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政治にはカネがかかるをカネをかけないにはから逆算せよ。


政治にはお金がかかるということで

進んできたんでしょうけどもね。


政治活動にお金をかけないための

工夫を自らがしているのかどうか。


通信手段の発達をうまく利用する

それを支持者が認め了承する流れを

つくれば、地元に戻ることもない。

極端に言えば、それでいいのだが。


票って地元に戻ってきて熱心に

やってくれたから入れるわけでは

ないですよね、もしかしてそう?


地元の人の気持ちの問題だとすれば

政治活動のなんたるかについて

政治活動にお金をかけないという前提

これを第一に、逆算しましょうよ。


これやったらお金かかるから

できない、じゃあ違うやり方で

何ができるか。コスパ視点から

考えてみる。それやったのかな?


その移動する交通費やモロモロの

会場などの費用や飲食なども

あるのかな?お金が動くと

地元も関連商売でお金が動く。


連動してしまっているのであれば

地元にわざわざくる意味はこの場合

あるんでしょうね、きっと。


地元のために費用をかけて戻って

地元のために商売が相応に動けば

地元のためになっているのだろう。


つまりは単に政治活動に限らず

付随する連動的な作用があって

切れない関係になっているので

このやり方も切れないってなる。


でもこれで潤っている人は

地元戻るのをやめられると

普通に商売に支障をきたすと

投票しないのだろうか?笑


政治家は本当に支持してくれて

投票してくれるのだろうかと

疑念を持つ。頭から消えない。


顔を見て直接会って話を聞く。

たとえカタチの上であっても

来てくれなきゃ政治に本気だと

見なしてくれない、って話なら。


地元との関係づくりでどうしても

切っても切れない関係で惰性で

そうなってしまっているんでしょう。


そうであればもう難しいですね。

次の世代が発想変えるまでは。


人間の関係を通信技術でもって

無下にする決断はできないが

疑惑や疑念の温床も排除できない。


訴えかける層が支持者という

固定客なので、そこ以外と

懇意にしていない実情を鑑みれば

行かなきゃ、となりますから。


それぞれの思惑があって動いて

双方が得をしているのならば

互いに変更したくないでしょう。


ただそのすべてを取っ払って

イチから政治演説勝負になったら?

新しい世界が見えないだろうか。


熱心な人の一票も

熱心でない人の一票も

同じです。同じ一票です。


今は本気の熱量が伝わらないし

バラエティ番組のガヤ同然。

伝えようともさせない法律で

既得権益を守ってるんでしょう。


であれば、頑なに法律上の

ルールを守って堅苦しい条件を

すべてこなした上でやるより

多くの人に発信する方法のほうが

コスパも可能性も拡がらないか?


支持者以外に発信の機会ができ

支持者以外の無党派層の票にも

少なからず掴む可能性は拡がる。

少なからず実力勝負で公平だ笑


選挙をロースコアゲームに

持ち込んで最少失点で、かつ

最少得点で勝ちきる狙いでは

政治とカネをめぐる現状では

根本的な解決は望めない。


アドバンテージなくして公平に

実力で己の真のチカラのみで

勝負できるような仕組みに

変えることが望ましいが。


おそらく自分たちで自分たちの

不利になる法律は、つくらない。


政治家が自分たちのルールを

自分たちで決定する権限がある限り

変わることは望めないでしょうね。


選挙は、政治家のものでなく

国民のものです、最初からね。

それを国民の側が思い出さないと。


その前提を勝手に書き換えて

有利に進めてきた時代がある以上

否定して進む決断しか、どの政党も

変わる道は残されていないのでは?


票で勢力図が変わるなら

動いている熱心な少数を

獲得して勝負になる流れは

もうすぐ終わりを告げる。


単なる自分の関わる範囲のみで

良くしてくれるだけでない

全体を変えてくれる期待こそが

無党派層を動かすはずです。


それをネット中心に理解して

共感している層が増えつつある。


そういう流れを読み最大政党たる

無党派を味方につけた党が、

次の世代を牽引していくのでは?


その方向の夜明けは近いはずだが

まだまだ固定客を重んじても

一定の成果はあるんでしょう。


言葉と言葉を交わし合いながら

より近くに感じる行動を取る

直接やネット経由に限らず


そういうアクションを続けて

票に結びつけた党が、次の時代

次の世代と一緒に闘うんでしょうね。








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