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自分の脳が用意する言葉。


たまたまチャンネルを合わせてたら

三谷幸喜がビートたけしに替わった

安住が司会の生放送の番組で。


三谷が言っていた、いわゆる

言葉と脳の距離の感覚。


たしかにそうなんです。

ワタクスも過去にその感覚を

考えていて、自分で書いた記憶が。


人間は考えて、クチにして伝え

紙に書いて伝え、パソコン、スマホ

音声自動変換など含め多彩になった。


ワタクスも文章を紙に書く感覚は

結構好きですし、当初はリアルに

紙にペンで書いてました。


入力時に候補が出ることは

便利だなぁと思う反面、ズルい笑

いまでは普通に変換候補に頼るが。


自分の手を使ってペンを握り

紙に書いていた人なら

わかるでしょう。

ホントに感覚が違うことを。


アナログのほうが言葉を

生み出すまでに苦労した感、

自分をろ過した感がある。


熟成されたような、

それで落ちてくる

自分の表現なら

仕方ない納得みたいな。


この熟成されて降りてくる感覚を

意識的に磨いていくことが大事だと

他人との違いや差別化になると。


三谷自身もそこをハッキリ認識していて

降りてこい!って素直に狙っているから。


熟成されて降りてくるときの達成感は

本人しかわからない感覚でしょうね。


ちなみにワタクスも若干、そういう

意識をして書いていた時期があるので。

素人なりにね、なりに。


こんな言葉が自分から出てくるのか?笑

という無限の広がりを自覚しそうな

アイデアや、視点の発見への興奮がある。


うまく降ろせないと悩んだけど

いまはもう開き直って逆に自然に。

ただただ自然に。感情的に書く。

それをあえて意識しながら。


自然にやることを、自然にやれてない

その時点で自然じゃないんですけど笑


たぶん他と違うことをすることで

自分の未開拓な部分を切り拓こうと。

目に見えやすい才能の向こう側。


デジタルすぎてしまう時代になり

逆にうまく降ろして違いを発見して

つくってきたアナログ慣れした世代


三谷やワタクスのような中年世代以上

私たちはアナログが引っ付いて

うまく剥がせないまま移行できない。


シール剥がしを失敗して残った

剥がし忘れのように移行できず

アナログが残ってそれを捨てられない。


デジタルへの依存は自分の劣化だと。

頼ったら負け、みたいな感覚もある。


自分でできていたかつての感覚を

失ってしまうのでは?枯渇へのおそれ

みたいな、喪失してしまう恐怖が

自分自身にあるのかもしれない。


デジタルネイティブな世代とは違う

アナログ知るからこそのジレンマが

あるんですよね。やっかいな感覚。


三谷の対面に据わってた若めの男性が

デジタルを活用してる良さもあると

普通のことしゃべってたけど笑

そういうこと言いたいんじゃなくて。


デジタルネイティブな世代だろうし

その感覚のまま良さを語っただけで

可能性の表面的広がりではない所の話。


きっかけを用意された状態がデジタル。

そこじゃない状態から自分でみつける。


もちろんヒントは外から

あらゆる角度で入れてくるけど

結果的に自分の中から発して

自分の外へ表現として落とし込む。


この一連の流れの達成感。

自分がやったという軌跡を感じて

物事を表現したい気持ちがある。


自分の指からペンを通して書く感覚と

指でボタンを押し、触りながら書く感覚。

これも違うんですよね、ホントに。


うまく説明はできないんですけど

三谷が言ってたように簡単に変換

候補を用意してくれる環境というのは

ちょっとした「甘え」というか。

熟成されていない感覚でね。


自分の脳が用意した言葉じゃない。

自分の脳が用意する言葉ってのは

自分で紙にペンで書くときのほうが

理解しやすいと思います。


漢字もひらがなも、字に書いていく

文章もわからない字も調べない。


とにかく迷いながら悩んで書いて

自分の感覚から文章にアウトプットして

感覚の表現として落とし込んでいく。


それを最初から候補で用意されると

自分が納得いかない、みたいなこと。


「顆粒だし」じゃダメなんです。

自分で「だし」取りたいから。

ちょっと違うけど、そのイメージ笑


ただラクしたくないんですよ。

時間かけて苦労してでも自然のものを

テマヒマかけて自分でつくりたい。


そういう作業の過程で違いが生まれる。

独特の風合いができ、色味が生まれる。


その達成感を知っているから

用意された便利なもので手を抜けない

抜いていなくてもなんか納得できない。


この文章も基本、ワタクスはいまは

クロームブックで書いています。


急に思いついたり、修正したりするとき

スマホで書くこともあるんですけどね。


これをスマホで入力しながら書くのとも

細かいですけど、感覚が違うんですよ。


脳からの伝達スピードと

文字への落とし込み。

オジサンはPCのタッチ入力のほうが速い。


スマホのフリック入力に

不慣れなままのオジサン

というのもありますけどもね笑


実際にワタクスも候補が出てきて

同じ音の言葉でも違う意味の言葉が

変換では出てくるから

そこから広げて文章をアシストする。

ダジャレは、つくりやすいですよ笑


「かんどう」という言葉なら

感動、勘当、貫道、完動などなど。


いろいろと候補が示されるから

その候補の情報を得て、そうか

こういう表現もあるよなと

アシストしてもらう。


紙に自分の指でペンを持って

書いていたころにはそういう感覚も

自分の頭で「脳力」で見つけた。


あるいはメモに残して何らかの形で

ストックしてすぐに自分で

使える状況に意識的にしていた。


降りてくる、という感覚に取り憑かれる。

それがアートの世界の入り口だろう。


それを簡単に繋いじゃうのがデジタル。

二次使用的でなんかズルいよ

ラクすんなよ笑、みたいな

アナログ感が残ってるから

デジタルの良さはあっても

なんかどうしても嫌ってしまう。


逆にデジタルネイティブの世代は

何も調べずに自分の頭で考えて

指でペンで降ろしてくる感覚を

体験してほしいなと思います。


いまの世の中が推奨することと真逆。

でも真逆だから生まれるし、見つかる。

だから逆を取れと、ワタクスは思う。


たぶん、全然違う達成感を感じるはず。

それはデジタルでは得られない感覚で

自分で見つけた、愛おしい感覚というか。


是非ともやってみてほしい。

違う感覚に出会えますよ笑




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