りに帰省する。懐かしさに浸る間も無く、妹・みつの縁談話が持ち上がる。

みつが、幼なじみの秀吉と井戸端で話すシーンは、伊勢物語の筒井筒を彷彿とさせる。だからこそ、結末を知っているだけに見ているのが辛かった。

縁談をまとめようと、熱心に口説く地元の駐在さん。嫁ぎ先は「士族の血を引く子ども産んで欲しい」と、それだけの理由でみつを欲しがる。女を子産みの道具にしか思っていない。さらに相手の顔も様子もわからないまま結婚するなんて、今じゃ考えられない暴挙である。

しかし、かつてはそれが普通だった。女の一生に選択の自由は存在しなかった。親の決めた相手と結婚し、子を産み、母となるのが女の幸せ、それ一択だったのだ。

このドラマを見て、そのような時代が本当にあったという事を知るだけでも、意義があると思う。コンプライアンスだ何だと、過去の名作ドラマの再放送を渋るケースが多いと聴くが、果たしてそれで良いのだろうか? 現代に逆行する? そんな考え方じゃ、そのうち殺人モノも戦争モノも作れなくなるのではないか。

なんて事も考えながら、再放送を楽しむ幸せを今はかみしめている。




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