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暗黒文書:コロナのインチキ評論家になる方法

暗雲とした世の中の雰囲気と、うっかり白饅頭氏のNoteを定期購読してしまったためか、ダークなことを考えるようになってしまった。

今、テレビによく出る「評論家」は大きく2つに分かれる。「信頼できる評論家」と「インチキ評論家」である。でも、自分で医学や統計についてある程度の知識が無いと、ホニャララ大学の先生とかホニャララ病院の医師が違う意見を言っていたとして「賛否両論」と思ってしまっても仕方ないだろう。そんなのわかるわけないし。自分だって専門外の偉い人なんてわからない。で、なんとなく自分にとってわかりやすそうな、というより自分の状況にちょっと都合がいい方に気持ち的に傾いても仕方ないと思う。

狂気生産マシンであるTwitterや、テレビを仕事帰りに眺めていると、自分にもインチキ評論家っぽいことはやれるのではないかと思う。彼らの特徴、論説を診ていくと、「真実なんてどうでもよくて後で負けないことしか言っていない」という安全なところから後ろで人を殴るスタンスを追求しているのだ。

例えばPCR検査の是非である。PCR検査の感度は高いわけでもなく、むちゃくちゃ手間もかかっておりたくさん検査が行えるわけではなかったのだから、最初はそんなに検査できなかった。まして、感染者が少なかった2月やに乱れ打ちでたくさん行っても陽性は出ないであろう。だからそういう時期はクラスターなど疑わしい事例に行ったわけである。何事も資源は有限で、その間に時間を稼ぎリソースを整えていくのである。

この、初期の時期から すでに蔓延していた国々をみて、足りない!他国のようにPCRをすべきだ!と言うことは簡単である。この論法は国内でこれから流行してくること考えれば、あたかも有効な資源を考えてつかっていた、信頼できる有識者を、数カ月後には一見論破できたように見せかけることができる。ほら、たくさんPCRが必要になってきたろ、俺の言うとおりだ、と声高らかに宣言できるだろう。国や政権などいろいろなものを悪者にしていけば、英雄気取りもできるだろう。

時間が経過して残念ながら患者数が増えてきただけなのである。PCRの数が足りなかったからと言うのは難しい。当初は喉から、今は鼻にスワブを突っ込んでコロナが治るわけではない。絨毯爆撃でPCRで陽性をたくさん引っ掛けられたかだってわからない。とりあえず感染症の遺伝子診断はたしかに日本より他国は積極的だから、日本はPCR後進国!って言っておけばとりあえず専門家っぽいですよね。

さらに蔓延してきて、感染ルートが不明な患者が街中にでてくれば、たくさんのPCRが診断に必要になってくる。抗体検査が開発され、出番が出てくるだろう。瀬戸際のフェーズのときから、蔓延期・蔓延後の結論だけ言っていれば、いつでも俺ははじめから分かっていたと振る舞えるそれ病気と全然戦ってないけどね。

人間の記憶は曖昧で、時間が経てば辛いことも忘れてしまう。その場のベストは忘れられてしまう。病気が蔓延して、終息しても。それはいい思い出になるわけはなく、とても悲しい思いしか残らない。頑張った専門家達は結果論で色んな人に石を投げられ、ただ安全なところから批判をしていたものが生き残る。そんな世の中になったら本当にやるせない。


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