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TO-FUメンタルの育児-ダー子の産まれた日-

こんばんは。
おっちょこママです。
今日は我が子ダー子についてお話ししましょう。

我が家のアイドル「ダー子」ですが、今でも毎日楽しいことが起こっていますが産まれる前から色々ありました。

妊娠検査薬で妊娠発覚

ダー子が出来たと分かった時、
その時の私は仕事の上司とうまくいかず、毎日泣いていました。
・あなたに何も聞いていない。
・あなたを採用したことが間違いだった。
・あなたは言われたことだけ仕事していればいい。
そんなことを毎日言われ、会社に行くと吐き気、胃痛を起こす日々。
ストレスが溜まり、月のものすら遅れることが度々ありました。

ある日、会社で吐き続け、食欲も無くなり、
「これはもう、胃に穴が開いたか。胃潰瘍が出来たか。だ・・・病院に行かないと」
と思って、病院を調べ予約の電話をしました。
その時に電話に出られて看護師さんから言われました。
『妊娠の可能性はありますか?少しでも妊娠の可能性があるようであれば、検査してから来院してください。』
と。
言われたので、妊娠検査薬を購入し検査してみることにしました。
すると
はっきりと二本線が浮き出てくるではありませんか。
私は驚いて、そのまま旦那さんへ検査薬を見せてしまいました。

嬉しさもありましたが、
「仕事、どうしよう」
「産休、取らせてもらえるのかな?」
という不安がありました。
そう思っていたのがストレスだったのか。その日のうちに出血があり、病院へ行きました。
医師に診察してもらったところ、
・胎嚢が出来たばかりで、心音が聞こえない。
・下腹部痛と出血の量から判断して切迫流産気味だと思われるため、絶対安静にするように。
と受診結果をいただきました。

旦那さんと相談し、
このまま仕事を続けていれば流産もしかねない。と言うことで仕事を辞めることを決断しました。

安静を求められる妊娠生活

切迫流産気味から幕を開けた妊娠生活。
初期から出産間際まで薬を飲み続け、私のお薬手帳は厚くなっていきました。
心音が確認出来たと思ったら、通常より発育が遅い。
都度張る下腹部。
横になり続けなければならない日々。
食べれるものも限られたつわり。
「娘の時はつわりもなかったし、安静とかもなかったのに」と言う義母。
私は妊娠発覚から6ヶ月目までで15kgは体重が落ちていました。
これ以上落ちると入院と言われる程の減量で、なかなか体重が増えることが難しかったです。

車での移動も下腹部が張るため近場になり、遠出することもなくなりました。
マタニティ雑誌での妊娠生活が夢のまた夢で、近くのスーパーに買い物するだけでも辛い日々でした。
それでもお腹に「子供」がいると思うと何とか過ごすことができました。

よく「お母さん」は強い。と言いいますが、
それは一人の命を守っているからだと思います。

アクロバティックな胎動

胎動を感じ始めると、思いのほかアクロバティックな動きをすることに気がつきました。
お腹の中で飛んでいるのか?と思うくらい激しい時もあれば。静かにお腹をトントンとしている時もある。
旦那さんがお腹を触ると、だるまさんが転んだでもしているのか全く動かない。
なかなかな子供です。
でも、この頃には切迫早産気味と診断されていました。

音楽を聞いているとそれに合わせてアクロバティックな胎動をよくしていました。多分、音楽好きな子になるね。と話していたものです。

逆子と確定!帝王切開と確定した日

ある日の診察、先生から
「逆子ですね」
と言われ、逆子を治す体操をしていました。
診察のたび、逆子が治らなかったので先生から
「この子はこの体勢が一番落ち着くんでしょう!もう逆子のまま、出産に挑んでしまいましょう」
ともう諦めたように言われたことを覚えています。
この日、私の初出産は帝王切開となりました。

旦那さんが義母に伝えた時に
「娘は通常分娩で苦しんで苦しんで、最後は帝王切開になったのに。
初めから帝王切開なんて、楽でいいね」
と言われたことを意地悪な私はずっと忘れないと思います。

予定と現実

予定帝王切開と決まってからは、
帝王切開の予定を決めたり、承諾書に署名したりと忙しい日々が続きました。

それもお腹にいる子は、36週が来ても2200gをやっと超えたばかり。
帝王切開できるギリギリまでお腹で育てることが決定しました。
妊娠中、初期の減量のおかげで体重のことは妊娠中は何も言われませんでしたが、
そのおかげで?私の体は飢餓状態がずっと続いていて病院内で2回倒れたことがありました。

予定帝王切開の5日前、旦那さんの実家ではおばあちゃんの3回忌があり、義両親から旦那さんに来るようにというお達しが…
なんでも
「予定が分かってるから、当日にいれば問題ない」ということで…

旦那さんが実家に帰った日
念の為。というので私は実家に帰っていました。
お昼ぐらいからトイレに行く回数が増え、お腹が張るな。と思っていたんです。
夕飯の時にはお腹が軽く痛くなったりしていました。
しかし、
遊びに来ていた姉夫婦に
「顔が真っ青だよ!陣痛じゃないの!?」と言われ、
急いで病院に電話しました。

37週。逆子。
電話口で看護師さんが「すぐに来てください」と言っています。
その時にも私は、どうせ戻されると思い、病院セットを持って行こうとしませんでした。
しかし、母と姉に「何かあっても困るから持って行こう!足りないものは後から持って来るから!!」と言われ、夜の病院に姉と大荷物で訪れました。

連絡つかない旦那さんと小さい我が子

実家では
・何かあった時に旦那さんにすぐに電話をする部隊
・足りないものがあったら、準備して持っていく部隊
・よく分からないけど、赤ちゃん産まれるってウキウキしちゃうね!子供部隊
で待機中

病院に行った私は体中に点滴や器具を取り付けられ、
すぐに駆けつけた先生に診てもらい
まだ少ししか開いてないけど、産ませましょう!
という深夜のテンションで分娩が決定していました。

オペ室の準備をしている間に
父と母が足りないものを準備して持ってきてくれ、
義兄と妹は旦那さんに電話したり、LINEしたり、義実家に電話したり。

しかし、
義両親宅では親戚も集まっていたため、外食していたそうで…
お酒も入り、連絡に気づかない旦那さん
何度も何度も連絡していた義兄
やっと旦那さんと連絡がついたのは、子供が産まれた後。

産まれた子供は2444g
とても小さい小さい赤ちゃんでした。

やっと登場旦那さんと小さな赤ちゃん

旦那さんはその日、親戚に
「もうすぐ子供が産まれるんです」
嬉しそうに話していました。

翌日、親戚にあった旦那さんは
「昨日の夜、子供が産まれたので急いで帰ります!!」と言いながら、急いで車に乗り込んだそうです。

一方、病院にて
私を襲っていたのは麻酔の副作用の吐き気
ずっと吐きっぱなしでした。
ちょうど旦那さんが病室に来た時に赤ちゃんを看護師さんが連れてきてくれました。

初めて抱っこする我が子
旦那さんはすぐにメロメロになりました。

看護師さんが笑顔で
「今いる赤ちゃんの中で
1番小さくて、1番元気ですよ」

それが、
我が家のダー子になる小さな赤ちゃんのお話です。

長々と乱文を読んでいただき、
ありがとうございました。

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