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111 ヘミングウェイ②

  新潟市でカーブ・ドッチというワイナリーを経営していた時は、とても大きな庭の中に幾つもの建物を配置しました。その庭はせっせとバラやら宿根草で飾り、樹木も何十本と植えて、残っている空間はすべて芝生で覆ったので、きれいな空間となりました。
  しかしその事がアダとなってと言うべきでしょうか。それとも最初に捨てられていた猫の親子7匹を大事に大事に育てていたせいでしょうか、人口80万人の街の不届きな人々が次から次へと猫を捨てに来たのです。22年間そのワイナリーを経営していて合計417匹の猫を引き取る羽目となり、拾っては医者に看せ、お客さんに里子に出しを繰り返しました。
  その様な暮らしも10年程経った2003年頃、東京より「サライ」という雑誌が取材に来ました。佐々木聖というライターの人と中川カンコローという写真家の二人です。殆んど丸二日滞在して取材し、一ヶ月後に届けられ本誌をみてビックリ。全5頁のカラー写真入り記事で、タイトルは何と「ぶどう畑のパパ・ヘミングウェイ」。そしてサブ・タイトルも「ワイナリーで気ままに暮らす猫たち」。日本で初めての本格的なワイナリーのことを雑誌に載せて貰えると思っていたのに、気のいいオジさんがネコを沢山かかえて楽しそうに田舎暮らし。そしてそのついでにワイン作り、みたいな記事になっていて正直ガッカリしたけれど、よく読むと私の猫達に注ぐ愛情が溢れていて、それはそれで面白い記事でした。
  フロリダ半島キーウェストにあるヘミングウェイ・ハウス。生前はヒット作を次々と世に出して商業的にも成功し名声を得ながら、仮面をかぶって生きていたせいか真の友人にも恵まれず最後は猟銃自殺で果てたヘミングウェイ。
  莫大な遺産は彼の飼っていた愛猫17匹及びその子孫の養育に使われることになったそうです。ヘミングウェイほどではないにせよ、私が常時20~30匹を愛育していたのは、そうするより他に仕様がなかったからというよりは、最終的には165名も居た社員・従業員と私が上手に付き合って行くための潤滑油的役割をこのペット群が果たして呉れたからでしょうか。ネコ・ブームの到来よりも早いその時期に、日本中から猫とたわむれるためだけに来訪する人々が大勢居て、それはそれで報われる思いでした。
  それにしても私は違いますが、ヘミングウェイを模してモコモコ髭を生やした人間というのは、自分の人生で何人か知っていますが、揃って淋しがり屋の友達無しが多いのは何かの符合かしら。髭を真似ると必ずと言ってよい程麦ワラ帽子とつなぎの作業着まで身に付けることになり、人格までヘミングウェイのように偽善者然として耒るのかしらと思う今日此の頃です。

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